第63話 夜のマーケット
ケイジロウがいなくなった部屋は静かだった。
シャワーを浴び、カーテンの隙間からマーケットを見下ろした。夕方の時のように人がひしめき合う様子は見られない。空席もちらほら見られるが、この街はまだまだ眠らないらしい。
ちょっと興味もあり小腹を満たすためにマーケットへ降りてみることにした。
まだ乾ききっていない髪を丸く束ねお団子状にした。
ジーンズにTシャツというラフなスタイルはこの国でも違和感なく通用するようだ。くるみは長めのカーディガンを羽織り、部屋を出た。
さっきまで横にいたケイジロウはもういない。でも何故が堂々と歩くことができた。
自分でも分からなかったが目標が明確になったからなのかもしれない。『記憶を取り戻す』これがくるみの今の大きな目標だ。
ケイジロウも言っていたが、くるみの家族の消息が分からないのは、今だにガーラが幽閉されたこも知らずに、どこかに隠れているらしいのだ。
くるみが始まりの国から消える数時間前には、家族全員が姿を消していたという。
家族を人質に取られたのではくるみの心が揺らぎ、生の指輪をガーラに渡してしまうのではと、父親なりに考えたのだろう。
8年前のフェスティバルでくるみが生の指輪の適合者であると分かった時から、父親はいざとなったら身を隠すことを覚悟していると、フウマ先生に伝えていたらしい。
(いったいどこに隠れているのだろう。私の記憶が戻れば何か分かるかもしれない。私には隠れ場所を言っていたのかもしれない。絶対に私の魂の樹を見つけなくちゃ。生の指輪とは…。どんな指輪だったのだろう。その
日本にいた時はただ漠然と記憶が戻るのを待つだけの日々だったが、この世界では違う。
自分の記憶の樹を見つければいいのだ。
きっと簡単なことではないのだろう。なぜなら、地球や始まりの国の人口に匹敵する数の記憶の樹の中から、自分の樹を探さなければならないのだから。
しかし、今のくるみはそんなことは何の障害にもならなかった。
(だって粘り強く努力すればいいのだから。諦めなければいいのだから)
くるみは色々と考えを巡らせながら、マーケットの中をぐるっと1周した。ゆっくり見ても大体30分で見て回れた。
雑貨店に立ち寄り、腕時計を買うことにした。恐る恐るカードを出した。
「トラベラーさんだね」
店主は愛想よくカードを受け取り機械にかざした。
バーコートのような物を読み取っているようだ。すぐにカードはくるみに返された。
(意外と簡単。よし、じゃあ次は食べ物も買ってみよう)
くるみは目をつけていたパン屋へ向かった。その店はパンと具を選びサンドしてくれる店のようだ。
店の前に来るとお客が3人ほど並んでいたが、その方がくるみには都合がよかった。
注文の仕方やこの国の人が食べるものもリサーチできるからだ。
くるみの番がやって来た。
「パンはライ麦パンで、クリームチーズとスモークチキン、ミックス野菜でお願いします」
くるみは前の3人が注文したものをランダムに混ぜ込んで伝えた。
店員は何もおかしいと感じてないようだった。
くるみはほっとし、カードを見せた。
「明日も来てね。朝は7時からやってるよ」
店員は気さくに声をかけてくれた。この国では地球からの旅人はあまり珍しくないようだ。見た目は何も変わらない。
夜風が気持ちよかったが、少し寒さも感じ始めた。
買ったばかりの腕時計を見ると10時を少し回っている。
まだまだ眠らない様子のマーケットを後にし、くるみは部屋に戻ることにした。
階段を上がり玄関を開けると、そこはもう居心地のいい我が家のような雰囲気だった。
ケイジロウが座っていたカウンターの席に座りパンを皿に出し、包丁で半分に切ってみた。
具がずっしりと入り、クリームチーズがたっぷりと両面に塗ってある。
ひとかじりして、ふと頭に浮かんだのは、和哉のことだった。
(これきっとかずパパが好きな味だ)
お腹も満たされ寂しさを感じる前に眠ることにした。
ベットサイドのランプを消しても外の灯りがカーテン越しに漏れてくる。このぬくもりのような光が、今のくるみには心地のよいものだった。
4年ぶりの故郷をかみしめるようにそっと目を閉じた。
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