第62話 夜になり



 どれだけ時間が経ったのだろう。


 開けたままの窓からは、ひんやりとした風が流れて来た。


 くるみは重たい体を持ち上げた。ぼんやりとした視界のせいか、ここがどこなのかはっきりしない。もう一度目を閉じ記憶を辿る。


(そうだ、私は…今朝…時代屋時計店からやって来た。螺旋階段をたくさん下りて…春の草原を超えて、また階段を下りて…ケイジロウさんがレイラさんに詰め寄られているのを見た。そして…今寝ているのは灰色のソファー…灰色の…。マーサの紅茶店の3階の部屋だ!)


「ケイジロウさん!」


 くるみはしっかりと覚醒し、跳び起きた。

 

 部屋を見渡すとケイジロウはキッチンの前に置かれたカウンターテーブル座り、いつになく真剣な表情で手紙を読んでいた。


「あっ、起きた」


「すみません。私寝ちゃった」


「きっと疲れたんだよ。色んな話聞かされて、初めての事ばかりだしね」


「今何時ですか?」


「もうすぐ9時かな」


 くるみは2時間以上も寝ていたようだ。


 ケイジロウは読みかけの手紙を丁寧に封筒にしまうと、くるみの横にやって来てきた。


「隣に座ってもいい?」


「もちろんです。どうぞ」


 くるみは少し右に寄った。


 ケイジロウは思い切り体を預けるようにソファーに座った。


「この部屋いいでしょう?いつもにぎやかで、お腹が空いたらマーケットがある」


「はい。とってもありがたいです」


 ケイジロウは白いシャツの胸ポケットから旅のお守りのキーホルダーと、アクリル板のような透明なカードを取り出し、くるみに渡した。


 このカードは始まりの国でお金が必要な時に使うカードらしい。まさにキャッシュカードなのだが、金融機関からの請求があるわけではなく、簡単に言えば全てが無料になるカードなのだ。


 よく見ると金色の文字で時代屋時計店と書かれている。その横にはシリアルナンバーのような数字もあった。


「この世界で買ったものは持ち帰ることはできないけど、旅行中に必要なものは遠慮せずに買っていいから」


 カードの使い方をケイジロウから教わり、明日からの予定を説明された。


 明日の朝10時にナイトツアーを案内してくれる人と会うことになっているという。


 いつまでもケイジロウがくるみに付き添う訳にはいかない。ケイジロウにだって仕事がある。


 多少の緊張感がくるみの心を曇らせた。


「じゃあ僕は帰るね。また明日の夜来るから。困ったことがあったらマーサばあちゃんへ相談するといいよ」


 ケイジロウは手紙の束を脇に抱え玄関へ向かった。


「遅くまでありがとうございました。明日は下のお店の前で待っていたらいいんですよね」


「そうだよ。優しいコーディネーターが来てナイトツアーの説明をしてくれるから安心して。それに、マーサばあちゃんも知ってる人だから心配いらないよ」


「分かりました。ここが私の生まれ故郷なのだから頑張ってみます。そして、必ず記憶の樹を見つけて見せます!」


 くるみは自分に言い聞かせているように力強く答えた。

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