第4話 最初からなかった枷
「お待たせしました。お茶をお持ちしました」
タイミング悪くレギが戻ってきた。
そして、私を見て目を丸くする。
両耳がこちらを向いてピクピクしていた。
「どうしたんですか? カガリさん。ニマニマしてますけど」
私に向けての表情の形容で、およそ言われたことのない“ニマニマ”という言葉に気恥ずかしさを覚える。
「……ニマニマしてる?」
訊ねると、クロマとレギは同時に大きく頷いた。
「珍しいよ、やっぱり」
「僕も初めて見たです」
まじまじと顔を見られ、気恥ずかしさは増す。
「あんまり見ないでくれないかな。顔に穴が開くよ」
「ユーニティが恥ずかしがった。これは事件だ」
「事件ですね」
「だから君たちは私をなんだと思ってるんだ……」
真面目な顔を作っていたクロマは、ぷふっ、と吹く。
他方、レギの珈琲カップを置こうとする手がわかりやすくプルプル震えている。尻尾がピンと立っているが、……なぜ嬉しいのか。
「ああ、ユーニティをからかうのは楽しいな。で、からかいついでだからレギ君に聞いちゃうけど、君、俺と一緒に住まない?」
軽食のクラブサンドをテーブルに置き終えて盆を抱えたレギに、クロマは唐突にたずねる。
「僕が貴方と一緒に住むのですか?」
「うん」
「僕はカガリさんから離れたくないので、貴方とは住まないですよ?」
「……えっ」
あっさりとレギが答えた。
なにを言ってるんだろう、とでも言いたそうに首を傾げ、尻尾を大きく振った。
それに対してクロマと私は、驚きで完全に動きを止めた。
私たちは「僕には決められないことなので」という答えを予想していた。だから、そうだよね、悪かった、くらいの返答をしようとしていたのだ。
レギの答えは、本来なら有り得ない。
戦地用従属型バイオノイドの仕様に完全に反する言動だった。
いや……。そうだった。
あまりに当たり前だったから、自分で言っていて気付かなかった。
レギは自分の意思で、自分が寄り添う人間を決めることができる。
現にレギは、自分で望んで私の助手になった。
その行動は普通のバイオノイドならあり得ないが。
『旋律の主』の求める
おそらくは私と同じ結論に至ったクロマが、暫しの沈黙の後に口を開いた。
「そっか、レギ君はユーニティが好きなんだね」
「す、好き? 好きってどういう意味ですか?」
「嫌いじゃないでしょ?」
「すべての人間は嫌いじゃないですけど」
「じゃあ、やっぱりユーニティだけが特別なんだ。ユーニティ、君にも聞くけど」
目尻の涙を指先で拭いながら、笑うクロマは私に水を向ける。
「もし、俺がレギ君を俺に預けてって頼んだらどうする?」
「断る」
「だよね!」
こちらは想定内の問答だ。
私はレギを手放すつもりは微塵もない。
あれだけ私をからかったクロマだ。
私がレギをそばに置いていることがどれほどのことか、彼は多分、私よりよくわかっている。
「ああ、もう。まったく、君たちは面白いね。自分たちが一緒にいる意味を一番理解してなかったんだな」
「そうみたいだね」
レギだけがまだよくわかっておらず、また首を傾げる。
大笑いしていたクロマは、ふと何か思い出して私を見た。
「やだな。俺としたことが、手土産を渡すのを忘れてたよ」
そうしてベルト鞄を
「これユーニティに。いつものやつ」
紙袋には凍結状態の焼売と豚まんのセット。
蒸し器で蒸かすと美味しい、定番の土産物だ。
「ありがとう、楽しみにしてた」
「これ好きだよね。向こうに来たときはまた店に行こう。で、こっちがレギ君」
布袋の中から、小さなピアスが出てきた。
護符宝珠のようにも見えるが、色が変わっている。
「わあ、綺麗ですね」
「でしょ? 護符としての効果は期待できないけど、とても綺麗だったから」
普通、宝珠は基本色と呼ばれる10の色に近く、かつ透明度が高い程、その色が持つ力を強く発現すると言われている。逆に中間の色や彩度が低いもの、濁ったものなどは力が弱いとされ、価値が下がってしまう。
