第112話 夜の酒場



 夜のとばりが下り、チェスターリーフのマーケットが賑わいを見せる頃、くるみはミナトに呼び出され、マーケットから少し離れた酒場に来ていた。


 もうすぐ8時、ミナトはなかなか姿を現さない。お酒でも注文しようかと試みたが、日本にいた時の年齢ではまだ19歳だ。なかなかお酒を飲む気にはなれなかった。


 それに明日は早朝から泊まりで指輪の捜索に出発する。その緊張感と、ミナトに呼び出された理由を考えると、ふわふわと心が落ち着かない。


 2杯目の飲み物を注文し、何度も目を通したメニューをもう1度開いた時だ。


 くるみの前に変装したミナトが現れた。眼鏡を少しずらし、いたずらな笑顔を見せると、向いの席に座った。


「ごめん遅くなって」


 ミナトは直ぐにウエイターを見つけると飲み物の注文をした。くるみの方を指さし、同じものを頼んでいるようだ。


「ミナト、私が飲んでるの、お酒じゃないよ」


「そうか、別にいいよ。くるみと同じのが飲みたかっただけ」


 くるみはその言葉に頬が急に熱くなるのを感じた。しかし、ありがたいことにこの酒場は暗い。テーブルに置かれたランプに近づかない限り、顔色までは分からないだろう。


 明日からの仕事の話をしていると、飲み物とミナトが頼んだフライドポテトやチーズが運ばれてきた。


「じゃあ、指輪の発見を願い 乾杯!」


 2人は夜の酒場で乾杯をした。


 ミナトは喉が渇いていたのかそれを一気に飲み干した。


「何これ?苦い……くるみのことだから、リンゴジュースだと思ったんだけど」


 眉を寄せ、ミナトは慌ててフライドポテトを口に入れた。


「これ、グレープフルーツジュースだよ。ごめん、始まりの国の人はあまり飲まないよね」


「いや、謝らなくていいよ。だってメニューにあったんだろ」


「ウエイターの人にも珍しい物注文するねって言われちゃった。日本ではこれにアルコールが入ってるのもあるんだよ」


「こんな苦いものを?」


「私はかずパパが飲んでいたから飲むようになったの。コレステロールを下げてくれるみたい」


「さすが医者だね。健康に気を使ってるんだ」


「私が住んでいた街ではレモンやグレープフルーツがたくさん採れるから自分で絞ってジュースを作るの」


 ミナトが日本に居たのはたった1ヶ月。


 学校とケイジロウがいる時代屋時計店しか知らない。嬉しそうに日本の話をするくるみを見ていると、いつか日本へ連れて行かなければと思ってしまう。


(でも……どのタイミングで行けばいいのだろうか)


 ひとしきり話が終わると、ミナトは今日の本題に入ろうと椅子を前に詰めた。


「あのさ、話しておきたいことがあるんだ」


 くるみは持っていたコップを置いて改まった。


 何を言われるのかドキドキしながらくるみはミナトを見た。


 ミナトはゆっくりと話し出す。


「残りの指輪が見つかったら僕と結婚してほしい。どうかなぁ?」


「もしかして、私と?」


「私以外にいないだろ!」


 ミナトは怒ったように言った。突然のことで……、でも夢に見ていたことで……。くるみはどんな顔をすればよいのか分からなくなった。


「私がミナト王子と結婚できるの?」


 くるみは弱々しい声で尋ねた。


「もちろんできるよ。僕が好きなのはくるみだけだから。小さな頃、中庭で会った時からずーっと好きだったんだ。もうどこにも、誰のとろへも行かないでほしい」


「ミナトったら、恥ずかしすぎるよ」


 この日、2人だけの約束が交わされた。


 ちょっと苦いグレープフルーツジュースに、塩辛い涙。



 次の日、くるみはミナトや他のBBに見送られ残り2つの指輪の捜索に出発した。昨日は結婚の話に浮かれていたが、1日経つと違っていた。国王は何と言うのだろうか?国民から非難されるのではないだろうか?喜びよりも不安がつのる。


 その悩みは日を増すごとにくるみを苦しめた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る