第21話 願い
暴走しているケガレは、自分の理性などほぼない状態で、ひたすら穢された苦痛に喘ぐ。
穢れた肉は無数の針を打ち込まれたように痛み、精神は
人や普通のケモノならば身体が持たずに死んでしまうから、そこまで苦しまずには済む。けど、マモノは身体も精神も丈夫だから、簡単には消えることができない。
ゆらりゆらりと陽炎のように姿を現したケガレ。
降りしきる光の雨の中で悶え苦しんでいる。
先程までは姿が見えなかった彼がなぜ姿を現したのか。
ケガレのケモノを生み出すことができなくなって、相手を攻撃する手段を失ったからだ。
このケガレの場合は、霊体のままでは何もできないんだろう。そうでなければ姿を現す理由がない。
怒り狂い、悶え、苦痛に身をよじる。
何もかもが憎い。己の身すらもだ。
さらにケガレは自らを滅ぼす手段を持たない。
これほどに辛いことがあるだろうか。
そして……、穢れてしまったマモノを元に戻す方法はない。
*
0感の僕にも見えるようになった、ケガレのマモノ。それは以前からよく目撃されていたコスバの姿とはまったく違っていた。
コスバは鳥の頭に人の身体をくっつけたような姿をしていたという。腕のかわりに翼を持っているが、その先には人の手のようなものもあったらしい。
コスバは100年ほど前からこのあたりに棲んでいたという記録がある。
今、目の前にいるマモノは、太い木の様な身体から伸びる複数の太い枝一本一本に、それぞれ1枚づつ鳥のような翼を生やし、その先にはそれぞれ5本の指がある。
木の幹のようなものの一番下には、根の代わりに6本の太い鳥のような脚が生え、一応歩いて移動できるようになっている。
胴回りは大人が3人手をつないでやっと囲めるくらいありそうに見える。とにかく巨大だ。
木の幹の中央にはウロがあり、その奥には顔らしきものが見えた。苦痛に歪みながら、僕を憎悪の眼差しで睨めつけている。
ぶん、と風を切り、枝の一本が僕に翼を振りかざす。
翼を構成する一枚一枚の羽根は鋭い刃になっているようだ。
マモノが絶叫する。
『憎イ……ニクイ、ニクイイイィィ!!! 人間ガ憎イィィッ!!!』
ぶわ、と翼が広がり、羽根が閃く。
僕は避けない。
バサリと振り下ろされた羽根が僕の肌に無数の傷を付け、鮮血が飛び散る。
「──っ」
『ガアァ……ッ』
マモノが悲鳴を上げた。
僕を攻撃した翼がズタズタに切断され、羽根が舞い落ちる。
マモノは何が起きたのか咄嗟に判断できずに、先が無くなった枝を震わせた。
僕も攻撃を受けた左半身にたくさんの深い切り傷を負った。僕の血が草を濡らす。
……痛い、なあ。
皮膚1枚のことだけど、痛い。
何が起きたか?
