第5話 罪

 レギを寝室に連れて行く。


 よほど私の尻尾が気に入ったのか、グスグスと泣きながら尻尾をしっかり抱きしめ、そのまま眠ってしまった。


 しかし、今更だが本当に不思議な子だ。

 長く……、とても長く生きているのに、この子の魂は瑞々しく透明に輝いている。背負うゴウの量がまるで嘘のように軽やかで清らかだ。


 マモノになって、人の魂が見えるようになった。

 レギは人ではないが、魂を持っている。

 生まれて間もない赤ん坊のような綺麗な魂。

 これこそは、彼が人ではないことの証明なんだろう。


 涙でぐしゃぐしゃになっているレギの顔を拭い、乱れた髪を指で梳く。

 この子は眠りながらも私の尻尾を離そうとしない。

 正直なところ、尻尾を掴まれるとぞわぞわして落ち着かないが、こうなってしまっては仕方ない。

 レギをベッド寝かせて、自分も横になる。

 銀の髪を撫で、自分の尻尾ごとまるくなって眠るレギを抱き寄せた。

 温かくて小さい身体が、ときどきしゃくりあげながらも安らかな寝息を立てている。

 この一月、レギは眠ることもできていなかったとエンから聞いた。それを語った彼の苦渋に満ちた表情は、いつか初めて彼に会ったときに感じたものと同じ感情を滲ませていた。


 ああ。いまなら。

 その感情が何なのか、痛いほどに理解できる。


 この子をこんなに泣かせたくなかった。傷つけたくなかった。苦しませたく、なかった。

 こんな思いをさせるなら、私のことなど忘れさせてやりたかった。


 そして、この子の主人たちが、この子の記憶や感情を抑え込むことを許可した理由が理解できた。

 忘れることができなれば、この子は立ち上がることすらできずに、死ぬことも叶わず、記憶を抱いたまま永遠に泣き続けることになる。

 それがどれほどに残酷なことか。


 だから、感情を封じ込めた。

 ──『愛』を忘れさせた。


 それだけが、彼らがレギにしてやれる事だった。


 彼が、独りで歩き出せるように。

 カミサマが彼に約束したという仕事ができるように。


「偶然の産物が、ここまで世界をかき回すことになるなんて、さすがにあの方も思わなかっただろうね」


 まだ太陽は天高く、眠る時間でもない。

 けれど、安らかな寝息を立てるレギを抱いているうちに、私にもゆっくりと睡魔が降りてきた。

 時間はある。私も少し眠ろう。


 この子が泣き叫んだあの日のことを思い出しながら、私は微睡みに沈んでいく。




 ***




 ──1カ月前。


 レギと私が手入れをしている庭で、そろそろ暑くなり始めた季節に合わせてさまざまな花が競うように咲いている。

 3日前にワディズでの仕事を終えて帰宅した私たちは、家や庭の掃除などをしながらのんびりとした時間を過ごしている。


 庭に水をまきながらきゃあきゃあと騒いでいるレギを、私はウッドデッキから眺める。


「びしょ濡れじゃないか、ちゃんと拭いてから家に入らないとダメだよ?」


 声を掛けると、レギが一瞬にまっと笑った。

 手にした水桶と柄杓に、透明な水が燦めく。


「お水、気持ちいいですよ~!」


 そう言って目を閉じ、それから再び目を開いたときには、空中に水が舞っていた。

 桶一杯分の水が空中で渦巻き、霧のような飛沫を散らしながら虹を作る。水やりのために使っていた魔法を少しいじったんだろう。

 私が腰掛けていたウッドデッキの椅子の方にも、たくさんの飛沫が掛かった。

 着ていた薄手のシャツが水に濡れて肌に貼り付く。


「うふふ、カガリさんお肌がスケスケです」


 きゃーエッチなどと言うが、誰のせいだと言い返すとレギは嬉しそうに笑った。

 こんな他愛のないイタズラや言い合いを当たり前のようにしながら過ごす穏やかな日常。

 そんな日々はまだ続くと思っていた。


 濡れた服を脱いで着替え、リビングに戻る。

 やはり着替えが終わったレギは、ダイニングの椅子に腰掛け、私が戻ってくるのを待っていたらしい。


「まったく、ひどいイタズラをするね。髪までびっしょりだったよ」

「僕、まだ濡れたまんまです」

「君は風邪引かないからね」

「ちょっと調子に乗り過ぎちゃいました」


 レギがペコリと頭を下げる。ごめんなさい、と言いながら。

 素直すぎる。これだから、この子は。

 頭を撫でると、顔を上げてほんのりと頬を染めた。


 その直後だった。

 

 脚から力が抜けていくような感覚に気付く。

 ソファに腰をかけ、脚を上げようとしてみるが、脚には力が入らず、ほとんど上げることができなくなっていた。

 まさかと思った。

 無理を重ねた身体、寿命は長くはないとわかってはいたつもりだ。

 けれど、こんなに早く?

