第15話 計画の始まり


 

 美沙が作ったお弁当を持ち、今日もくるみは高校へ向かう。

 全身にレモンの花の香のよろいをまとい、背筋をピンと伸ばした。2年生になりクラス替えがあった。

 この町には高校が2つしかない。1つは農業高校で、もう1つはくるみが通う県立の普通科の高校だ。

 

 入学当初、くるみ以外はほとんどが顔見知りだったため、転校生のような扱いを受けた。

 1年経っても5クラスある学年の人の顔と名前はまだ一致しない。

 誰とでも気さくに話はできるが、一歩踏み込めないのだ。


 自分の家族の話になるのが怖かった。高校の友達には記憶喪失の話はまだしていないし、親伝いに知っていた子がいたとしても、誰もくるみに過去の話を聞いて来る人はいなかった。

 

 くるみだって秘密にしたいわけではない。ただ、皆の哀れむ顔が見たくなかった。そのせいもあって自分から一線を引いて付き合うようになっていた。


 もう5月、くるみは前期の美化委員会に所属した。2度目の美化委員会である。

 自分から立候補し、クラスの皆に感謝された。

 美化委員会は文化委員会・体育委員会・放送委員会・などと違いあまり派手ではなく、大きな行事も担当しない。

 掃除用具の点検や景観をよくするために植えられた植物の世話をするのが主な仕事だ。

 

 面倒くさい委員会と思われがちで人気がない。しかし、くるみは人といるよりも植物の世話をする方が楽だった。

 

 4時間目が終わると急いでお弁当を食べ、昼休みは決まって校門から生徒玄関先まで等間隔で置かれている鉢に水やりをする。


 色とりどりのビオラは秋口まで次々と花を咲かせ、サフィニアは花がらをこまめに摘み取れば、こんもりとした花束のように成長する。

 どれも手をかければ植物の美しさは最大限に発揮される。

 学年ごとに曜日に分けられた担当者が決まっていたが、部活の昼練が入ることもあり、なかなか人は集まらない。


 くるみは毎日のよう重いジョウロを持ち何度も往復する。

 忘れずに来てくれる人もいたが、くるみのように水やりを楽しみにしている人はいなかった。


「暑いから無理するな~」


 担当の篠崎先生は職員室の窓を開け、いつもくるみに声をかけてくれる。

 

 朝に水やりをしたかったが、バスの時間を考えると、朝からは無理だった。

 なぜか水をあげ終わると、くるみの心も落ち着く。


 クラスの友達は、くるみのことを少し不思議な子だと思っているに違いない。

 

 教室に戻ると隣の席の楓花ふうかが話しかけてきた。


「くるみ、もっとゆっくりお弁当食べて話そうよ」


「ごめん、楓花ちゃん、私、お花に水をあげないと気になって、自分のことのように息苦しくなるの。水をあげられていない日は、教室から花を見ているのが辛かった。ちょっと変だよね…私」


「変だけど…仕方ない。私も手伝える時は一緒に行くから、お弁当ぐらいゆっくり食べなよ」


「そうだね、ありがとう。」


 くるみにも気の許せる友達は何人かできた。くるみがもうひと頑張りすればもっと仲良くなれるのは分かっていた。


「ねぇくるみ、バスケ部の菅井先輩知ってる?」


「ごめん、わからない」


「だよね。菅井先輩って男バスのキャプテンで頭もよくてかっこいいの!」


「そんな人がいるんだ」


「でさ、明日バスケ部の昼練やってるから見に行こうよ」


「えっ、何か恥ずかしいなぁ」


「大丈夫、けっこう女子たちは見に行ってるらしいし、私たちが行っても目立たないって!」


「それなら行ってみようかな」


 くるみにしてはちょっと大胆な行動のようにも思えたが、友達と一緒に何かすることは大切だと思った。


 次の日、お弁当もそこそこに2人は体育館へ向かった。

 

 柔軟剤の甘い香りが漂う廊下を進んで行くと体育館が見えた。

 大きな扉は解放され、先を行く女子たちの足取りは軽い。


 体育館の2階には観覧用の座席があり、すでにお目当ての人を見るために身だしなみを整えた女子たちが、手すりから身を乗り出しスタンバイしている。

 

 1番きれいな自分を見せたい。そんな、目に見えない争いがもう既に始まっていた。


 着替えを終えた部員たちが更衣室から一斉に出てくると、女子たちの悲鳴混ざりの歓声が上がった。


「くるみ! 最後から2番目に出て来た人が菅井先輩だよ」


 確かに格好いい。野球部とは違い、長い髪が爽やかさをかもし出している。くるみは一瞬何かを思い出せそうだった。(あの後ろ姿……風に揺れる髪……分からない…。)心を満たされるような温かい気持ちが一瞬広がり、すぐに消えて無くなった。


「ねぇ、くるみはどんなタイプが好きなの?」


 楓花は何げなく聞く。正直なところ、くるみには誰かを好きになる余裕がなかった。

 まだ生まれて2年も経っていないようなひよっこなのだ。

 高校に通って勉強するだけで精一杯。そこに恋愛を挟むなんて考えもしなかった。


「話しやすい人かな」


 楓花には当たりさわりのない答えを言った。


「それって意外と難しいよね。だって、自分の本当の姿をさらけ出せる人ってことだよね」


 確かに、楓花の言う通りだ。話しやすいってことは、相手と相性がいいってことなのかもしれない。

 格好いいとか、頭がいいとかってよりも相性がいい人を見つける方がハードルが高いと思った。

 

 予鈴が鳴り、満足げな女子たちはそれぞれの教室に戻って行く。くるみと楓花も2階の教室に向かった。校長室の前を通ると、見たことのないブレザーを着た男子生徒が篠崎先生と一緒に出て来た。


「ねぇ、転校生かなぁ」


 楓花は何度も振り返り、くるみの腕に自分の腕を絡ませスキップした。


「そうかもしれないね」


 くるみのそっけない対応も気にすることなく、楓花は1人で盛り上がっている。


「凄くかっこいい!! 2年生ならいいな」

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