第25話 世は常に儘ならぬ

 目の前で、カガリさんがすごく緊張した顔をしている。

 リビングのソファに座った僕と、その向かいに立つ彼。


「レギ、目を瞑っていてくれないか」

「え? ……は、はい」


 なんだかこっちまで緊張してしまって軽く挙動がおかしくなる。

 それでも彼が言うとおり、僕は目を閉じた。


 目を閉じると、雑多な記憶が脳内にいくつもあるスクリーンに映し出される。

 その中で、僕の目の前にある一番大きなスクリーンには、あの日の夜の薄暗い部屋が映っていた。



 *



「痛く、ない?」

「……大丈夫です」


 ベッドにうつ伏せたままの僕に、カガリさんが聞く。

 今日ほど、自分の身体の小ささを疎ましいと思ったこともないかもしれない。

 カガリさんが心配している。

 どうやら、かなりムリをさせたと思われているみたいだ。

 

 “花が開いている”時の僕はいろいろが過敏になるので、カガリさんを驚かせちゃったかもしれない。

 強制的な行為で行動制限されているときと違って、今は多少脱力はしているものの、自分の身体を少しの間保持する程度の力は入る。

 身体を動かして仰向けになり、なんとはなしに自分のおなかを撫でた。


「面白い癖だね」

「おなか、撫でるやつですか?」

「そう」


 僕はちょっと考える。

 この癖は恐らく、無意識にそこを守ろうとしている動作なんだろう。


「……何となくです。昔からですよ」

「確かに前からたまにやってたけど、最近増えた気がする」

「そう、ですか?」


 そう言われればそうかもしれない。

 思い当たる理由はあった。

 ……今が話すべき時なんだろう。僕は確かに、彼から“これ”を受け取ったんだから。


「カガリさん、知ってますか?」

「なにを?」

「カガリさんの血筋についてです」


 突然、彼の質問とは全然違うことを逆に質問され、彼は少し驚いた顔をした。


「……血筋か。両親が早くに他界したからね、そのあたりの知識は断絶してしまってるんだ。もしかしたら、探せば何か資料でもあるかもしれないけど……調べたことはないから」

「そうですか……。前にご自身でも仰っていましたけど、このあたりはかつて『旋律の主』の『領域』と言われた地域です」

「うん」

「そういう地域だから、『旋律の主マスター』に関連ある人が多くいるので、それで僕もこのあたりをよく旅していたのです。探し物のために」


 話が見えない、という顔の彼。

 こんなところから話が僕の癖にどう繋がっているか。わからないのは当然だろう。


「カガリさんはやっぱりご存知ないのですね。あなたは『旋律の主』の血筋なんです」

「なぜそんなことがわかる?」

「『旋律の主マスター』の血筋は、体内に『結晶』ができてしまう体質の男性が出るんです。僕は、結晶を持っている人がわかるんです」


 言葉を切る。

 彼が少し動揺したのがわかった。


「あなたも、結晶を持ってる。僕はその結晶を集めているんです。それから、結晶は生命活動が活発・・・・・・・なところにできやすいのです」


 そうして、僕はチラリとそこ・・を見た。恥ずかしくて、うまく言えないから。

 

 でもそれで、察しがいい彼は気付いたようだ。

 精嚢にできた結晶が、性交渉を通して僕の中に入る、ということ。

 

 僕がおなかを撫でる癖は、おなかの中にある結晶を無意識に守ろうとしている動作なんだと。

 けれど、既に僕の癖のことなどすっかり意識の外に行ってしまったらしいカガリさんは、僕に尋ねる。


「では、君が私のそばに留まったのは……」

「いいえ。カガリさんが結晶産出者であるというのは、ただの切っ掛けです」

「切っ掛け?」

「結晶産出者はそれなりにいます。だから、1人に固執するようなものでもない。結晶がスムーズに確保できそうもなければ、諦めてすぐに次のところに行っちゃいますよ」


 ずっとそうだった。主人以外の人間には全然興味がなかった。石を持っている、ただの他人のそばにいる理由なんか何もない。


「けど、カガリさんに対しては違ったんです」


 思い出す。いまなら言葉にできた。

 初めてカガリさんに抱いたのは”興味”だった。


「僕、誰かにあんなに大切に扱われたのは初めてだった。困っていた僕を拾ってくれて、ちゃんと面倒見てくれて、揶揄からかいながらも優しくしてくれました。どういうひとなんだろうな、不思議だなって、興味を持ちました」


