第77話  レイラとミリア



 名前を聞かれたくるみは、嘘をつくのは嫌で、でもミナトには、『記憶が戻るまで始まりの国に帰ったことは伏せておいた方がいい』と言われていた。


 凄く迷ったあげく、思いついたのは苗字だけを告げることだった。


「私の名前は川崎(カワサキ)です」


「カワサキさん? とっても硬い感じのする名前ですね」


「まぁ…そうかもしれないね。この国とは違って色々な名前のスタイルがあるから」


 レイラに苗字と名前の知識がないことに安心しつつも、名乗ったところで記憶もないのにがっかりさせてしまう。これがくるみの気持ちだった。


 くるみは本当の名前を言えないお詫びに、できる限りこの時間を大事にしようと思った。


「それで、話って終わりじゃないよね」


「半分は終わりです。昨日カワサキさんを見かけた時、心臓が止まるかと思いました。あまりにくるみちゃんとそっくりで。でも、それ以上に昨日の私は怒っていたんです。覚えていますか」


 レイラは恥ずかしそうに言った。


「うん、覚えてる。凄く怒ってたね。正直驚いて、ケイジロウさんが気の毒に思っちゃった」


「やっぱり私酷かったですよね。つい、姉のことになると我を忘れてしまうんです。私の姉は4つ年上で、私と違って物静かでいつも本を読んでいるような人です。実はその姉の結婚が決まったんです」


「おめでとう。でも、そこに何かあるのね?」


 くるみは何となく予想がついた。


「そうなんです。うちは父が駅長をしているのですが、家は花屋なんです」


「どっちも素敵な仕事ね」


 くるみは両手で頬杖をつきながら、全てを受け止めようとレイラの話を聞いた。まるで昔からの知り合いであることを思い出したかのように。


「私も姉も花を栽培しています。普段は家の1階の店舗で育てた花を売っているのですが、時間がある時はマーケットにも売りに出るんです」


「ますます素敵ね」


 くるみは本当なら知っているはずのレイラの家の事情を黙って聞いていた。


 レイラが悩んでいるのは、姉が本当はケイジロウのことが好きなのに、別の人と結婚することを決めてしまったということらしい。


 ケイジロウとレイラの姉ミリアは同級生だった。小さな頃から学校を休みがちなミリアだったが、月に何度かは学校へ行っていた。


 もちろん友達と呼べる人は少なく、学校はミリアの落ち着ける場所ではなかった。


 でも、ミリアが登校するといつも嬉しそうに声をかけてくれたのがケイジロウだったそうだ。


 ケイジロウは周りの子のように詮索するようなことは言わなかった。あいさつ程度の声掛けしかしなかったのだが、それがミリアにとっては丁度良かったようだ。


 そんな関係だった学生時代が終わり、ケイジロウは指輪の能力者としての仕事に着き、その後は祖母マリナの後を継ぎ、魂の通り道(時代屋時計店)の管理人となった。


 ケイジロウの気持ちは知らないが、卒業後もたまに花屋に顔を出し、ミリアと雑談をするようなこともあったそうだ。


 それがミリアの結婚が決まった3カ月前から急に店に顔を出さなくなり、ミリアも心なしか寂しそうにしている。


 それを目の当たりにしていたレイラは2人の関係をますます怪しみ始めたと言うのだ。


 レイラはケイジロウを探し、何度も本当の気持ちを聞き出そうとしたが、いつもはぐらかされていた。


「姉は結婚式の準備を着々と進めているし、もう時間が無いんです」


「私はケイジロウさんのことほとんど知らないから、何も言えないのだけれど、ミリアさんの幸せを願っているのは事実だと思うの。ミリアさんの結婚相手はどんな人なの?」


 レイラは困ったように首を傾げ、言葉を探しているようだった。


「たぶん、優しくて、のんびりしていて姉と似たような雰囲気の人です。2人は一緒にいてもほとんど話さなくて、何を考えているのか分からない人です」


「何を考えているのか分からないのはレイラさんだけで、ミリアさんは分かっているのかもしれないよ」


 腑に落ちない顔でレイラは残りのジュースを一気に飲み干した。


「確かに、そうかもしれません。姉は無口で何も気持ちを話してくれないんです」


「でもそんなミリアさんが結婚を決めたのは凄いことね」


 くるみにはミリアの記憶が無かったが、きっとこの結婚はミリアの幸せに繋がるものだと思った。


「話し出せるか分からないけど、ケイジロウさんに会ったらミリアさんの結婚についてどう思っているのか聞いてみるね」


「ありがとうございます。まるでくるみちゃんです!」


 レイラは出会った時とは別人のような表情になった。何度も頭を下げ、手を振り、足取りも軽くマーケットにのみ込まれるよう帰って行った。


 くるみはやっと1人になった。日は沈みかけ、また賑やかなマーケットの夜が始まる。

(おなかすいたなぁ)


 部屋に戻る前に何か買って行こうと、くるみはマーケット内を歩き出した。焼きそばのようなソースを焦がした香りが漂ってくる。

 

 くるみはその匂いにつられて列に並んだ。野菜と海老と麺がたれと絡み合い、食欲をそそる見た目と香り。


「1つください」


 くるみは迷わず注文した。すると突然後ろから声が重なってきた。


「2つください」


 振り向くとケイジロウがいた。


 急いで来たのか首筋が光っている。くるみはほっとしたのか、よくわからない安心感に包まれた。


 くるみは商品を受け取るとケイジロウに駆け寄った。ケイジロウは爽やかな笑顔で待っている。


「今日1日どうだった?」


 ケイジロウは心配そうな顔でくるみを見た。


「驚くことばかりでしたよ」


「そっか~じゃあこれはどうかな?」


 ケイジロウは後ろに隠していたプレゼントを渡した。白いスイトピーと黄色いミモザの小ぶりの花束だった。


「可愛い!もらっていいんですか」


「もちろん。くるみちゃんの部屋に飾ったらいいかなと思ってね。それに、色々あって花屋に行く用事があったんだ」


 ケイジロウはいつになく浮かない表情を見せた。


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