第16話 失礼なおっさん
すっかり軽くなった身体と頭で立ち上がる。
床に血液が残っているが、今は片付けている時間もない。帰宅したら片付けよう。
ソファからこちらを見ていたビコエは、満足そうにニンマリとしている。俺の魔法は完璧だったろ?と。
「大丈夫そうだな。じゃ、早速調べるか?」
「ああ。……方向はわかっているから、そちらだけに範囲を絞って調べるよ」
「距離はわかってんだな?」
「大雑把には」
「そうか。……場所がわかったらすぐに行くんだろ」
もちろんと答えると、ビコエは頷いた。
『神力』の反動が来ているようで、話すのも辛そうだ。
「悪いが俺はちょっと休む。ここ借りるぞ」
「ゆっくり休んでくれ、目が覚めるころまでには戻る」
「無理はするなよ? 『神力』を続けて2度はさすがに辛いぞ」
カラカラと笑いながらソファに身を預けて目を閉じたビコエは、それから程なく寝息を立て始めた。
『神力』はその強力な効果の代償に、術者に凄まじい負荷を掛ける。術の使用後は疲労のため立ち上がることもできなくなる。
攻撃よりは補助を得意とする、頼りになる先輩に頭を下げた。
この借りは必ず。
そして意識を切り替える。
レギを探さなくては。方向も距離もある程度はわかっている。正確な距離と場所を調べよう。
左手首の銀鈴を再び軽く握り、弾く。
今度は出力を絞り、さらに探索範囲を限定する。銀糸が数本、スウと伸びて西南西の方向に伸びていく。銀糸から伝わる情報が、視覚記憶に重なって詳細になる。
距離は凡そ4キロ。その周辺を、気付かれないよう探索の糸を伸ばす。伝わってくる音の情報にフィルターを掛け、ノイズは拾わないよう流れ込む情報を振り分けていく。
この方向には峠道があり、途中には小さな湖があったはず。そして、やはりその湖の畔に建物があるようだ。
布と金属の支柱で作られた天幕のようなものだが、視覚情報に頼るケモノたちから身を隠すにはそれで充分だ。布と支柱だけで組み上げるだけならば、ケモノたちの活動が止まる夜の間にそれらを作るのは容易なはず。そこを足掛かりに少しずつ頑丈な物を建てていくこともあるだろう。だが、まだここに来て日が浅いためか、立ち並ぶのは天幕のみだった。
それら立ち並ぶ天幕の中に、他よりもやや大型のものがあった。
中に、レギの気配を見つける。
まったく切迫した様子はない。
恐らくレギは、自分が攫われたと思っていない。おいでと言われて、ついて行ってしまっているのだろう。警戒心の薄いレギのことだ。連れて行くのも容易だっただろう。
この集団からはひどく嫌な気配を受ける。……以前にも感じたことのある気配だが、これはいつの記憶だろう。
一つの可能性に思いあたる。
まさか、彼らは。
ともかく、レギの居場所はわかった。
探索の糸を切り、意識を戻す。
ソファでは、ビコエがぐっすりと眠っている。
『神力』使用の反動から回復するのは、どんなに早くても6時間ほどは掛かる。眠っていてもらったほうが回復も早い。
今回はクロマにもビコエにも面倒を掛けてしまった。全ては自分の不甲斐なさが原因だ。これ以上、彼らに手間は掛けさせない。
血液を洗い流し、軽く装備を調えた。今回は夜盗が相手だ。あまり派手なことはしたくないが……それも時と場合による。何しろレギを連れ去ったのだ、それなりの礼はさせてもらう。
──さあ、迎えに行こう。
4キロもの距離も飛行術を身に付けた今なら大した距離ではない。
待っていてくれ。
いや、何より……無事でいて。
***
「あの。おじさん」
「おじさんはやめろ、おじさんは」
俺にゃあれっきとしたガズルって名があるんだ、とおじさんが言った。
ティニとワディズの中間くらいのあたりから、南に向かって山道を進むこと1時間ほど。
道中、小型のケモノ相手に必死に戦って怪我をした部下の人たち5人くらいと一緒に、僕は山中の湖そばに来た。そこはテント村みたいになってて、ちょっとおどろいた。こんなケモノが出てくるようなところでテント張ってるなんて、随分物好きな人たちだ。
いま僕は、そのうちの一番大きそうなテントの中で、座れと出されたボロい椅子に座らされたところだった。がたついててどうにもお尻の据わりが悪い。
「じゃあ、ガジルさん」