僕が持つ、皮下に張り巡らされた強力な結界が、マモノの羽根の攻撃をマモノ自身に跳ね返したのだ。
僕自身も皮膚には傷を負うけれど、皮下の結界に触れた攻撃は、攻撃を仕掛けたものに、より大きなダメージを返す。
羽根の斬撃が跳ね返って翼を切り刻んだ、というわけだ。
僕の皮下、内臓や筋肉、骨など僕の内側を完璧に守るそれは、『カミサマ』の結界だ。
これが、僕のいくつかある秘密のうちのひとつ。
唸るケガレに、僕は問いかける。
「ケガレのマモノよ、聞こえるか。──僕は浄化の
僕の三重になった声に、マモノの動きが止まる。
ぐぐ、と翼を付けた枝が広げられる。
光の雨の中で神々しくすら見えるそれを、マモノはゆっくりと動かした。
眼差しに宿った意志。どうやら束の間、マモノは理性を取り戻したようだ。
彼は僕をひたと見つめ、口を開いた。
『君は──君がセロか。私はディスナを守るマモノ、コスバ。ああ……来てくれたのか……、ありがたい……。私を早く……解放しておくれ』
苦痛に満ちた声音が訴える。
早く、と呻いた。
『苦しいのだ……、このままでは、人を……オオオ、憎イ、憎ッ、憎イイイィィ……、……人を無為に……殺してしまう……』
「解放の意味はわかっているか? 浄化すればあなたは消える」
『わかって、いる……』
グオォ……とマモノが呻る。
『早く、早く解放を……オオオオ、許サン、許サンゾォォ……』
そろそろ限界のようだ。
枝がブルブルと震え出す。
『頼みます、私を早く。ああ、あなたにも酷い怪我を……させてしまった……』
「僕のことは気にするな。……けれどあなたは酷い苦痛を受ける。もう一度聞く。それでもあなたは浄化を望むか?」
『望む。……よろしく……頼みます……』
「その願い、確かに聞いた。──あとは僕に任せて」
僕は一歩下がり、剣を握った右腕を真っ直ぐにコスバに向けた。
「僕はあなたを、これより浄化する」
ウォォ……とマモノが啼いた。
喜びとも悲しみともつかないその声が、隠匿結界の中に響き渡る。
そして直後、彼の理性は途切れたらしい。
唐突に枝羽根が襲いかかってきた。
その先に付く大きな手が、僕を握りしめる。
ギリギリと締め上げてくるそれに特段抵抗はしなかった。どれほど締め上げられても、僕には影響はない。
僕の骨や内臓の代わりに、マモノの枝羽根がボキボキと折れた。力が入らなくなったらしい巨大な手から、僕は容易に抜け出す。
左半身からの出血はまだ続いている。痛みもある。
けれど、これはマモノがこれから受ける痛みをほんの少しでも理解しておくためのものだ。
そんなことは無意味だと、ただの気休めだとはわかっているけれど。
僕は両手に双小剣を持つ。
襲いかかってくる枝羽根が僕の体に大きな傷を作る。
マモノにも傷が付くが、もうそれについてマモノは何も感じないらしい。枝が落ちても羽根が飛んでも、執拗に枝羽根で攻撃を繰り返す。
脳内スクリーンに意識を向け、コマンドを送る。
...Command?
>WMode change : LSS.BladeOfPurification|();
>WMode change : RSS.BladeOfPurification|();
>WMode change : Connect();
両手の双小剣は刃に白い光を纏い、束頭で結合して一本になる。
さらに刃が湾曲して、三日月のような形になった。
浄化の刃、クレセント。
僕はそれを左手に持つ。
ほぼ同時にマモノが4枚の翼を広げた。
羽根が赤く輝き、バサリと羽ばたく。
翼から赤い炎が奔流となって渦巻き、襲いかかってきた。
「無駄だからっ」
白い刃を立て、奔流に立ち向かう。
まるで血液のような粘度を感じさせ、轟々と押し寄せる炎を、白い刃が切り裂く。
一部が僕の右脚を焼いた。
僕の脚を焼いた熱はマモノに跳ね返っているはずだが、マモノには特段変化は見られない。
マモノ本体には高度な魔法に対する抵抗力が備わっているようだ。実体を現すのだから何らかの防御は行われているとは思っていたけど。
やはりこれは、並の魔法使いでは歯が立たないし、武器だけでは絶対倒せないだろう。
ダメージを与えられるとしたら、ランクはカガリさん以上……金か
僕がいなかったら、ここら一帯壊滅だな。
炎は勢いを殺され、二筋になってそのまま隠匿結界間際まで流れて消えたが、既にマモノは別の4枚の翼を開いている。
バリバリと青白い火花がスパークしている。こんな時になんだけれど、とても綺麗だ。
おそらくは雷のようなものだろう、その青白い光は球状になってぶわりと膨れ上がる。
「……うわ、なんか強力そうなのきた」
マズい。後ろに誰かいたはず。
これが直撃、もしくは分散させたものが当たったら……。
いや、それどころか、これが当たれば結界が壊れるかもしれない。
迷っている暇はない。
全部受け止めなければ。
ギュンと膨れ上がった光の球が一気に収縮し、マモノの正面から光線のように放たれる。
僕は咄嗟に剣を避雷針のように雷撃に向け……
──巨大な雷のようなそれは、僕に直撃した。
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