第5話 ちいさな虚勢

 そうだった。

 そんなことあった。


 宿代をケチったので部屋に一つしかない寝台で、カガリさんにいつも通り抱き枕のように抱きかかえられている僕は、暑苦しいと腕を何度かのけようと試み、それに都度失敗し、諦めたところで《記憶の本》を開いてゆるゆるとそんなことを思い出していた。


 いま考えてみれば、マトクさんには山の中でちょっと妙な動きがあったし、さらにカガリさんは気になることがあるとか言っていた。

 あの時、マトクさんはヤズを見つけていたのかも。


「ひんやり」


 カガリさんが寝言を言って、僕を抱きかかえなおす。

 夏は体温がかなり低くなる僕の体は、どうもひんやりしてて気持ちがいいそうだ。


 ああ、暑苦しい。


 さらに、カガリさんの手のひらがほっぺたに無遠慮に落ちてきてべちんと鳴った。手加減なしなので結構痛い。


 ……、もういい、寝る。


 僕は考えるのも、腕から逃げようとするのも面倒くさくなって、目を瞑った。



 翌朝。


 別件の依頼のため早々に宿を出た僕たちは、たまたま通りかかったマトクさん宅の付近でいざこざを目にした。

 マトクさんにご近所のおじさんおばさんがなにか言っている。おじさんはマトクさんを咎めるような態度。おばさんはおじさんを止めようとしている。


「でも、そいつは山で拾ってきたんだろ? いつ人間に害をなすかわからないぞ。 せっかくいなくなったと思ったら!」

「あなた……、もう止めてくださいな」

「しかしな、オレもビトーヤたちからこいつを頼むって言われてんだ。みんなの迷惑になってマトクが村にいられなくなるなんてことになったら、あの世のあいつらに顔向けできねえんだよ。嫁の来手もないってのに」

「ヤズはかわいいしお利口だから、おばちゃんも好きなんだけど……、やっぱりよくわからなくて怖いと思う人は怖いと思うの。もし、ヤズがケモノだったら、ケモノは人里にいてはだめだと思うのよ……。」


 おじさんもおばさんも、マトクさんを心配している。


「おじさんおばさん、本当にすみません。この子は、……山に返します」

 マトクさんは申し訳なさそうに頭を下げる。腕に抱えたモコモコ、ヤズが不安げにマトクさんとおじさんを交互に見つめていたが、不意にこっちを見て僕たちに気が付いた。


「もきゅ! ききゅっ!」


 マトクさんに知らせるようにヤズは大きな声で鳴く。最初何事かと驚いていた彼らはすぐに僕たちに気付いた。


「あ……カガリさん、レギ君」


 気まずい。昨日僕たちが連れてきたヤズが問題になっている。

 なのにカガリさんは特に表情を変えることもなく、マトクさんたちに近づいた。


「失礼ながらお話の内容が聞こえてしまいました。もしよろしければですが、ついでの用事がありますから、私がその子を山に返してきましょう」


 マトクさんの腕の中でヤズが突然暴れ出す。


「あっ、ヤズ!?」

「もぎゅッ!」


 慌てて抑えようとするマトクさんの腕から飛び出したヤズは、ピョンと僕の肩に飛び乗ってきた。


「もきゅっ、もきゅ」

 長いしっぽを僕の首に巻き付け、ほっぺたにスリスリしてくる。なんだか、マトクさんに見せつけるような行動だった。


「あのう、失礼ですがどちら様で?」

 おじさんが恐る恐るたずねてくる。


「重ねて失礼しました。私はマトクさんの知人で、狩人のカガリと申します」

「あら! 狩人さんにお知り合いがいたのね、有り難いですわ。マトク、ほら、ヤズもお山に戻りたいみたいよ。ね、よかったじゃないの」


 おばさんは複雑な表情ながらもすこし安堵している。マトクさんの気持ちもわかるんだろう。

 当のマトクさんもやはり複雑な顔をしている。


 せっかく昨日帰ってきたばかりだったのに、ヤズを手放したくない、という気持ちがありありと見えた。


「カガリさん、この子が元いた場所、心当たりがあるんですか?」

「ええ」


 短い返事。カガリさんはヤズの首をくりくりと撫でる。

 マトクさんはそれ以上何も聞かなかった。

 彼は、ヤズをいつどこから連れてきたのか、カガリさんにはわかっているのだと察したのだろう。


「すみません、お手数を……、お掛けします……。あの、手数料などは……」

「ついでの用事ですからお気になさらず。このあとの用事がありますので、私たちはこれで」


 す、と頭を下げ、カガリさんは踵を返す。僕もマトクさんたちにぺこりと頭を下げて、彼を追った。


「くるる……」


 僕の肩に乗ったヤズが淋しそうに鳴いた。

 そして、遠くなっていくマトクさんの姿を、見えなくなるまでじっと見つめていた。

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