第1話 繰り返し消去される記憶
ティニから遠く数千キロ離れた、周囲を海に隔てられた絶海の孤島。
緯度的に考えれば極寒の地であるはずのその島は、年間を通して穏やかな気候が続く。
険しい山の中腹、渓谷を臨む岩壁に小規模な城がある。
いつ、誰が建てたものとも知れぬそれは、見るものに依れば古めかしくも建てたばかりのようにも見えた。
これが人々に旧き竜と呼ばれる一族の現当主、闇色の巨竜エンの居城だ。
城からは『白の領域』と呼ばれる、カミサマが降り立った場所が見える。
創世の地の間近にある竜の城もまた、創世の時代よりこの地にあった。
*
竜の城の一室から、窓の外をぼんやりと眺めているレギ。
薄物を羽織っただけの姿で、一日の大半をそうして過ごしている。
何の感情も浮かべないガラス玉のような目は、まばたきすらせず、ただ白の領域にそびえる巨木を見つめている。静かな室内には、呼吸の音もなかった。
誰も、彼を慰められなかった。
あの男に出逢うまで、レギはごく僅かな感情だけを持って過ごしていた。
過去の傷の痛みを感じない程度に弱い感情。それでも、不便はなにもなかったし、むしろ好都合だった。
バイオノイドに芽生えたあの強く甘やかな感情は、過去の彼に酷い苦痛をもたらした。
彼はその感情を自ら、ロックしたことすら忘れるほど、深層の更に奥深く、偶然には見つけられないほどの場所に
部屋の入り口に立ち、レギを見つめていたエンは唇を噛む。
──誰のせいだ。
隠匿を解除したのは、あの子の意志なのだろう。
けれど……。
「レギ」
「……なに?」
生気のない目をエンに向け、レギは薄く笑う。
「ひまなら、抱いてよ」
*
死ぬことも叶わない身を疎むように、あの日からレギは俺を相手にこんなことを繰り返す。
眠ることもできなくなっては、意識を失うための手段など他にないからだ。
身体を壊すほどに乱雑で激しい行為。
繰り返す絶頂の喘ぎは絶叫と悲鳴。
快楽で脳を破壊しようとしているようにも見えた。
もうなにも考えたくない、と。
絶叫。
握りしめていた指が弛緩し、くたりとベッドに落ちた。意識を手放したレギは、そこでやっと目を閉じた。
あまりに痛々しかった。
この子がどんな罪を犯した?
これで……3度目だぞ。
回を追うごとに、この子の絶望は深くなる。
カミサマ。
あんたの愛し子は、これほど苦しんでいる。
なぜこんなことを見ながら放置する?
「……クソが」
意識を失ったレギから離れる。
もうずっと、この子の感情が動くのを見ていない。
喜びであれ、……悲しみであれ。
いっそ、悲しいと泣き叫んでくれたら。
ああ、……酷い話だ。
ベッドに腰掛け、頭を抱える。
もはやため息すら出なくなった。
意識のないこの僅かな時間が、今のレギには救いだと?
その時、鳥の羽ばたきが聞こえた。
窓辺には使いの白い鳥。
「あの暇人め」
思わず悪態が口をついて出る。
鳥が首を傾げた。
「おい、おまえ。いまのは告げ口するなよ? ……すぐに行くと伝えろ」
そうして鳥を追い返し、レギの部屋を出る。
まったく、何の用だ。
自分から来いと言いたいが、現在ではカミサマはこの世界への直接介入ができない。勝手に入っていいのは『白の領域』だけに限定されている。
俺が従うのは、あのカミサマだけだ。
しょうがない、行ってやるか。
*
窓から風が入ってきて、目が覚めた。
人の気配がする。多分えんだ。
窓から帰ってくるのはえんだけだ。
おじーちゃんやおとーさんは、窓からなんて入ってこないから。
起き上がって気配のする方を見れば、礼装のえんがいた。
「なんだ……目が覚めたか」
「うん」
ばさ、と着るほどの用もなさそうなマントを脱ぎ、そばの椅子に掛けると、ベッドにドカッと腰を下ろす。
「出掛けてたの?」
「領域にな」
「カミサマのお呼び出しだったんだ」
大して興味もなくて呟くと、えんは黙り込んだ。
「……どうしたの?」
「まずは落ち着いて聞け。カガリはもう、亡くなってる」
「──っ」
どくん、と身体が脈打つ。
亡くなった、ってなに?
カガリさんは、どこにいったの?
「カガリは1カ月前に、亡くなった」
なに、言って……。
──ごめんね、レギ。
家のソファ、穏やかな顔で目を閉じるカガリさんの記憶。
「あ……あああ、……っう、あ、あああぁ!!」
ちがう、亡くなって、なんか……ない。
寝てる、だけ……!
僕、……なんでここに?
ティニに帰らなきゃ……
「カガリさんは、しんでない……、生きてるよ……、家にっ……、帰らせて、帰らせてぇぇ……っ!?」
えんが、暴れる僕を抱きしめ、無理やり唇を塞いだ。
「んう、う……」
体から力が抜ける。
どうして、えんは意地悪するの?
こんなところに連れてきて、カガリさんのところに帰らせてくれないなんて。
身体にちからが入らないよ。
カガリさん、助けて。
……カガリさん?
記憶の中の声が聞こえる。
──どうやら私は、ここまでみたいだ。
……ごめんね、レギ
そう言った彼は、ソファに身を預けてゆっくりと目を閉じる。
ひとつ、息を吸った。
何でもない日の午後。
本当に突然。
動かない彼に近づいて、そっと肩を揺さぶる。
カガリさん、ここまでってなに?
ねえ。
返事してよ。
ねえ。
どうして、息をしないの?
カガリさん。
心音が聞こえないよ。
うそだ。
手が冷たいの、なんで?
目を開けてよ僕を見て笑ってよねえ、ねえ!!
カガリさん!!……
そんなの、ない
……急にいなくなったりしないって、言ったのに。
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