第2話 呪いのようなもの
私の住む山村ティニは、湖畔の街ワディズから距離にしておよそ8km離れた山の中にある。
地熱が高く、そこここから温泉が湧く山麓の村で、主要街道沿いのため治安も悪くない。
歩くこと50分ほど。無意識に急いでいたようで、思いのほか早く村に着いた。
帰宅後すぐ、レギを寝室に連れて行く。
体を縛るように着込んでいた服を脱がせ、手早く温泉の湯で絞ったタオルで全身を清拭した。
泥汚れが付いていた身体が綺麗になったところで、サイズはまったく合わないが適当なシャツを着せる。
さっぱりとまではいかないが、小綺麗になってベッドに横たわるレギに毛布を掛けてやった。
眠っているのではなく、意識を失っているレギ。
物音や振動などの外部刺激に反応がない。
呼吸は浅いが安定はしていて、特に苦しそうな様子はない。
ひとまず、今夜はこれで様子を見るしかないだろう。
やっと人心地付いた私は、キッチンで紅茶を淹れる。
立ち上る穏やかな香りが心を宥めていく。
紅茶を手に寝室に戻り、ソファに腰掛けて一息ついた。
ベッドの上のレギは、規則正しい静かな呼吸を繰り返している。
あんな場所に1人で転がっていたという異様さはあったものの、ベッドの上の姿はただの子供だ。
身長は140センチ程度だろうか。
年齢は10歳から13歳くらいに見えるが、口が達者だったからもしかしたらもっと上なのかもしれない。
清拭したときに見た身体は、小さい割には厚みがあり、見た目よりずしりと重かった。筋肉質なんだろう。
……気が付けばこんな状態になっていたが、これはどういう状況だ。
彼は一体何者なんだろう。
村に帰ったらしばらくはゆっくりするつもりだった。しかしながら、この状況ではそうも行かない。
自分で面倒事を拾ってしまった。
ああ、まったく……。
なんの得にもならないだろうに。私はなにをやっているのだろう。
……疲れた。慣れないことはするものじゃない。
もう一度レギが呼吸をしているのを確認する。
穏やかな規則正しい呼吸。
少しだけ安心し、毛布をかけ直した。
今のところは落ち着いているようだ。それでも今夜は様子を見なくては。
そして、状況が変わらなければ、明日、医者に診せよう。
溜め息を吐く。
そして、どうか何事も起きないようにと祈りつつ、私はソファに身を沈め、目を閉じた。
***
「熱くない?」
「大丈夫です、ちょうどいいです」
僕はベッドの上で上体をクッションに埋め、温かい牛乳を飲まされつつ答えた。
赤い髪のお兄さん──カガリさんに拾われて一晩。
昨日は完全に意識無くしてたから、彼に拾ってもらえて本当に助かった。
もし、そのままだったら、目が覚めたらケモノに齧られてた、なんてことになってたはずだ。
とりあえず話せる程度には回復した僕に、何か口にしたほうがいいとカガリさんが持ってきたのは温めた牛乳だった。
過保護らしいカガリさんは、僕に大きめのスプーンで牛乳を飲ませてくれた。
多分、こういうことはあんまり慣れてない人なんだろう。飲ませるというか、口に流し込んでいる感じで、僕は一度咽せてしまった。
……僕だってこんなふうにしてもらうのは初めてだ。当然、勝手がわからないから飲み方も下手くそなんだと思う。
何にしても、こうしてちゃんと見てもらえるって、とってもありがたくて嬉しい。
口の端に少し垂れた牛乳をタオルでモフモフと拭いながら、カガリさんが僕に聞いた。
「足に力は入る?」
「うーん……だるい感じがして、まだちょっとです。手はこの通りなんですけど」
毛布の上に乗った手を、グーパーして見せる。すると、彼に軽く手を取られて、しっかり握るよう促された。
カガリさんの手をきゅっと握ってみる。……思った以上に力が入らない。
「やっぱり全然、力は入らないみたいだね」
「……うぅ」
ふがいない手指に情けない気持ちになる。
「ごめんね、イヤだったね」
思わず声を漏らした僕に、カガリさんは手を離した。
そして、少しホッとした顔をする。
「それでも、まずは目が覚めてよかったよ。君が言ったとおり、ちゃんと回復しているってことだろうね。君はあんなこと言っていたけど、医者に見せようと思ってたんだよ」
そうなんだ。
お医者さんは勘弁してくださいってお願いしたのを、カガリさんはちゃんと聞いていてくれてたんだ。
彼は僕の頭をぽふぽふしつつ「お医者さんは怖くないよ? 注射くらいされるかもしれないけど」と言った。
反論を試みるも、そのまま頭を撫でられる。心地よい感覚に、僕は反論できなくなってしまった。
笑いながらカップなどを片付けに部屋を出ていくカガリさんの背中を見送りつつ、僕はまだとろとろと溶けたような思考能力を働かせる。
本当にひどい目にあってたみたいだ。
回復にこんなにかかるなんて、余程のことだ。
カガリさんに拾ってもらえてよかった。
今回はそういう意味ではついてる。体力の回復もあと2日ほどもあれば大丈夫そうだ。
さて、どうしよう。
……考えようとしたけど、まだ頭がちゃんと回らない。考えなきゃいけないことはたくさんあるのに。
「どうしたの? どこか具合が悪い?」
部屋に戻ってきたカガリさんは、僕の顔を見て言う。
ぎゅう、と目を瞑ったタイミングだったから、痛そうな顔にでも見えたのかもしれない。
「大丈夫です、考え事してただけです」
「お医者さんが怖かったかな」
「違いますよ」
お医者さんのことをまだ言ってるので、今度は明確に否定した。
「よしよし、いい子だから少し眠って。寝たらまた少し良くなるから。子供は本当に回復が早いね」
「あ……、はい」
言い返したいところもあるのだけれど、また頭をわしわしされたので、やっぱり今日は彼の言うとおりにしよう。
***
レギが目を閉じるのを見て、カガリは寝室を出る。
レギはどうやらかなり眠りが浅い質らしく、ほんの少しの物音でもすぐに目を覚ましてしまうためだ。ちゃんと眠らせたかった。
「なかなか気を使わせるね」
カガリは苦笑して呟く。
ともあれ、レギの状態は随分改善したように見える。
本人が言ったとおりだった。
「あの、僕……、身体は凄く元気なんです。でも、事情があって、たまに手足に力が入れられなくることがあるんです。心配はいりません」
カガリが何かの病気かと尋ねると、レギはそれに「呪いのようなもの」だと答えた。
なんとも言いがたい表情をするレギに、カガリはそれ以上何も聞かなかった。
聞いたところで、自分に何ができるわけでもないからだ。
一方、室内のレギは、カガリが退出した後にまた目を開いた。
手はなかなか動かず、脚にも怠いような重いような感覚が残り、立ち上がれるだけの力はまだ入らない。
手が動かせないのが不便なのか、なんとか動かそうと試みるものの、やはりスムーズには動かなかった。
諦めたように手を戻すと、レギはぼんやりと天井を見上げる。
力の入らない手を腹部に乗せ、撫でた。
「おなか……、気持ち悪い……」
ポツリと呟いて、また目を閉じた。
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