ただ、単純に色石として見るなら美しいものもあり、それらはアクセサリなどに加工されることが多い。
「こんな色なのに、これは護符宝珠として加工されてるんだよ。珍しいと思わないか?」
「確かに珍しいね」
大きさはほんの小指の爪先ほどだが、遠目に見ても高い透明度と反射率をもっていて、キラキラと輝いて美しい。
薄紅色の宝珠だ。
「レギ君ならこれ、似合いそうだから」
クロマはそれを布袋に乗せてレギの前に置いた。
キョトンとして首を傾げるレギ。ゆらゆらとゆっくり揺れる尻尾。考え中の動きらしい。
クロマはややオーバーに額に手を当てて目を瞑った。
なにそれ反則、と。
「いただいていいのですか?」
「うん、君にあげる。あ、受け取ったから俺のところに来いとかそういうのはないからね」
慌てて付け加えるクロマに、レギはにこりと猫のような顔で微笑み、ピアスを手にした。
そこでクロマはまた、レギにたずねる。
「ちなみにレギ君。先日ケガレのマモノ騒ぎのとき、君は警護隊に一時的に編入されてたんだよね?」
片耳がピッと伏せる。尻尾は大きく動き、ウッドデッキをバタンと叩いた。
レギはクロマの胸元に下がる登録証をちらりと見る。それは警護隊が着けるタイプのものだ。
おそらく彼が来たときから気付いていたんだろう。特に驚いた様子もなくコクリと肯いた。
「もし、ここの管轄外でケガレのマモノが出たとき、俺がお願いしたら協力してくれたりする? 警護隊とかはイヤ?」
「んー、……言われたら一応協力はします。でも……編入はあまりされたくないです」
行動に制限がついて面倒だったから、とレギ。
「ユーニティや俺が一緒だったら?」
「クロマさんはわかりませんけど、カガリさんがもし来てくれるならどこでも行きますよ」
またもあっさりと答えるレギに、クロマは顔を両手で覆う。
「俺、完全に振られた」
泣き真似をする彼に、レギが本気で慌てる。
「え、あ、あの! き、嫌いじゃないです! クロマさんに特別な興味がないだけです!」
「それはトドメって言うんだよ、レギ」
「ち、ちがいます、違いますよ?!」
もう俺、仕事頑張れない、とパタリとテーブルに突っ伏すクロマに、イカ耳になったレギが恐る恐る手を伸ばす。
その手は、突然ガバッと顔を上げたクロマに取られた。
……多分待ち構えていたんだろう。
「レギ君!」
「ひぎゃ!?」
長毛種の尻尾でただでさえボリュームがあるそれが、ボワッと膨らんだ。まるで巨大なハタキだ。
「じゃあ、もし俺がマモノに殺されそうになってたら!?」
「え、た、助けますよ、助けられる状態なら。……でもクロマさん」
「ん、なに?」
「ランク
一瞬沈黙するクロマ。
「……あ、気付いてたの?」
「証石もあるし、対マモノ隊のマークついてますし。……僕も仕事なので、頼まれたらお手伝いはしますけど……」
「そうか、それなら助かるよ。警護隊も対マモノの隊員は人手不足なんだ」
そうして、クロマはレギの手を離した。
レギは警護隊に協力する気はあると答えた。クロマは協力する気があるかないか、それだけ聞ければよい。
やっと解放されたレギは、席を立ってパタパタと私の背中に隠れるようにしがみつく。
どうやら怖かったらしい。
尻尾が足にくるんとからみついていた。
「ごめんよ、怖がらせちゃったね。俺は君を連れてったりしないよ。警護隊の上層部は、レギ君が手伝ってくれるとわかればそれでいいんだ」
「……ホントですか?」
私の背中から少しだけ顔を出してクロマを伺うレギ。
「ホントだよ。これで君に本当に嫌われちゃったらお兄さん泣いちゃう」
「何言ってる。君はおじさんじゃないか」
「失礼な。ピチピチの35歳だぞ?」
「表現がすでにおじさんのそれだよ」
「何気にキツい」
若作りと言っては失礼だが、見た目は若いクロマに突っ込むと、少し恨めしげな目で見られた。
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