第89話 閉じ込められた気持ち



「フウマ先生の言う通りでした」


「稀に意識をなくす例はあるんだよ。特に辛い記憶に触れた時にはね」


「もう少しだけくるみの傍にいさせてください」


「もちろん。でもいつまでも国王をだますことはできないし、明日には仕事に戻ること!」


 フウマはそう言うと病室を出て行った。


 くるみが運び込まれたこの施設は記憶の森の中にある研究所兼、診療所だった。


 森にはそぐわないほど立派な建物だった。フウマは王室学校で歴史の教師をしているが最近では記憶の森の研究にも関わっていた。


 そのつてもあり、ここの研究所の所長、カイザー博士にはくるみが運ばれてくる可能性を伝えてあった。

 

 ベットに寝かされたくるみは今にも目を覚ましそうに見えたが、手を握っても肩をゆすっても反応はなかった。


 小高い丘の中腹に位置するこの診療所は記憶の森を見渡せる小さな村の中にあった。住民の多くはタム族である。


 森の民と言われていたタム族も時代と共に変化をしていた。森を守る者、安住の地を求める者、余生を楽しむ者。生き方は変われども彼らの根底には森と共に生きるとが変わらず根付いているようだ。


「くるみ、僕は仕事に戻るね。また会いに来るよ」


 ミナトは眠るくるみをそっと抱きしめ病室をあとにした。ミナトはフウマに見送られ夜明け前の空へ飛び立った。



 その様子を後ろで見ていた女性がいた。彼女はここの研究所の職員で看護師をしている。


「ナナ、くるみのことはナイショで頼むよ」


「わかってる。彼女の正体はカイザー博士しか知らないのよね」


「うん、そうなんだ。だからくるみの世話を頼みたいのと、目が覚めたらすぐに連絡がほしい。俺は授業があるからもうすぐ学校へ戻る」


「フウマは忙しいのね。私は暇なのに」


 フウマはくるみの眠る2階の病室へ戻ると朝日が昇り始めていた。フウマはベットの横に座り、くるみの寝顔に目をやった。


(4年ぶりだね。生きてたんだな……1人でよく頑張った。ミナトがどれだけ心配してたか見せてやりたかったよ。まぁ俺も寂しかったんだけどね。そんなことは言えないな)



 フウマは立ち上がりくるみの手を握った。


「自分を取り戻すんだくるみ。じゃあ、また来るよ」


 フウマは病室を出ようとした。その時微かな声が聞こえた。くるみの声だ。


「美沙さん、かずパパ」


 くるみは川崎診療所の夢を見ていた。


 優しい2人の声に誘われて早く目を覚ましたい。でも瞼は開かない。自分が誰なのか、ここが何処なのか、どれが夢でどれが現実なのか。ふわふわとした気持ちがどこまでも続く。


(もう少し眠りたい。このまま眠り続けたい)


 フウマはくるみの傍に戻った。


(うわ言だったのか?)


 くのみの顔を覗き込むも、瞳は閉じていた。


 意識が戻るのが近いと感じたフウマはナースコールを押した。ナナの声がし5分後に行くとの返答があった。


「くるみ、目を覚ますんだ。ミナトが待ってるよ」


 フウマは優しく声をかけた。するとくるみの目がうっすらと開き、フウマと目が合った。


「フウマ先生……、迎えに来てくれたんですか」


 くるみは起き上がり静かにフウマを抱きしめた。涙が次から次へと頬を伝う。


「くるみ、ここは始まりの国だよ。記憶の森で君の樹を見つけたんだろ?」


「ここは川崎診療所じゃないんですか?」


「違うみたいだね。ケイジロウと始まりの国へやって来ただろ」


 フウマは抱きしめられた心地よさから逃げるように、くるみの体を引き離した。くるみはフウマの顔をまじまじと見つめると、何かを思い出したかのように一瞬目を大きく見開いた。


「痛い!頭が痛い」


 くるみは急に頭を抱えベットに倒れ込んだ。フウマは背中をさすりながらもう1度ナースコールを押した。


「痛い、痛い……違う、違う……」


 くるみは泣きながらどんどん体を丸める。


「ナナ急いで来てくれ。くるみが目を覚ました。カイザー博士にも連絡をしてほしい」


「わかった。すぐ行く。もしかしてくるみさん泣いてる?」


「うん、混乱してるのかもしれない」


 フウマは抱きしめたい気持ちを抑えくるみの背中をさすり続けた。


 ナナが駆け付け鎮静剤の注射をした。間もなくくるみは静かに寝息をたてて眠ってしまった。


 ナナは処置の片づけをてきぱきとこなしながら、フウマをちらちらと見ていた。そして病室を出る前にフウマをベランダに誘った。


 朝日が村を照らし今日が始まっていた。


「フウマが私の誘いを断る理由はあの子だったのね」


 フウマは空を眺めながら直ぐには返事をしなかった。


「誤解だよ。くるみは僕の教え子で、ミナト王子の大切な人なんだ」


「だから諦めたの?」


 ナナは痛いところを突いてくる。


「俺とくるみは境遇が似ていただけだ。だからお互いの気持ちが分かるんだ。それは恋ではなく慰め合いだ」


「そう言う事にしてるのね。わかったわ」


 ナナはくるりと向きを変え病室のベランダを出ようとした。


「あのさ。俺の仕事は王子の幸せを守ることなんだ。小さな頃からずっと」


「じゃあミナト王子が幸せになったらデートしてね」


「それはどうかな」


 フウマは声だけ残しベランダから消えていた。

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