ままならないっ!

第1話 レギの動揺

 ……なんか。

 最近、おかしいんだ。


 最初、彼が僕を拾ってくれたときから、多少の感情の振れはあった。

 それにはまあ、助けてもらったって感謝もあったし、他にも事情があるからさほど気にはしてなかった。そういうこともあるのかなって。

 その後、そこそこ長く一緒に生活してきて、先日のケガレのマモノ騒ぎだ。


 それまでの僕なら、おそらく彼が無理をしていようがなにしようが、それほど気にはしないだろう。一応気を遣ったりはするだろうけれど。


 それなのに。

 ……考えてただけなのに、なんか顔が熱くなってきた。


 カガリさんが倒れたとき、僕は動揺した。

 この僕が。

 『マスター』以外の人間には関心を持たないはずのバイオノイドが。


 ひとりになりたくない。

 まだ、そばにいたい。


 カガリさんを、失いたくないって思った。


 カガリさんを失うことを、『マスター』を失った過去に重ねた。

 そしてショートしてしまった。


 それ程、僕の中でカガリさんという存在は、重要度をあげている。


 なんだこれ。


 重要度が上がったら、顔とか熱くなるとかわけがわからない。

 こういう……かぁーっ、ていうのは『マスター』にのみ向けられるものなんじゃないのか。


 ……なんなんだ、コレ。


「……うにゃあぁぁああぁーー!!」


 よくわかんない声を上げてジタバタしたら、リビングにひょこっとカガリさんが入ってきた。


 なにこのタイミング。


「猫人間にでもなってたの?」

「なっ、なってませんよ」

「にゃーとか言ってるから」

「んにゃああああっ!!」


 明らかにからかわれている。

 余計にイジイジしてしまって、地団駄踏む。


 スッと近づいてきた彼は、おもむろに僕の後ろ頭に手を伸ばす。


「ふぎっ?!」

「ほら、落ち着いて」


 おなかに顔を軽く押し付けられ、少しだけ乱暴に頭を撫でられる。

 トズミさんの柔らかいおなかと違って、鍛えられた腹筋が服越しにわかった。


「カガリさんのおなか、あんまり柔らかくないです」

「しょうがないでしょ、狩人だからね」


 頭を後ろから押し付けられてるので、そこは自然にカガリさんにしがみつくような姿勢になる。

 柔らかくない、という不満はあったけど、人肌の温かさに少しだけ落ち着いた。


 僕は息を吐く。

 

「最近、なんだか落ち着かないことがあるね」


 なんだか嬉しそうにクスと笑ったカガリさんは、僕の頭を今度は優しく撫でた。


 ……誰のせいだと思ってんですか、と言いたくなったけど、これは本当に彼のせいなのかと聞かれるとそうじゃない気もする。

 僕は仕方なく黙ったまま首を横に振った。


 *


 寸胴鍋にたっぷりのお水と香草を入れ、鳥型のケモノの手羽元と一緒にコトコト煮込む。

 手羽元から出るスープは旨味があって、塩だけ足せばそれだけで美味しい。これをもとに他の料理にすることもできるから、僕はこの手羽元スープを作ることが多い。

 でも、これを作る一番の理由は、カガリさんがこれをすごく美味しいって喜んでくれるからだ。


 夕ご飯の下準備を終わらせた僕は、コーヒーを入れた大きなマグカップを持ち、リビングに移動した。

 椅子に腰掛け、窓の外を眺めながらぬるいコーヒーを飲む。

 もう、さっきから溜め息ばかり出る。


 原因?


 今、カガリさんは外出中だ。それが原因。

 夕ご飯頃には帰って来るけど、まだ当分時間がある。

 それまで僕は独りきりだ。


 時計の針は2時少し前。彼が出掛けたのは1時前だから、まだ1時間もたってないんだけど。


 ……むう。


 カガリさんがどこへ行ってるか、僕は知ってる。

 村の中央から少し外れたところにある娼館だ。

 そこに、馴染みの娼婦さんがいて、ティニに戻っているときは時々出掛けていく。

 カガリさんには、彼女がいない。

 一応断っておくと男色の気もない。


 娼館で女性と遊ぶことは別に違法ではないし、健康な大人なんだからそれは全然おかしくない。

 僕が彼と出逢うずっと前からの馴染みだと言ってた。

 だから、別にそれに関して、前は何とも思ってなかった。


 ……今は、ちょっと面白くない。


 何でかわかんないけど、いやだ。

 生理現象、原始的欲求、生き物だから不思議じゃない。

 そんなことわかってる。


 わかってるんだけど、なんかもう……。


 オトナってフケツっ!!

 とか言いたくなる。


 僕自身、そういうのに無縁じゃないから、こういう時ばっかり子供のふりは、さすがにズルいと思う。

 でも、やっぱりモヤモヤする。


 馴染みの娼婦さんには僕も会ったことがある。

 たまたま、買い物ついでにカガリさんと村を歩いていたときに初めて会った。


 名前は忘れてない。……忘れるわけない。

 メレさんだ。メレ・イティリオ。


 少し薄目のメイクがもともと華やかな目鼻立ちを際立たせる、美人と言って差し支えない顔。

 大きなお胸と適度な肉付きなのに綺麗にくびれたおなかと腰。

 キュッと上がった格好いいお尻に、細過ぎず太過ぎず、長く延びた脚。

 お話して感じた、おっとり系の優しい性格。


 ……うああ、本当に完敗……。

 思い出すだけで敗北感に打ちひしがれるレベルだ。


 少なくとも、容姿や性格で僕が彼女に勝てそうな要素は殆どない。

 僕は誰が見ても好ましい、と思うような容姿ではあるけれど、それは綺麗とか美形とかいう意味ではない。彼女の圧倒的な華やかさ、美貌には全く持って敵わない。

 僕だって身の程はわきまえてる。そんなことが分からないほど自惚れてはいない。


 カガリさんは外を歩けば女性が恥ずかしがって俯くほどの容姿だ。隣にいる僕を女性が邪険に扱う程度に女性に好まれる。

 ちんちくりんな僕とカガリさんが並んでも、奇妙な組み合わせに見えるのは間違いない。

 カガリさんとメレさんは、並べば釣り合いのとれた、絵に描いたようなカップルだろう。

 5年くらいの付き合いとも聞いた。


 ……もうね、それだけでへこむ。


 ただ、カガリさんは女性には親切だし優しいけど、なぜか絶対にそれ以上踏み込ませない。

 彼女がずっといないのは理由があるんだと思うけど、女性を自分から遠ざけさせようとしている感じだ。

 メレさんにしても、実は親密とかいう感じではない。

 彼・彼女の口振りだと、お互いに知人のひとりの扱いなのが奇妙だった。


 どうあれ、カガリさんがメレさんのところに行ってる事実は変わらない。

 鬱々とした気分というのは、こういうことなんだろう。


 手羽元スープのいい匂いがする。

 カガリさん、これ好きなんだよ。

 早く一緒に食べたい。


 マグカップのコーヒーはすっかり冷めている。

 これを淹れた時は、まだカガリさんが出掛ける前だった。暖かかったのに。


 時計は2時少し前。1時間くらい経った。

 今頃、カガリさんは彼女を抱いてる。


 誰に言うともなく呟いた。


「……ままならない、なあ……」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る