第6話 『制御者』
そこにたどり着くまでに、一体どの程度の時間が掛かったのだろう。
この状態になって、時間の感覚が失われているようだった。ほんの一瞬のようにも何日にも感じられたが、実際のところはわからない。
エンに導かれ辿った道は奇妙なもので、言葉に表現することが難しい。時間空間をゆがめて球状にしたものの
窓の外の断崖絶壁とその先に広がる真っ白い大地。そして、天を衝くように枝を伸ばす巨大な木が遠くに見える。
誰もいない石造りの廊下の先は、広い聖堂のような空間だった。高い天井と、幾つも並んだ窓枠には流動しながら鮮やかに色を変える板状のものが嵌め込まれ、磨かれた床に不可思議な光の模様を落とす。
最奥には複雑な文様を刻んだ壁と、銀の縁取りが施された黒基調のタペストリー。竜と思われる意匠が銀糸で織り込まれている。
タペストリーの前には玉座が据えられており、その前には人影がひとつ。
「待たせたな、連れてきたぞ」
エンはそう言って私を促した。
その人物の前に進み出ると、玉座の前に立っていた彼は口を開く。
「ありがとう。……待ってたよ、カガリ・ユーニティ」
穏やかで柔らかい口調。彼は私を見つめ、小さく頷いた。
目の前の人物は、写真などで何度も見たことがあった。
間違いない。この人物は……。
「やっぱり私に似ているね、君
「貴方は……、『旋律の主』」
「そう。私はクラート・ムジカ。いまは『制御者』と呼ばれてるよ」
そう答えた彼は、静かに微笑む。
写真の中にあったあの人物が、目の前にいることが信じられない。
彼は自身を『制御者』と名乗った。
レギの
レギは私を彼の子孫だと言ったが、……なるほど、写真ではあまりよくわからなかったが、彼が言うとおり確かに似ている。そっくりというわけではないが。
「カガリ、まずは君に感謝を。セロ……、いや、レギを愛してくれてありがとう。結果として、あの子にも君にもつらい思いをさせてしまったけれど、あの子に寄り添い、救いになってくれたことに心から感謝しているよ」
そして彼は目を伏せる。
彼の微笑みの奥に感じる想い。エンが言った、私の罪。
私は理解する。繰り返してしまったんだと。
「私は……貴方をも苦しませてしまった……」
「私たちのことはいいんだ。──これはセロが望んだこと。あの子も自分のやったこと、君にさせたことは理解する」
再び顔を上げ、彼は私の顔を見る。
ただまっすぐに、穏やかに見つめられた。恐ろしくなるほどに。
「カガリ・ユーニティ。君の名で間違いないね?」
確かめるように訊ねる。肯く私の額にスッと手をかざした彼は、チリ、と左手首に下げた鈴を弾いた。
途端、ザアッと足下から奇妙な感覚がした。徐々にせり上がってくる。身体の何かが組み変わっていく感覚。もとより肉の身体ではないものの……この感覚はなんだ。
『制御者』クラートは、違和感に戸惑う私に言う。
「君は
「監視者?」
「そう、監視者。君たちが言うところのマモノだ」
マモノ?
マモノが監視者だと?
クラートは困惑する私の肩に手を置く。
「マモノは、私が
「私も、マモノになれと?」
「そう」
「元の世界で?」
私の問いに、そうだよ、と制御者は肯いた。
「君にはたくさんのケモノやマモノを殺した業がある。そして、奪った命によって君自身は強くなった。今度はその力を使って、配置された地域を監視してもらうよ」
監視、……か。
国に不穏な兆候があれば、マモノが動く。それは国がマモノに監視されていればこそで、なにもおかしな話ではない。
「監視する理由は……」
「国外に手を伸ばすための戦力を持たせないためだよ。人同士、国同士を争わせないために。人口をあまり増やしすぎないこと。生きるために必要な糧が簡単に手に入ること。大きな余裕はなくても、食べることや生活に困らなければ、人々に不満は溜まりにくい。狩人の数やランクを見ながらケモノの数を調整して、必要な資源が過不足なく行き渡るようにするのも監視者の仕事」
……マモノはそんなこともやっていたのか。
『監視者』の策は確かに実を結んで、各国はマモノの動きに注力し、対外戦力をほぼ持てずにいると言っていい。そもそもの人口が少なく、各地域ともケモノの対策で精一杯だからだ。そのお陰か、ここ100年ほどは戦争というものは起きていない。それほど、マモノが厳密に監視をしているということなんだろう。もしかすれば、人型になったマモノが国の中枢に入り込んでいたりもするのかもしれない。
地域を監視するマモノ……元高ランク狩人複数名と無数のケモノを相手に、大した兵器もない人間の軍隊など、束になっても相手になるものではない。
──世界を立て直した『旋律の主』は、死してその後も『制御者』となり世界を見守っていたということか。
「……まあ、建前はそんなとこなんだけど。
『制御者』の、神聖なものというよりはもっと世俗的な……まさに仕事の管理でもしているような雰囲気に、少し肩の力が抜ける。
「そうそう。君はそういう顔しててくれればいい。世の
監視と調整はちょっとめんどくさいこともあるかもしれないけど、と『制御者』は人差し指を立て、唇に当てて言った。
「それからもう一つ、君にはやり残した……やらなきゃいけないことがある。あの子を……、助けてあげて欲しい」
クラートは穏やかに笑う。
それはきっと『制御者』ではなく、『レギの主人』としての言葉だった。
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