第4話 赤いたぬき
「……カガリさん」
「うん、久しぶり」
背後から掛けられた声に振り返った僕の目の前には、カガリさんが立っていた。生前とほとんど変わらない姿形で。
ほとんど記憶に残っていない葬儀の記憶の断片。それでも明確に覚えている、確かに灰になったカガリさん。
えんが言ったんだから、間違いなく本当に帰ってきた彼だろう。けれど、なんだか信じられなくて、それ以上言葉が出てこない。
そんな僕の様子を見かねてか、彼はすっと腰を落とすと、手を伸ばして僕の頬を撫でた。とても温かかった。
でも、あの時の冷たい手が蘇って、ふるふると身体が震えだす。
「レギ?」
「……思い出しちゃうよ……」
頬を包む手に自分の手を重ねて目を伏せる。
「……あのときのカガリさんの手、すごく冷たかったんです……」
「……」
「……僕っ……文句を言いに来たんです……!」
そっか、そうだよね、と彼は答えた。
また言葉に詰まる僕を、ふわりと抱く腕。夏に咲く、白い花の香りがする。
耳元で囁く穏やかな声は、──やっぱり、カガリさんだ。
言いたいことがいっぱいあったのに。ああ。やっぱり何にも言えなくなっちゃうんだ、僕。
「……怒って、る、んですからね?!」
「うん。ごめんね」
抱きしめる腕に力がこもる。
「だから、こうして戻ってきた」
「……か、カガリさんの……、ばか!」
「うん、私は馬鹿だよ。約束を破って、君に何も言わずにいなくなった馬鹿だ」
「……カガリさんはっ……ばかじゃない……!」
クスとカガリさんは笑った。
困ったな、と呟いて。
「どっちかな」
「わ……わかんない……、……うあぁぁ……っ!」
なんなのかわからない感情が、涙と叫びになって溢れる。
嬉しい?
怒ってるの?
自分ではわからない。
座り込んで泣きじゃくり立てなくなった僕を抱き上げ、小さい子供をあやすみたいに僕の背中をトントンと叩きながらカガリさんは立ち上がる。
「話したいことは私にもたくさんあるんだ」
でも、と続ける。
「まずは、落ち着いたほうがいいね。私の住処に案内するよ」
そうして、彼は僕を抱いたまま歩き出した。
*
森の中を少し進んだところで、カガリさんは立ち止まった。
周囲に生えた木々よりずっと大きな木。
大人が3,4人手をつないでやっと囲めるくらいの太さの幹。
豊かな緑の葉を揺らす大木の幹に、彼は手を触れた。
そこに、見慣れたドアが現われる。……ティニの家のドアそっくりだ。
ここに来る前に家に立ち寄ったときには、ちゃんと向こうにもドアはあったから、こっちは複製なんだろう。
カガリさんはドアを開く。どうやら、ポータブルルームのような仕組みらしい。ドアの内側には玄関ホールがあった。これもティニの家にそっくりだ。
中に入ると、ティニの家にあった家具がほぼ向こうにあったときと同じ配置で置かれた部屋があった。
僕はソファに座らされる。
驚きで嗚咽も止まってしまっていた。唖然としたまま室内を見回す。
室内の作りも向こうの家そっくりだ。空間の構造をそっくりそのままティニの家の形にしたんだろう。
「すこし驚いたみたいだね」
そう言いながら、カガリさんは僕の隣に腰掛ける。同時にモフッとしたものが僕の身体をくるんと包んだ。
それは生前とほぼ変わらない姿の彼にくっついた、見慣れないものだ。
「……しっぽ?」
「うん」
「……お耳」
「うん」
「たぬき?」
カガリさんがしてやったり、みたいな顔をした。
「たぬきじゃないよ、山猫。耳の先が丸いからね、そう見えるよね」
彼には、見慣れないものが二つ、くっついていた。
一つはモフモフのしっぽ。髪とは毛質が違うけれど、これも綺麗な赤。
もう一つは耳。頭の上の方にくっついた、先端がとがってない耳。本来の耳があるはずの場所は、髪に隠れて見えない。
「……た、たぬきかと……」
「そう言うと思った」
エンにも言われた、と彼は笑う。
僕もつられてしまう。
「すみません……まるかったから……」
「実際、人型になるとそう見えるから仕方ないよ。本来は山猫に似た姿なんだ」
太いしっぽの先が、ぴこぴこと動いて僕をくすぐる。モッフモフで気持ちいい。
しっぽであやされているらしい。
むぎゅ、としっぽをつかまえてみる。
あんまり強く握ったらダメだからねと言い、それから彼は話し出した。
「レギ、本当にごめんね。約束を、守れなかった」
「……誰だって寿命なんてわからない」
ただ、あまりに唐突だったから。
急においていかれたから、ちゃんと自分のなかで納得できてないだけ。
怒るなんて、お門違いもいいとこだ。
「体調が悪かったとか、そういうことがあったんですか?」
「いや、全然。前にも話したことあったよね。魔法使いの老衰は突然だって」
普通の人間の老衰とは全然違うんだ、と彼は言った。
魔法使いは若い頃の姿を保っている人が多い。容姿だけじゃなく、肉体的にも。それは、彼らが身体を若く保つ魔法を無意識に使っているためらしい。細胞単位で身体を若く保っているから、仮に医学的な検査を行なったとしても異常を見つけることは難しい。
そのため、実際の衰弱の度合いはわからないんだという。当然、当人にもそれはわからない。
魔法使いの老衰は、生命活動があるとき突然停止するというかたちで表われる。
「若い頃に無理をしていると、衰弱も早いって言われてるんだ。実際のところはわからないけれど、確かに私もかなり滅茶苦茶なことをしていたから」
それは、彼の過去のことを考えれば、無理からぬことではあったけれど。
この世界においての人の寿命は平均でおよそ110歳。魔法使いは140歳程度まで生きる人が多い。そんな中にあって、70歳というのは早逝と言っていい。
「……わかってはいるんです。けれど、あんまり唐突で、早すぎたから」
「そうだね。ちょっと早すぎだったと思うよ、私も」
「……罰、なのかなあ……」
僕が呟いたそれに、カガリさんは首を横に振った。
「短命はただの寿命だ、罰なんてとんでもないよ。……そして、これからの時間こそが私に課せられた罰なんだ」
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