第3話 ウロ
高速飛行の魔法は、やっぱりあってよかった。
この魔法を組んでから40年ほどの間に、この魔法を使ったことはそれほど多くない。けれど、使うときというのはだいたい緊急事態だ。だからその度にそう思った。今回は別に緊急事態ではないけれど、気持ち的には緊急事態、なんだろうな。
海を越え、幾つかの陸地を過ぎ、ようやく国に到達した。
高度も速度も落として目的地を目指す。程なく、久しぶりに見る山岳地帯の光景が広がった。
大きく連なる山の麓は長く大きい。伸びた先には盆地があり、小さな盆地の中央には湖がある。あのあたりはワディズだ。ワディズから道を辿って視線を麓の方へずらして行くと、それほど大きくない村が木々に隠れながら広がっているのが見えた。あれがティニ。
昔、『旋律の主』が住む『領域』があった土地だ。今はその面影はない。それはそうだ、もう250年近く前の話なんだから。
えんの話では、カガリさんはティニに戻ってきたという話だった。
ただ、具体的にティニのどこのあたりに戻ってきたのかという話は聞いていない。
少し考えたあと、僕はとりあえず家に向かった。
道すがら、村の共同墓地を通り過ぎる。
ここに、彼の灰もある。
ぐぐ、とおなかが痛くなった。内側から蹴られるみたいな感覚だったけれど、それはほんの一瞬だった。
彼が亡くなったあとの1ヶ月ほどを呆然として過ごしていたから、久しぶりのはずの家も久しぶりという感じはしなかった。
ウッドデッキに出したままになってたはずのテーブルと椅子。片付けるの忘れてたけど……、ないな。だれか片付けたのかな。
玄関前にふわりと降りて、鍵を開けた。
スペアキーはちゃんと持ってる。捨てられない。
中に入って、驚いた。
家財道具がほとんどなくなってる。
そして、微かに漂う白い花の香り。
──ついさっきまで、ここに誰かいた……!
慌てて外に飛び出し、上空へ。周辺を見渡してみるけれど、どこにも人影はない。
けど、多分そう遠くないはずだ。
家から街とは反対側へ。カガリさんの家はもともと村の中心からかなり離れた所にある。逆に行けばすぐに森だ。
意を決し、森に入った。
耳を澄ます。
何か、聞こえないか。
音を視る力は僕にはないけれど、聴力は高い。
聞こえすぎる僕の耳は、普段は雑音と判断される音を無意識にフィルタリングしている。
そのフィルターを解除した。
何も聞こえていなかった僕の耳に、さまざまな音が届き、僕はそれらに集中して、細かな音を聞き分ける。
森に住む沢山のケモノたちの足音、呼吸音。
湧き出す水の音、小川のせせらぎ。
野生の鳥の羽音、風に揺れる梢。
埋もれるほどに聞こえるさまざまな音。
その雑音の中に深く分け入って、音を探す。
香りの主の足音は、歩いているならそんなに遠くないはず。
──ちりん
あれは銀鈴の音。
誘うような、微かな。
けれど、静かに追えば、その音はランダムに間隔を空けながら鳴り続けている。
方角は、東。
多分、歩いている。僅かずつ遠のいていく。
思わず、駆けだした。
下草が生える豊かな森林。樹木の種類は多く、こぼれてくる日の光が草を育てている。
柔らかなそれらを踏み、森の奥へ、奥へ。
時々立ち止まって、音を追う。
ちゃんと近づいてる!
……これは、きっと。
わかるように音を立てているんだ。
僕が追いかけられるように。
僕を呼んでる音だ。
さっきから何度かケモノの姿を見かけるのだけれど、それらケモノたちは僕に襲いかかってくる様子がない。
つまりこれは、誰かの支配下にあるケモノたちが統制を受けている証拠だ。
多分、僕の予想は正しい。
彼は気付いている。
でも、わざとなんだな、これは。
さらに森の奥へ。
気付けば、僕は小さな流れの脇を走っている。
細く、小さく、綺麗な流れ。
源流のある方向に向かって走る。
その先にあるものを見つけ、足を止めた。
直径1メートルにも満たないくぼみから、僕が追っていた流れが始まっていた。
くぼみの中の透明な水面。音もなく底から湧き上がる水。
木漏れ日が反射して揺れている。
ふと視線を上げると、くぼみのすぐ脇では何かの花木が白いつぼみを付けていた。もう少しで花が咲きそうだ。
何の花かはよくわからないけれど。
しゃがみ込んで、水に触れた。水底の奥に大きな赤い宝珠を見つける。それは端が少し欠けていた。欠けたと思われる破片は見当たらない。
これは、ケモノのウロだ。
これからこの周辺に住むケモノたちが生まれている。宝珠が少しずつ溶け出しながら、時々ケモノを作り出している。
ウロがここにあるということは。
「レギ」
ああ。やっぱりそうだ。
彼は、ここで生まれて、……これからはこの周辺を守るんだ。
立ち上がり、ゆっくり振り返る。
「待ってたよ」
そこには、生前とほとんど変わらない姿で、カガリさんが立っていた。
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