 おなかをまた撫でる。

 時間は既に真夜中過ぎ。室内の空気が冷えてきていて、少し肌寒い気温だった。

 それに気付いたカガリさんは、上掛けを掛けてくれる。


「……そういうところです、優しい人。あなたのことを知りたくなったのがここに留まった一番大きな理由なんです」


 バイオノイドの僕には本来あり得ない、他人に対する興味が彼に向いていた。自分では彼に興味を持ったこと自体を理解できていなかったけど。

 それ以後も、気持ちが変化していく切っ掛けはいくつもあった。


「僕が傷つけられていたことを、本気で怒って、悲しんでくれた。あのとき僕は、あなたが僕のことで悲しんでくれたことが、すごく嬉しかったんです」


 カガリさんは黙って聞いていた。


「あなたのそばに留まったのは、結晶が欲しかったからだけじゃないんです。寧ろそれはただの切っ掛け。……でも僕、最近思うようになったんです。違う意味で、……『あなたの結晶』が欲しいって」

「……そう」


 彼の手が僕のおなかに伸びた。

 そしてそれは、僕のおなかに恐る恐る触れる。


「ここに、ある?」

「はい」


 彼の手が、そっとおなかを撫でる。

 くすぐったい。

 こんなふうにおなかを撫でられるなんて、初めてだ。


「あなたに愛された証しです」


 カガリさんは答えずに、ずっと僕のおなかを撫でている。

 顔はよく見せてくれなかったけれど、耳が赤くなってるのが見えた。


「僕、もっと……たくさん欲しいです」


 それには言葉としての答えはなかったけれど。

 ……彼はちゃんと応えてくれた。



 *



 ほんの一瞬の間に、スクリーンに流れた記憶。

 ああ、なんて大胆なことを言ってるんだろう、僕は。

 思い出すと、ものすごく恥ずかしい。


 それにしても、目を閉じろと言われて、ちょっと待たされてる気がする。

 時間にすればほんの1分程度ではあるんだけれど。


 一度リビングから出たらしいカガリさんの気配が、再びリビングに戻って僕が座るソファの後ろに来た。


 耳に何かが触れた。


 びっくりして身体が小さく跳ねる。

 カガリさんがクスリと笑って、動いちゃダメだよ、と言った。

 彼はあまり慣れない手つきで、僕の耳に着けていた薄紅のイヤーカフを外している。

 カフがやっと外れたと思ったら、今度は何かヒヤッとした小さなものがそこに代わりに着けられた。

 カガリさんの気配が後ろから離れる。


「目を開けてもいいよ」

「……はい」


 目を開く。

 さっきと同じ位置に立ったカガリさんは、顔が映るくらいの鏡を持っていた。


「見てごらん」


 鏡を差し出され、先程何かされていた左の耳を見る。


「あ……、護符宝珠タリスマン……」

「私が手に入れた物の中で一番品質が良かったものを、職人に加工してもらった」


 まるでカガリさんの瞳のような深い赤。

 透明度も高く、誰が見ても綺麗だと口を揃えるだろうイヤリング型の護符宝珠だった。


「すごく綺麗です。けど、これって」


 鏡を持って立つカガリさんを見上げる。

 ……なんかカガリさん、すごく挙動不審だ。鏡をテーブルに置く動きが、また油ぎれの機械人形ロボットみたいになってる。

 そして僕と視線が合った途端、視線を少しだけ逸らした。

 カガリさんの頬から首筋……紅潮してる。


「君が結晶を集めているという話を先日聞いてから、私も悩んだんだ」


 カガリさんが視線を逸らしたまま、やっと口を開いた。

 一つ一つ言葉を選びながら。


「結晶集めの目的は聞いてはいないけれど、きっと結晶は沢山集めなくてはいけないんだろう。それに、そもそもここに君を留めるのは、世界にとっての大罪だともわかっている」


 彼は僕の目をまっすぐに見た。視線はもう逃げない。


「──罰は受けるから。君のマスターの前で罪を償うから」


 彼は礼を執るように跪き、僕の右手を取った。


「私の、この命が終わるまで、そばにいてくれないか」



 ──カミサマ、どうか

 この我が儘を許してください



 祈りは、僕と彼、どちらのものだったのか。

 そしてそれに応える、あの声。


 ──とくべつだからね?


 僕は、微笑む。





「──はい。喜んで」





 世は常に儘ならぬ、と言う。

 でもこんな、……我が儘な願いが叶うことだって、ときにはあるんだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る