第6話 飛行術に関する一幕

 庭でレギがなにかやっている。


 しばらく目を瞑っていたかと思うと、タイルに置いた白い紙に手を置く。

 一瞬、紙の端がピラッと持ち上がったのが見えた。


「レギ」

「ひわぁっ!」


 妙な声を上げて驚くのでこっちも驚いた。

 その拍子にレギの手元についてあった紙が、かなりのスピードで舞い上がり、飛んでいった。


「……なにしてるの?」

「び、びっくりしました。いえ、大したことないんですけど実験をしてるんです」

「実験?」


 魔法についての実験が最近の趣味なのか、時々なにか新しい魔法を“組んで”いるらしい。

 レギは(私が知っている範囲で)2系統の魔法を使うが、そのうちの一つは脳内の“電子計算機コンピュータ”で演算した結果を世界に反映するという、現在では失われた技術を応用した魔法だ。

 もう一つは直接的な言葉で現象を引き起こすものだが、本人曰く、こちらはあんまり使らしい。


「この間、クロマさんが空を飛ぶ魔法を使うって言ってたじゃないですか。僕、移動は歩くのが好きなのと、どうしても長距離移動が必要なときは、えんが助けてくれるから自分で飛ぶ必要がなくて、そういうの考えたことがなかったんです」


 そう言いながら、横に置いた紙の束から1枚を取り、地面のタイルに置く。


「でも、それだとちょっと不便なときもあるかなあってこの間思いまして。音の魔法で身体を浮かせる魔法は、音の力を常時使って身体を持ち上げるっていう、かなり面倒で大変な魔法なんですよね。だから、もともと高い能力がある人が、さらにランクを上げないと使えない高度な魔法じゃないですか」

 クロマさんもランクが金になってやっと使えるようになったって言ってたし、とレギは言う。


「カガリさんもそろそろランク金が見えていますし、たぶんベースの能力はカガリさんのほうがクロマさんより上なので、カガリさんは飛行術についてはそろそろ使用可能になるんじゃないかなって思いまして」


 それとその紙束は何の関係があるのか、と尋ねようとすると、レギは紙を指先でトントンと叩いた。


「飛行術に長時間の集中が必要なのは、音の魔法が常に浮かせる対象に干渉し続けなければならないからなんですが、僕が使う“電子計算機コンピュータ”の魔法だと、物体の性質を上書きしちゃうことができるんです」

「ということは、その紙の性質を変更して、紙が宙に浮くようにできる、ということかな」

「だいたいそういうことです。そうなんですけど……」


 レギは目を瞑り、紙に手を乗せる。

 また、紙の端がピラッと動く。


 レギが手を離すと、紙が凄いスピードで空に飛んで行ってしまった。


「あああ……、しっぱい……」

「な……、どういうこと?」

「たぶん、実装した機能が要求に合ってないっていうか……紙をコントロールしやすく浮かすための考え方が間違ってるっていうか……、とにかく、飛んでっちゃうんです」


 ほら、とレギが上を指さした。

 見上げると、数十枚の紙が空中に置かれているように上空に静止しているのが見えた。


「あの紙に乗ったら、あそこまでは飛べるんですけどね。それじゃ意味がない。紙を特定位置に置く、という意味では希望に沿ってるのですが」

「……ああ……」


 そうしてレギは、なにやら外国語のような単語をブツブツ呟きながら、紙を一枚取って折り始める。

 程なく折り上がった小箱をタイルに置き、底になぜか引っこ抜いた草と石を2つほど入れた。


 そよそよと風がそよぐ。


 レギは目を瞑り、しばらく黙った。脳内のスクリーンに向かい合っているんだろう。

 眠っているように見えるが、本人曰くこういう時は脳内でいろいろ忙しくやっているという。

 顔だけしばらく眺めていると、眉間にシワを寄せたかと思えばパアッと嬉しそうになったり、突然「うえ」と言いながら泣きそうになったりと、とても面白い。

 ちょっかいを出すと、脳内で混乱するから手をふれないでくださいと言われている。私にできるのはただ見ているだけだ。

 しばらく待っていると、レギは目を開けた。


「考え方がやっぱりなんか間違ってたみたいです」


 そう言って、タイルに置いてあった紙箱に手を乗せ、目を瞑った。

 紙箱には何事も起こらない。

 レギは目を開き、手を離す。


 箱は動かない。


 よしよし、というように頷いたレギは、箱の端に指を触れ、すぐに離した。

 すると。

 箱が浮き上がり、レギの指の後を追うように、レギが指を動かす方向に一定の距離を空けて動き出した。


「できました! あとは移動速度をダイナミックに変更できるようにすれば完成です」

「なにをしたの、これは」

「箱の位置情報を、箱に設定した基準点から参照位置……この場合は指先ですが、ここに一定時間を置いて変更する、というふうに書き換えました。指先の位置を箱が追いかけるってかんじです」


 理屈は何となくわかったが。


「紙を浮かせてるだけ?」

「いいえ、これはテストで紙を使いましたが、使う対象を紙以外に設定できます。例えばお風呂の蓋とか」


 恐らくは、自分が乗れるサイズの平たいものをイメージして言ったんだろう。

 けれど、私は想像してしまった。


 風呂の蓋に乗って空を飛ぶ、大真面目な顔のレギの姿を。


「な、なんで笑うですか!?」


 答えられない。

 一応笑い出すのはすんでのところで堪えてはいる。

 けれどこれは、笑うなと言うほうが無理だ。


「ふ、風呂の……蓋に乗るの?」

「例えですよっ! たーとーえっ!」


 もう、と膨れっ面をしたレギを見て、さらに笑いが込み上げてくる。


「た、たとえは……もう少し違うもののほうがいいと思うよ……?」

「じゃあ、椅子とかテントとか」


 わざとだろうか。


「椅子に腰掛けて空を飛ぶの? テントで寝ながら飛ぶとか?」

「……だめですか?」

「だめじゃないけど」


 椅子にきちんと腰掛けた姿勢で空を飛ぶのを想像すると、やっぱり可笑しい。


「箒とかデッキブラシじゃ絶対お尻痛くなるですよ」

「君のイメージの基準はお尻が痛いか痛くないか、なのかな」


 なんかダメですか、と上目遣いに聞かれる。


「一応、昔の文献にあるスカイボードみたいなものを想定してますが」

「最初からそう言ってくれたらいいのに」

「例えなんですってば。位置情報書き換え対象は何だっていいんです」


 ふにゃあああ、と声を上げたレギは、地面のタイルを叩く。


「ともかく、カガリさん。僕はこれで空を飛ぶことはできそうです。……あとは」


 にま、と少し挑発的に笑う。


「カガリさんが飛行術を習得するだけです。そしたら一緒に空の散歩ができます」

「理由はいろいろつけてたけど、本当の目的はそれ?」


 レギの様子に思い当たってたずねてみると、レギは、答えに窮して唇を真一文字に結んだ。

 そうか。それが目的か。


「もう少し頑張ればなんとかなりそうだよ。たのしみにしてて」


 私の答えに満足したのか、レギはにっこりと笑い、はい、と言った。

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