最終話 魔法使いは○○をうたわない

 んー、よく寝たぁ……。

 久しぶりにぐっすり眠った気がする。


 1ヶ月、多分ほとんど寝てないんだよね、僕。

 繰り返し記憶が消えまくってるせいで、正直そんなに時間が経ってるとは思えないんだけど、そもそも眠るって行動が頭の中になかった。そのくらい、混乱状態だったんだと思う。

 えんがカガリさんの帰還を伝えてくれて以降、だんだん落ち着いてきたみたいで、繰り返し記憶が飛ぶことはなくなったし、あのときのことは今もちゃんと記憶している。

 でも納得はできてない。あの時のことが嘘だったんじゃないかとすら思ってる。信じたくない。

 まだ……僕はちゃんと向き合えてはいないんだろうな。


 そんなことを考えながらも、寝返りを一つ。よく眠れたお陰でスッキリしてて気分もいいけれど、まだ起きたくない。

 僕の上に乗った暖かいものをギュッと抱きしめる。モフモフしてて気持ちいい。

 カガリさんのしっぽだ。いいにおいがする。

 ……ちょっとプルプルしてるような気がするけど。


「い、痛いんだけど、……レギ……!」

「へっ? ……うえぇ、ど、どうしたんですか!?」


 モフモフを握りしめたまま、何か踏んでるのかと思って慌てて飛び退く。けれど、さらに悲鳴が上がる。


「し、尻尾! 尻尾……っ!」

「うえぁぁああ!? しっぽ?!」


 びっくりした拍子にぎゅむーっとやってしまって、カガリさんが悶絶する。しっぽがボワッてなった。


「尻尾……離してくれないかな……」

「うえ!? は、はいっ」


 やっと理解が追い着きようやくしっぽを放した僕に、たぬきっぽい山猫耳をイカ耳にしたカガリさんは、ホッとした顔をしてしっぽを振った。フッサフサと動くから、思わず飛びつきたくなるのをぐっと我慢する。


 それにしても、……なんだろう。カガリさんがすごく自然だ。

 前とそんなに変わったことはないのかも知れないけれど、生まれ変わってくるまでの間になにかあったんだろうか。……なにかなきゃおかしいか。人とは違うものになったんだし。