 いや……、ここまで生きられたこと自体、本来なら奇跡とも言える。


 私は過去に何度も、死にかけるようなことをしている。

 都度、友人たちの魔法や自力で生き延びては来たものの、その回数は片手では収まらない。

 一度死にかければ、それだけで生命の残量が大きく削られる、と言われている。どこまで本当かはわからないが、10年近く寿命が縮むとも。

 あくまで、そう言われているだけの話、事実というわけでもないが……現実にこうなってしまうと、はやり本当のことだったのだと思わざるをえない。


 魔法使いの寿命。

 ある日突然訪れる、最後の瞬間。

 それが今まさに、目の前に迫っている。


 そして気付く。

 レギに、何も伝えていない……!


「レギ」

「どうしたんですか?」


 本を読もうとしたのか、テーブルの上にあった本を手に振り返るレギ。何気ない動作に目を奪われた。

 君は、綺麗だ。


 手からも力が抜ける。鼓動が弱まり、呼吸も浅くなる。


「──どうやら私はここまでみたいだ」


 突然すぎて理解ができなかったのだろう、微笑みに不思議そうな表情を重ねるレギ。


「カガリさん?」


 身体から、力が抜けていく。ソファの背もたれに身体を預けた。


 君を残していかなければいけない。

 君は悲しむだろう。こんなに突然、君を置いていくことになるとは私も思わなかったんだ。


「……ごめんね、レギ」


 目を開いている力も無くなったらしい。ゆっくりと視界が暗くなる。

 ひとつ、息を吸った。



 *



「おい、カガリ」


 聞いたことのある声に意識が呼び戻される。

 目を開こうとして、既に視界が開けていることに気付いた。

 私がいるのは自宅のリビングだ。そして隣にエンがいた。私を呼び戻した声の主は彼だった。

 ソファに身体を預けていたはずだったが、どうやらソファの上に浮いた状態らしい。

 下に自分の姿が見える。

 つまりは私は死に、精神が身体を抜け出した状態になっているらしい。

 まだ、ぼんやりとしている私に彼は言う。


「カガリ、君を迎えに来た。だが、行く前にレギの姿をよく見ておけ。これが君の犯した罪だ」


 ……罪?


 それまで聞こえていなかった音が、突然聞こえた。


「ひとりにしないで……! ……ぼくをおいていかないでっ……」


 絶叫、悲鳴。

 私の遺骸に縋り、泣き叫ぶレギの姿。

 家の外から数人がリビングに飛び込んでくる。

 駆け込んできた人間の中に、ビコエやトズミの姿もある。

 魔法使いが死ぬと、気配が途切れるという形でちかしい人間には伝わるんだったな。彼らは気付いてくれたんだろう。


 トズミに抱きしめられ、私の遺骸から離されるレギ。

 ──あんな顔、見たことがない。

 絶望に染まる顔。苦痛に満ち、泣き叫ぶ姿。

 必死に手を伸ばし、縋ろうとし、絶叫する。

 

 エンが呟いた。


「死ぬこともままならないあの子に感情を戻してしまった。君があの子に与えた愛の毒があの子を蝕んだ。……その結果がこれだ」


 コトリと悲鳴が止まる。

 見ればトズミに抱かれたレギは失神ショートしてぐったりしていた。

 あまりにも酷い姿に胸が潰れそうになる。

 思わずエンに掴み掛かった。


「なにか……なにかできることはっ、ないんですか……!?」

「ない。今は何も。──あとは記憶を消すか、想いを制御するか」


 エンの顔からは感情が読み取れなかった。

 ただ、レギをずっと見守り続けていた彼が、レギのこんな姿を過去にも見ていたことは容易に理解できた。


 ──あの……、○○まるまるって……、なんですか?


 つまりは、そういうことだった。


「あの子には、毒だったんだ。それでもあの子は、わかっていて求めてしまった」

「……」

「君も辛いだろうが理解してくれ。行くぞ」

「……! どこに?」

「君にはゴウがある。故に与えられる役目がある」


 そうして、エンは笑みを浮かべた。


「制御者のところだ」

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