「ガズルだっての」
「ガズルさん」
「なんだ、まったく」
このガキを相手にしてると気が抜ける、とガズルおじさんがぼやいた。
そんなことぼやかれても、文句を言いたいのはこっちの方だ。
「なんで僕、ここに連れてこられたんですか?」
「おめえ、赤い髪の男の連れだろ?」
「ツレ? えっと……ツレ?」
「……よく一緒にいるだろ。全然似てねえが、あの男の子供かなんかだろ」
「ああ。僕、カガリさんのパートナーです」
答えてから恥ずかしくなった。
うわあ、パートナー。パートナーですよ、カガリさん。僕、ずっとそばにいていいっていう宣言じゃないですか。言うなれば奥さんですよ、奥さん。
「なにくねくねしてやがるんだ」
「いいじゃないですか。ひとり喜びに浸っているのです」
ガズルおじさんがひどく呆れた顔をする。状況を考えろよと。
僕にはその“状況”というやつがよくわからないけど。
……まあ、これは多分、知らない人についてきちゃった、ということになるんだろう。
一応弁解させてもらうと、このガジルおじさんは清潔な感じの支度で、どう見てもその辺にいる普通のおっさんだ。カガリさんのことで用があるから来てほしい、と言われれば、付いていかざるを得ない。
「パートナーって……ええ? おめえみてえな
「見た目で決めつけないでください。それなりに大人です」
「大人、ねえ。どう見てもガキだが」
ガジルおじさんは、僕を頭のてっぺんから足の先までをジトッとした視線で眺めた。
なんか
「……おめえが男だか女だか知らねえが……、子供を連れ合いに、か? こりゃ驚きだ」
むうっ。
「おじさんは失礼ですっ」
「おじさん呼ばわりも大概だがな」
「ガジルおじさんは失礼ですー!」
「……名前間違ってやがる。ガズルだ、ガズル」
このガズルおっさんめ。
こんな失礼なおっさんなんて、ガジルで充分だ。ケモノにかじられろ。
ブスくれる僕に、はああ、と盛大にため息をつき、ガズルおっさんは僕の目の前のぼろっちい椅子に腰をどっかりと下ろした。ため息つきたいのはこっちだ。
椅子はぼろいし、このおっさん以外の人たちは身なりが悪いし、こんなところでテントを張ってるところを見れば、どうやら彼らは夜盗で、僕は一応誘拐されてしまったってことになるんだろう。しかも、どうやらカガリさんの関係者だ、ってことがわかってて連れてこられてる。
本当はカガリさんが待ってるから家に帰りたいけれど、彼らがまだ敵か味方かわからない状況では、いくらこの人たちは夜盗だと思っても、攻撃を仕掛けることができない。ここで待て、と言われたら待つしかない。
これは戦地用バイオノイドの「敵か味方かわからない場合は行動しない」という原理に基づいている。基づきたくもないけど、強制的にそうなっちゃうのでどうしようもない。
もし、カガリさん──僕が自分で“従う”人であると定めた彼かそれに準ずる人が、彼らを敵であり攻撃対象である、またはそうだという態度を示してくれれば、僕は心置きなく彼らを排除できるんだけど。
あとは、とりあえず3日ほど掛かるけれど、彼らが僕の敵であると認識が通れば、僕は彼らに対して行動を取ることができる。それまでは何事も起きないように祈りながら待つしかない。
据わりの悪い椅子をガタガタさせる僕に、おっさんが、椅子が壊れるからやめろ、という。年季の入った椅子だけど、案外大事に扱っているらしい。
なんにしても、こんなところに連れてこられて用件一つも聞いていないんじゃ、椅子の一つもガタガタ言わせたくなる。
「それで、おじさん。カガリさんについて、こんなとこまで僕を連れてくる用事ってなんですか」
「あー。それなあ。おめえ自身に用があるんだ。あと、ガズルな」
ニタッと気持ちが悪い笑みを浮かべるおっさん。
「僕自身に用事? カガリさんの関係者だからっていう理由なのは聞きましたが」
「なんだ、聞きてえか?」
「それはこんなとこまでつれてこられてるんですから、気にはなります」
じゃあ、おしえてやらあ。
ガジルおっさんは、なんだかぞわぞわしてくるような嫌な目で僕を眺めながら、話し始めた。
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