第2話 カガリの困惑
最近、レギの様子がおかしい。
気を引こうとしているつもりはないのかもしれないが、変わった行動を取るのだ。
ただそれは、彼の意図がわからず心配になるほど控えめで、もっと大胆に気を引こうとしてくれた方が安心するくらいだ。ともすれば私が気付かない程度のことをコソッとやっている。
食器棚の食器の順番が微妙に変わっていたり、家の鍵のスペアを普段入れている引き出しの隣に入れたり、私の濃色の服をこっそり着て、近所の換毛期真っ只中の猫を抱っこしてきたりする。
さすがに猫の毛をびっしり付けて帰ってきたときはわかりやすかったが、他はあまりに地味で、本人がごめんなさいを言うまで気付かなかった。
どうしてそんなことをしたのか聞いても、ちゃんとした答えは返せずに、ただ
自分がそういう行動を取っている理由自体、恐らく自分でもわかっていないんだろう。
害はないし、細かいちょっかいは構わないのだが、レギが泣きそうな顔をして困惑するのを見るのは居たたまれない。
また、
さて……どうしたものか。
娼館の一室で、いまそのことについて考えるなど、私もどうかしている。
思わず出そうになるため息をかみ殺した。
「カガリくん、難しい顔してるよ」
背中に触れる素肌と柔らかな胸。
鏡越しに微笑んで、メレが言う。
細い
そこから軽く吸った煙を、口の中で味わって吐き出す。
鈴を転がすような声が、後ろから耳元で囁いた。
「楽しくない?」
「そんなことはないけど」
「うそね」
そうしてメレは小さく笑った。
メレとはもう5年ほどの付き合いになる。
彼女と知り合って、ここに来るようになったのもそのぐらいだ。
以前、ヤカーの街で暴漢に襲われた女性を助けた。それが当時17歳だったメレだ。
その後、彼女がティニに来る際の護衛を偶然にも請け負うことになり、それ以来だ。
メレは慣れた手つきで煙管の灰を灰皿にトンと落とした。吸い口側に繊細な銀細工が施された美しい煙管が、コトリと音を立てる。
これはいつだったか、街に買い物に連れ出したときに彼女が気に入ったというので贈った物だった。どちらかと言えばただの小道具で、普段はほぼ使わないという。
メレの指先は羅宇をツツとなぞり、雁首に爪を立てた。
「カガリくん、今日はどうしたの」
彼女は小首を傾げた。
「ずっと悩んでる顔してる。好きな人できたでしょ」
「どうしてわかる」
「だってプロだもん」
後ろから回された細い腕。肩に顎を乗せ、耳許でメレは囁く。
「カガリくんにとっては、すごく大事な人なんだね」
「……そこまでわかるものかな」
「言ったでしょ、あたしはプロだし、勘も鋭いよ」
カガリくんのこと、表面だけならよく知ってるんだから、と彼女は言った。
「綺麗な体。あたしの物じゃないのが残念」
「誰のものにもならないよ」
「昨日までならそのセリフも信じられたんだけど、今は嘘にしか聞こえないよ」
「どういう意味」
「その人のものになっちゃうの、そのうち」
私の腕をスルリと撫で、あーあ、と彼女はわざとらしくため息を吐いた。
「ほんと、いつも作業って感じよね、カガリくん」
「実際その通りだから。最初からそういう話だろう」
「そこは、冗談でもあたしに会いに来た、って言えば可愛げがあるのになあ」
「会いに来てるのは本当だよ」
私は彼女の免許取得時の保証人となっていて、彼女に会い、その生活を時々チェックする。これは免許保証人の役目だ。
そして天涯孤独な上、ひとりではなにもできない彼女を守るためもある。
ある時、メレに押し切られた。いろいろなことを無償でやってもらっているのは申し訳ない、ビジネスとして形だけでもきちんとしてほしい、と。
それから、生理的欲求の解放目的のためだけの行為をするようになった。愉悦などを求めず、彼女も仕事として割り切る、という条件でだ。
作業でしかないそれが常だ。
だからこそなのか、普段と違うのが彼女には分かったんだろう。
なぜわかるのかを訊ねると、彼女はくすっと笑う。
「やーね。いつもとぜんぜん違うのにわかんないわけないよ。あたしとその人を重ねてたのかな。ずっとなんか考えてたよね。作業感がいつもよりは薄かったなあ」
「……そう」
そしてメレはベッドから降りた。
飲み物を持ってくるね、と部屋に設えられたミニキッチンに入っていく。
余計な気遣いをさせてしまったようだ。
再び私は悩みに沈む。
彼女にレギの姿を重ねて見ていたということはないが、その間中、レギのことを考えていたのは事実だ。
そして、私はあの子にどうしたいのか、ということも。
あの子自身の気持ちを、本人にまずは自覚させる必要はあるのかもしれないが、自覚させたあとはどうする気なのか、と。
レギは他のバイオノイドとは違う。
研究所の資料には、一体一体の詳細なデータがあったが、
あの子に晒すつもりか。
それだけは駄目だ。
あの子には、絶対に見せたくない。
──醜い、穢らわしい
自分がどんな表情をしているのか、鏡を見る気も起きずに目を瞑る。
飲み物を手に戻ってきたメレが、サイドテーブルにグラスを置いた音がする。
グラスを持っていた濡れた指先が目元に触れ、そこから頬を滑っていく。
彼女の細腕が私を抱いた。
「カガリくんを悩ませる人かあ。……でもあたし、心配だよ」
「大丈夫だから」
「なにいってるの。してる時に普段の感じが保ててない時点で、ぜんぜん大丈夫じゃないと思うよ」
苦笑混じりのメレ。
そこまで普段と違ったか、と内心驚く。
「あのね、あたし殆どなんにもできない女だけど、カガリくんのお手伝いがしたい」
大きな声ではないが、はっきりと彼女は言う。
「カガリくんに救われた身だもの。がんばるから、お手伝いさせて」
カガリくん好きだから、と囁く。
彼女の艶やかな肌に触れる。
メレにはいつも助けられている。
「人に醜いものを晒さずに済んでいるのは、君のおかげだよ。それだけで十分だ」
「ううん、そこは完全にあたしのお仕事だから。……カガリくんが言う“
「わかってはいる。……納得はできないが」
「呪縛から解放されるのを、あたし、お祈りしてるよ」
メレは寂しげに呟き、それからベッドに身を横たえて私を招く。
「カガリくん、……もうすこし遊ぼうよ」
ベッドサイドで青い煙を細く立ち登らす香は、まだ半分以上残っている。
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