第85話 指輪の力



 辺りはすっかり暗くなっていた。


 樹々は鈴をつけたように独自の色を放っている。指紋と同じように1つとして同じものは存在しない。魂の樹は本人が近づいた時だけ共鳴してくれるのだ。


 2人はタム族にもらった地図を頼りに歩き続けた。


 初日のようにのんびりと歩くようなことはなく、ひたすら前に進んだ。


 緩やかな傾斜もあれば、草木につかまりよじ登るような場面もあった。その度にミナトはくるみの手を引き励ました。


 次第に服は汚れ、膝には小さな穴が開く。汗の粒が顎の先に溜まっていくが、それに構う暇などない。確かにミナトが言っていた探検と言う言葉の意味をようやく理解できていた。


 「地図がある」ということが希望でもあり、心の支えでもあった。


 2人はほとんど言葉も交わさず無心で歩き続けた。しかし、若い2人にも限界はある。タム族のもとを出発してから5日目の朝、森の中の湧水で体を拭きながらミナトはある決心をした。

 

「くるみ。実はさ、族長のキルナが教えてくれたんだけど、くるみの魂の樹までは、この森に慣れたタム族であっても2週間はかかるみたいなんだ」

 

 ミナトは湧水で喉の渇きを潤すくるみに少し残酷な情報を告げた。


「えっ、2週間?」


 くるみは想像よりも遥かに遠いことにショックを受けた。急いでリュックの中身を確認する。チョコが5枚、日持ちのする食料が1週間分は残っている。


「これで行けるよね」


 くるみは祈るようにミナトの反応を待った。ミナトは少し困った顔で何かを打ち明けようとしていた。


「ちょっとゆっくり歩こうか」


 そう言うとミナトは朝の光が差し込む木漏れ日の方へ向かった。すると自分の胸元からシルバーのチェーンを引き出した。


 いつもは人目に触れないようにしていだが、実際はくるみを失ってからミナト自身が指輪を見たくなかったのが本当の理由だった。


 選ばれし者しか能力を発揮してくれない指輪。

 大事な人と国を守るための指輪。


 それなのに呪いの指輪をはめたガーラには勝てなかった。それだけではない。大事な人を守れなかったのだ。


 ミナトにとってはもう何の意味もない指輪のように感じられる毎日だった。でも、今くるみのために久しぶりに指輪をはめる。


 チェーンから指輪を外し右手の人差し指にはめた。その瞬間、指輪は主を見つけ歓喜の光を放った。森が一瞬昼間のような明るさになり、鳥のさえずりも消えた。


「これ、前にも見せたよね」


 ミナトはまだ納まらない歓喜の光の中からくるみを見た。ケイジロウがいつもはめていたごつごつとした黒っぽい指輪と同じだった。


「見たことあったかなぁ」


 くるみは考えてみたがミナトがはめている姿を思い出すことはできなかった。それもそのはず、高校2年生のあの夏。


 ミナトが別れを決めた期末テストの1日目のことだ。くるみの手作りのお弁当を食べたレモンの木の下だった。ミナトは最後の賭けで、くるみの前で指輪をはめていた。


 もしかしたらくるみの記憶が戻るきっかけになると思ったからである。でも、くるみの目には止まらなかったようだ。


「覚えてなくてもいいんだよ。くるみはもう帰って来てくれたんだから」


 ミナトは今までの自分をねぎらうように指輪をはめた手を胸に当てた。


 深く息を吸うと周りの落ち葉が浮かび始めた。まるで重力が無くなってしまったかのようにふわりと浮かんでいる。しかし、浮かんでいるのは落ち葉だけではなかった。


 ミナトも浮かんでいるのだ。


「くるみ、こっちににおいで」


 くるみは1歩ずつミナトに近づいた。まるで見えない階段を上っているかのように地面から離れていく。


 少しずつ遠ざかるミナトの腕にようやくつかまることができた。気が付いた時には既に樹の高さを超えていた。


「僕の指輪は風の指輪だ。風を操れば空も飛べる」


「うそみたい。指輪の力って凄いんだね!」


 くるみはミナトの腕にがっしりとつかまり、空からの景色に目をみはった。


「今夜からは空を飛んで探そうと思うんだ。いいかな」


 ミナトは怖がりながらミナトの胸に顔を寄せるくるみを覗き込んだ。


「うん、いいよ。でもちょっと怖いな」


「怖くないよ。きっと星空を飛ぶように綺麗だと思うよ」


 ミナトはそう言うと記憶の森の上空をゆっくりと旋回する。恐怖と体力の限界を感じていたくるみにようやく笑顔が戻った。


「大丈夫そうだね」


 ミナトは安心したように空を見た。


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