 元々あまり感情表現は豊かな人ではなかったんだけど。


「すみません、しっぽ掴んだら痛いんですね」

「……うん、ギュッとはやめてね」


 しっぽをフサフサ揺らして困った顔をする彼に、僕は今度こそ飛びついた。

 不意打ちみたいだったから、抱き止め切れずにカガリさんは後ろに倒れてしまう。でも、お構いなしにその上に乗っかってしがみ付く。

 彼は温かくて、息もしてる。楽しげに笑う彼の顔は、以前と同じだった。

 僕には、こうやっていつも笑ってくれる。

 驚くほど、僕に対してだけは感情がストレートに出てくるんだなって、ビコエさんたちも言ってた。

 何も、……何も変わってない。

 本心ではそんなはずがないと思いながらも、僕はまだそう思い込もうとしているらしい。

 しがみ付いた胸の上。頬をスリスリと擦りつける。温かくて気持ちいい。


「くすぐったいよ」

「少しくらいいいじゃないですか。再会したのにいままでずっと眠ってて、何にもできなかったんですから」


 擦り付けついでに、ペタと胸に耳を当てた。


 多分ほとんど無意識に、“それ”を確かめたかったんだと思う。

 けれど。


 ──鼓動が聞こえない。


 そうだ。当たり前だった。

 マモノには心臓がない。そんなこと、知ってたはずだ。

 気が付いたとき、突然僕は、彼が人としての生を終わらせたんだ、と……理解した。

 何かが胸の中で音を立てて壊れ、中から名前の付いたいろんな感情が溢れ出した。


 愛するものを亡くしたんだ。

 だから、とてもつらかった。

 ひとりにされて、心細かった。

 置いてかれたとさえ思って、怒ってもいた。


 彼の死に、最初はただただショックで泣き叫んだうえに記憶を飛ばし、再会したときはその気持ちが何なのかわからない、ぐちゃぐちゃな気持ちのまま泣くだけだった。

 自分の気持ちがどうなってたのか、全然わかってなかった。


 そんな、納得できずに抜け落ちてた想いが、ようやく本来あるべき形になって、胸の中にストンと落ちた。


「カガリさんは、亡くなったんですね」

「……うん。私は君を残して死んだ」

「やっと……理解しました」


 ポロポロと涙が落ちた。

 声を上げて泣くわけでもなく、涙がただ滂沱として。

 もう、彼の胸からは心臓の鼓動は聞こえない。

 それでも温かい腕は、守るように僕を抱き寄せた。


 そうやって、こんなに時間が経ってやっと理解できた。

 僕は、彼を失ったことがなにより悲しかったんだ。



 *



 どのくらいの時間そうしていたかわからない。

 カガリさんの上に乗って抱かれたまま、窓の外をぼんやりと見ていた。

 空間を歪ませて作った室内にはちゃんと窓があって、そこから外の風景が見えている。森に真上から差し込む強い陽光は、散々泣いてた僕の目には木漏れ日ですら眩しかった。

 外、暑そうだな。



 僕の頭は、次に考えなくちゃいけないことを考えるのを拒否してる。

 まだ、考えられるほど元気が出なかった。


 カガリさんは僕の頭や背中をずっと撫でてくれてた。

 おかしな気分だろうな。

 自分が死んだことを嘆く僕を、自分で慰めるなんて。


「すこしだけ、落ち着いたみたいだね」

「……はい」


 この状態ではカガリさんの顔は見えないけれど、穏やかな声が胸にくっつけたままの耳と上の方の耳、両方から聞こえる。


「焦らなくていい。だれだって急に元気になんてなれない」


 呟いて、僕の頭を撫でるカガリさん。

 彼の言葉に僕は頷く。 


 次に進むために必要な時間なんだよ、と彼は言った。


「それじゃあもう少し……、甘えさせてもらえますか?」

「勿論」


 カガリさんは笑って頷いた。




 ***




 ──あれから、1週間ほど経った。


 レギが、自然に笑うようになった。

 食べられるようになった。

 ちゃんと美味しいって思える、と泣くこともできた。


 少しずつ。

 元のレギに戻ってきた。


 ソファに腰掛けた私の膝の上で、レギが本を読んでいる。片時も離れずに、この1週間そばにいた。


 何気なく前に回していた手でおなかをそっと撫でる。

 レギは何となく理解していたんだろう。私が考えていたことを。


 もう、つないだ手を離さなければいけない時なんだと。


「時間ですよね」

「……そうだね」


 おなかを撫でている手に自分の手を重ね、きゅっと握る。

 声が震えている。


「我が儘、言っていいですか?」

「うん」

「封じてほしいです、あなたの手で僕の想いを。でないと、僕は前に進めないから」

「──うん」


 レギが『愛』という言葉や意味がわからなくなったのは、過去に使われたプログラムの影響だ。

 コードを書いたのはクラート、実行したのはエン。レギは理解した上で、想いにロックをかけたという。

 その際に使われたプログラムはレギの中に残っているが、それを私の手で再び実行してほしいとレギは言った。


 本を置いたレギは、胸の中に小さい身体を預けてくる。


「僕、あなたに逢えてよかった」


 振り返り微笑んで見せたレギ。

 今にも泣き出しそうな顔。


 この子を、もう二度と泣かせたくない。

 そのためならば。


「わかった。私の声で、引き金を引くよ」


 ソファにレギを横たえ、唇を重ねた。


 ──私を愛してくれている君とのキスは、これが最後だ。




 ***




 僕、本当は、ここにずっといたい。


 でも、カガリさんがここに戻ってきたのは、ただ僕と話をするためじゃないし、まして僕をここに留めるためなどでもない。

 彼は新しい役目を与えられ、この地に居続けなければいけない。


 そして僕は。

 もう、旅に戻らなくては。


 *



「──っ、……!」



 ……胎内に熱を感じる。


 でも彼はもう、人じゃない。

 この行為だって、マモノはしない。

 彼に人の記憶や感覚があるからしてるだけで、本来は必要のないもの。


 思いだけが、今の彼や自分自身の在るべき姿をねじ曲げてしまってる。身体や姿に追い付いていない。

 あらゆることの妨げになってるんだ。


 二人分の体重が、ソファを軋ませる。

 与えられる快楽に、意識が朦朧としてる。

 これで満たされるのは、もう最後だから。



「お……ねがい、しま……すっ……! いま……! 封じ、て……ください……!」

「──うん」



 想いを、おなかの中に封印する。

 あなたの結晶と一緒に。


 絡めた指先。

 こもる熱と汗。


 耳元で、カガリさんが囁く、命令起動の言葉。


 脳内のスクリーンに、言葉が命令文として入力されていく。



 >Command ?


