第66話 2冊目『奇跡の石と鍛冶屋』前編



     『奇跡の石と鍛冶屋』


 その昔、記憶の森の存在は誰も知らなかった。まして、人間の魂が戻る場所があるとは誰が想像できただろうか。


 昔からチェスターリーフの森の奥地では、光る玉のようなものが目撃されていた。この地方に住む人たちは、樹々に吸い込まれていく光の玉に祈る風習もあったという。


 始まりの国には広大な森林が存在する。


 いつしか人々はこの光の玉は人間の魂なのではないかと考え始めた。今から二五〇〇年前の話である。

 記憶の森の研究者、カイザー博士は記憶の森の秘密を語ってくれた。


 森の奥には小さな村があったそうだ。そこで暮らす人々は、他の村との交流はなく、誰に命じられたわけでもなく森の管理をしていたという。


 管理と言っても、下枝を払い、時には間伐を行う程度だったが、森は広い。数か月ごとに移動し、森の再生を行っていたようだ。


 光が根元まで届くようになった森は小さな若木を成長させる。新鮮な空気と太陽のおかげで樹々は太く、がっしりと育つ。


 こうして森は生き続けた。


 この森の管理をしていた村人たちを、今ではツチ族と呼んでいるが、現在もタム族は存在する。


 しかし、遭遇するのはかなりレアなようで、記憶の森のナイトツア―で出会うことができたなら魂の樹を見つけたのも同然だそうだ。

 彼らは夜に輝く魂の樹の色を全て記憶しているという。


 さらに、カイザー博士は魔法の指輪の元になった奇跡の石の話も教えてくれた。


 この話は子ども達にも分かりやすいように絵本にもなっているが、もっと詳しい話が聞けたのだ。


 記憶の森には『奇跡の泉』と呼ばれていた泉があったことはご承知のことだろう。


 この泉は非常に気ままな泉で、消えては現れる不思議な泉だった。1週間迷ってもたどり着けないこともあると聞くが、やはり背に腹は代えられない。

 一度ひとたび泉に浸かれば傷や病がたちまち治ってしまうのだ。この泉を求め多くの人が森に入った。


 その多くの人々の中にある鍛冶屋の息子がいた。少年は病気で寝たきりの祖母のために泉の水を持ち帰ろうと計画していた。


 親に言うと絶対に反対されると分かっていたので、夜中にこっそりと抜け出す手はずだった。


 少年の家は忙しく、病気の祖母の面倒を見るのは、体が弱く家の手伝いができない少年アルの仕事だった。


 アルは祖母が眠るのを見計らって暗闇の中、家をそうっと抜け出した。父の工場こうばにはまだ明りがついていた。


 大人たちが話す奇跡の泉の水を手に入れるため、祖母を助けるため、勇気を振り絞った。


 アルは10歳だった。


 体が弱く体力が持つか心配だったが、祖母がこのまま死んでしまうのはもっと嫌だった。


 アルは奇跡的にその晩のうちに泉を見つけた。もしかすると、泉の方がアルに近づいてくれたのかもしれない。そう思うほど泉は近くにあった。


 先に着いていた大人たちが1人で現れた少年を見て驚いたという。年齢よりも小柄だったせいかもしれないが、驚いたのはバケツを持っていたことだった。


 1人の老人がアルの知らない真実を告げた。


『水は持ち帰っても奇跡は起きんぞ』


 アルは何を言ってるのか分からなかったが、他の大人たちが詳しく説明してくれた。奇跡はこの泉に浸かってこそ起こるものだそうだ。


 アルは悔しくて泣いた。


 寝たきりの祖母を連れて来ることはできない。荷台に乗せて引いて来ることも10歳の病弱なアルにはできるはずがない。


 アルは泣きながら泉を覗き込んだ。水を握りしめ、途方に暮れた。

 急いで帰ればもしかしたら祖母にも奇跡が起きるかもしれないと思った。


 アルは諦めなかった。


 どうしても諦めることができなかった。


 大好きな祖母といつまでも話がしたかった。アルは勢いよく泉に入りバケツで水を汲むと、大人たちの制止するのも聞かず走り出したのだ。


 それはそれは凄い勢いだったそうだ。


 アルの体は羽が生えたように軽かった。走るとすぐに咳が出ていたのが嘘のようだった。鹿のように跳びはね、風を切って走る感覚が新鮮だった。


 夜が明ける前に家に着いた。アルが抜け出したことは誰も気が付いていないようだった。祖母の寝室に入ると、祖母はまだ眠っていた。


 祖母の手を布団から取り出し、バケツの水に浸けた。祖母はビックリして目を覚ましたが、アルを見つけるとにっこりと笑った。


 何のいたずらなのかと祖母は聞いたがアルは答えなかった。


 その後祖母に変化はなく、泉で聞いた大人たちの話が正しかったのだとアルは理解した。


 しかし、奇跡はここから始まる。

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