第71話 桜井&岡倉
大きな咳払いの後、マーサは持ち手にハートのベルが付いたティーカップ持って現れた。
「もう入ってもいいかい」
2人は慌てて少しだけ距離をとった。でもミナトは繋いだ手を離さない。
「2人の間に何があるのか私は知らないけどねぇ、恋は止められるものじゃないからねぇ」
マーサは独り言のように呟き、紅茶を置くと、そそくさと喫茶室を後にした。
くるみはティーポットから紅茶を注ごうとミナトに握られてる手を離そうとした。でもミナトからは離す気配がない。
「どうしたの?」
くるみは黙って隣に座るミナトに話しかけた。ミナトは小さな声で話す。
「この手をずーっと繋ぎたいと思ってたから。くるみと別れたバス停が本当に寂しかったから」
「どこにも行かないよ。だって来たばかりだもん」
ちょっとだけ強がってくるみは答えた。
「来たばかりって、それじゃあ…帰るってこと…?くるみは、自分の故郷は始まりの国だって知ってるんだよね?」
「今すぐ帰るつもりはないよ。それと、ケイジロウさんから色々聞いた。私の家族のこと、ガーラのこと、指輪のこと、フェスティバルのこと…」
くるみは昨日までは知らなかった自分の事を思い出しながらミナトに話した。しかし、話している途中からミナトが寂しそうな表情になるのを感じていた。
(ミナト君もしかして…)
くるみは話すのを止めた。何だかケイジロウの話をすることでミナトがやきもちを焼いているような気がしたからだ。王子に対してとってもおこがましいことだと思ったが、ミナトの表情が優れない理由がそんなことのようにも思えた。
「紅茶注ぐね」
くるみは離してもらえない右手は使わず、左手でティーポットをつかんだ。でもやっぱり、蓋を押さえない事には絶対にこぼしてしまう。
ミナトはくるみが困っている様子を見ながら、自分がケイジロウにやきもちを焼いているのも含め、全てにおいて小さな男のように感じていた。
「くるみ、ごめん。手、離すよ」
ミナトはそっと左手を自分の膝に戻した。くるみは少しの寂しさを感じながらも、紅茶を注いだ。そして、さっきミナトが言い放った「僕はくるみのことが好きなんだ」という言葉を心の中で何度も反芻していた。
「ミナト君、私もミナト君のことが好きだよ。転校してきた時から私の事を知ってたなんて驚いちゃった。私を探しに日本まで来てくれたんだね。たった1人で」
「もとはと言えば僕がガーラに勝てなかったからくるみを失ったんだ。失って初めて君を好きだってことに気が付いた。本当は分かってたのに」
「私は、どんな気持ちで燃え盛るミナト君を抱きしめたのだろう。その気持ちが知りたい。記憶を取り戻したいの。記憶をなくす前、どれだけミナト君を好きだったのか自分の気持ちを確かめたい。そして、家族を見つけたい!」
2人の距離はようやく縮まった。
ミナトがたくさん抱えて来た袋の中身は、当時くるみが好きだったものばかりが入っていた。チョコレートやらクッキーやら、ほとんどがお菓子だった。
「私ってこんなにくいしんぼうだった?」
くるみは恥ずかしそうに聞いた。
「よくこのマーケットにも変装して買い物に来てたんだよ。フウマ先生も一緒にね。くるみはいちごのドーナツが好きだったな。いつも指輪の能力を引き出す訓練をしてヘトヘトだった僕らにフウマ先生がおごってくれたんだ」
楽しそうに話すミナトは、高校生の時のミナトのままだった。凄く不思議なくらいに。
「私って、高校生の時と変わった?」
答えに困るミナトを見て聞かなければよかったと後悔した。ミナトはじっくりと色んな方向からくるみを見ている。
「きれいになったよ。大人っぽくなったね」
そんな答えを望んでいなかったくるみは恥ずかしくなった。
「ミナト君は全然変わってないね。私の知っている高校生の桜井ミナト君のままだよ」
「くるみ、知ってた?僕は2年間髪型を変えていない。いつくるみが来ても気が付いてもらえるようにね。そして僕の名前は桜井じゃないよ。始まりの国には日本の苗字に当たるものはないんだ。だから、時代屋時計店の近くにあった桜井クリーニングから、苗字を借りたんだよ」
「えっ、知らなかった」
くるみはなるほどとばかりに大きくうなずいた。
「じゃあケイジロウさんも岡倉ケイジロウじゃないんだ」
「そうだよ。岡倉会計事務所っていうのが近くになかった?」
「あった、あった! 確か時代屋時計店の隣のテナントビルの4階あたりに」
2人の間の緊張が解けていく。
「そろそろ、コーディネーターとしての話をしてもいい?」
「王子なのに?」
2人は笑った。心から笑った。そしてやっと再会できた喜びを実感できたのである。
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