 >set subconscious.hide|( 1, "○○" );



 そして、彼は命令する。


実行Enter



 スクリーンに文字列が流れ始める。


 ……ああ、これで。

 僕はこの気持ち、わかんなくなっちゃうんだな。

 胸が締め付けられたり、温かくなったりする、心地よくて、時につらい、この気持ち。


 ほんとは、わすれたくないよ……。


「カガリさん、あいしています……」



 僕の初恋、だった。



 ──ふつ、と脳内のスクリーンが消え、意識が落ちる。



 *



 ゆるゆると意識が浮上してくる。

 プログラムのせいで、一度リセットがかかったらしい。


 目を開けた。

 景色はなにもかわらないけど、少し彩度が落ちて見えるのは何故なんだろう。もっと、世界は鮮やかだった気がする。


 カガリさんは、僕を見つめていた。

 不意に、彼の表情がゆがむ。

 彼の頬に手をのばした。

 僕の感情を封じてくれた彼に。


 指先が濡れる。


「ごめんなさい、カガリさん。……ありがとうございました」


 彼はわずかに首を横に振り、僕の頬にキスをする。

 頬を濡らす温かい雫。


 あなたに、そんな顔させたくなかった。

 理由はもう、今の僕には理解できないけれど。


「……僕はカガリさんが大好きです。本当の意味はわからなくなっちゃったけど」

「それでいい。……それでも、私は君を○○しているから」

「はい」



 よくわからなかったけど。

 でも、何故か嬉しくて、ちょっとだけ泣いた。





 ***





 ザワザワと木立が風に揺れる。

 真夏の風は、森の中を心地良く吹き抜けていく。

 時折、花の香りがした。


 カガリさんと再会した泉のそばまで、彼は僕を見送りに出てくれた。

 僕は身軽な旅装。カガリさんは普段着。

 僕の服を軽く直しながら、彼は口を開く。


「くれぐれも気を付けて。君は危なっかしいんだから」

「わかってます、できる限り気を付けます」


 僕の頭に手を乗せ、グリグリなで回される。

 にこやかな顔してるのに、彼の耳やしっぽに元気がないのはご愛嬌だ。


「もー、そんなに寂しがらないでくださいよ」

「子供じゃないんだから、私は平気だよ」


 負け惜しみみたいに言う彼の態度。

 なんだか綺麗な姿に見合わなくて、可愛いとすら思えた。


「また、遊びに来てもいいですか?」

「勿論、いつでもおいで。待ってるよ」

「はい! ……しっぽがくすぐったいです」


 くるりと回したしっぽに顔をモフモフされた。

 目尻に少し溜まってた水分が、しっぽの先で散らされる。

 彼らしいやり方だった。


「そんな顔されると、私も寂しくなるからね」

「僕のせいにしますか?!」

「おあいこでしょ」


 くつくつと笑うカガリさんに、つられて僕も笑う。

 笑いながらふと見れば、泉のそばにあった花木に白い花が咲いている。さっきから漂う香りはこの花だったらしい。

 カガリさんの香りと少し似た香りがするそれは、森の中を抜けてくる風に揺れていた。


 しっぽの攻撃から逃れるみたいにして花木に近づき、花を一輪、手折って戻る。


「本当に、ありがとうございました」


 そう言いながら、花を手渡した。

 

「梔子だね。花言葉を知ってる?」

「はい。……それでは」

「うん。またね」

「はい、また!」


 ポンと背中を押してくれた彼に、僕は振り返らずに走り出した。

 あっという間に、彼は遠くなっていく。

 時間と距離を置いて、確実に。


 そうして、僕は僕の役割や目的を果たす旅に戻る。

 これまで頑張ってきたんだし、これからも頑張らなくちゃいけない。

 あとどのくらい、頑張らなきゃいけないかはわからないけど。


 だからこそ。

 背中を押してくれた、大好きな人のためにも。


 立ち止まらない。


 僕はもう、○○をうたわない。

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魔法使いは○○をうたわない ときの @TokinoEi

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