第12話 第六感

「レギと会ったんだね」

「うん」


 喫茶店の窓際の席で、私はメレと話している。

 今日は彼女の休日であり、面会日でもあった。


 彼女がたまには外がいいというので、彼女を連れて街の喫茶店を訪れた。ここも彼女のお気に入りの店の一つだ。

 フルーツのフレーバーが甘く香る紅茶に口を付け、ふう、と幸せそうにため息をつくメレ。

 一緒にオーダーしたレアチーズケーキにはブルーベリーソースと実が添えられており、既に二口ほど食べられている。好物だと言っていた。


 レギの名を聞いても特に驚いたりすることもなく、そのままケーキと紅茶を楽しんでいる彼女に、私は詫びた。


「突然、レギが会いたいって言ってきたらしいね。……申し訳なかった」


 彼女は驚いたように私を見た。

 それから彼女の目は、ふっと優しい微笑みの形になる。


「どうして謝るの? あたしもレギちゃんとお話がしてみたかったから会ったんだよ、カガリくん関係なしに。凄く楽しかったよ」


 へんなの、とクスクス笑う彼女に、私は返す言葉をしばし失う。

 メレはといえば再び視線をケーキに戻し、彼女曰わく“ケーキとの戦闘”を再開している。レギが使いそうな言い回しだ。


「……まったく君には敵わないな」

「カガリくん、レギちゃんのことで悩んでたんだね」

「どうしてわかった?」

「カガリくんがレギちゃんの話をするときだけは楽しそうだったから」


 他の子の話ってカガリくんの口からは聞いたことないし、と付け加えた彼女は、小さく切り分けたチーズケーキを口に運び、ふにゃりと笑って左手で頬を撫でた。

 それから、もう一口紅茶を飲むと、ケーキに釘付けだった視線をやっとこちらに向ける。


「あたしね? やーっとカガリくんが気を許せちゃう人が現われたんだなあって安心したの」

「君にそんなふうに言われるとは思わなかった」

「カガリくんはあたしの保護者でお兄ちゃんだからね。お兄ちゃんの恋愛事情は心配なのよ? 女の子を避けてるから」

「そこまでじゃないと思うんだけど」


 私の答えに彼女は真剣に困った顔をする。


「カガリくんは女の子を拒絶してるようにしか見えませんでした!」

「拒絶というわけでは……」

「女の子なんか、カガリくんならよりどりみどりじゃない。寄ってくる子も、遠目から恥ずかしがって見てる子もいるよ。うちのお店にもカガリくんいいなっていう子何人もいるもの。でも、カガリくんには相手にされないからやめときなよって言ってる」

「どうして」

「カガリくん美人だから」

「言い方が……」

「お化粧した女の子よりキレイだからー!」


 紅茶に口を付けながら上目遣いする彼女は、今にも吹き出しそうな悪戯っぽい顔をしていた。


揶揄からかってる?」

「まさか。ま、それは冗談だよ? 本命ちゃんがいる人に手を出しても大変だからって言ってる」

「それはいつから?」

「んー、警護隊の仕事が終わってからかな。あのあたりからカガリくんの様子が変になった。その時はまだレギちゃんかどうかはわかんなかったけど。カガリくん変だった」

「へん?」

「うん、変」


 変を連呼されて微妙な気分にはなったが、その観察眼には内心舌を巻く。

 面会の時間などはそれほど長いわけではないし、メレの様子を見るのが目的で、自分の話はしていないはずだ。

 本当によく見ている。


「レギちゃんは固すぎるカガリくんのガードをすり抜けて、いい具合に懐に飛び込んできたもんね。カガリくんはなにげに世話焼きだから、手の掛かる子がちょうどよかったのかもね」


 でもね、と彼女は言う。


「レギちゃんに娼館に行くなんて話しちゃダメじゃない。そういう話はわかってるし慣れてるって本人は言ってたんだけど……おかしいくらい純粋なの。アンバランスというか、バラバラな感じがした。知識と経験が切り離されてる感じ? 識っているけど知らない、みたいな」


 ふ、と目を伏せ、「処女っぽい」と呟いた。

 少し羨むような、憧れるような、そんな声音で。


「カガリくんはちゃんとエスコートしなきゃだめなんだからね?」


 そこは頑張らないといけないところ、と。

 ……なかなかキツいことを言う。


「カガリくんがしたく・・・ないのは知ってるけど、そこ、ほんとは乗り越えたいとも思ってるよね」


 なぜ、と訊ねると彼女は含み笑いをした。


「だって、最後・・のとき、あたしにレギちゃんを重ねてたもん」


 自分でもわかってるでしょ?と微笑む。

 だから、最後にしたんだから、と。


「カガリくんも、ほんとにレギちゃんが好きなんだね」


 ……耳元が少し熱くなる。

 言葉では返さず、小さく笑って頷いてみせると、彼女は片手にフォークを持ったまま両手を頬に当てて、顔を紅潮させながら首をぶんぶんと振った。


「カガリくん、その顔ずるいよ!」

「ずるくないよ」

「ずるいって! もう、わかっててやってるでしょ」

「なにが」


 メレは、ふーんだ、と言いながら、残していた最後の一口分のケーキを口に入れ、満足そうにため息をついた。

 無事“ケーキとの戦闘”を終えたメレは、視線を下に向けたままぽつりと言う。


「でも、レギちゃんはレギちゃんで、なんだか難しそうだね。さっきもちょっと言ったんだけど、知識と記憶がバラバラみたいな感じがあって危ういの。壊れちゃいそうなとこがある」


 メレの予想外の言葉に戸惑う。


「壊れちゃう?」

「うん。戦うとか、そういうのでは強いとは思うんだけど心のほう。なにかを支えに生きてる感じで、それがなくなったら簡単に死んじゃいそう。それのために生きてる感じがする。だから、カガリくんのことが好きだっていうのは間違いないんだけど、それとは別に何か大きい想いを持ってる。まあ、それはカガリくんに対するのとは明確に分かれてるから、支障にはならないと思うけど」


 魔法では人の心を見ることはできない。それができればどれだけ楽なことかわからないが、不可能なものは不可能だ。

 そして、彼女はその魔法にとっての不可能を、時折やってみせる。人の心を見透かしてしまう。持って生まれた能力なのか、何か別のものか。第六感とでも言うのだろうか。

 彼女が見たのは、レギの中にある『主人マスター』への想いだろう。


「あの子には大切な人がいる。いまはもうこの世にはいないけれど」

「そうなんだ」


 従属型バイオノイドが必ず持っている『主人マスター』。レギにもいる。

 彼らバイオノイドが主人に向けるその感情は「愛」と呼ぶべきものなんだろう。

 ただ、主人はもうこの世になく、レギは「愛」という言葉を封じられているようだ。

 形を失った想いを抱えたまま、レギは生き続けているんだろう。


 主人以外の人間には基本的に無関心なはずのバイオノイド。そのバイオノイドであるレギが、なぜか私に関心を持った。

 理由はわからない。

 わからないが、それが主人に向ける感情とは違う恋愛感情に近いものなのは容易に理解できた。子供故にそれが最初は幼稚なイタズラの形で現われ、次第に変化して身体的な接触も求めるようになった。


「レギちゃんは多分、カガリくんが欲しくなる。今は恋とか大好きレベルで収まってるけど、すごく想いが強そうだったから。……でもその時、カガリくんはどうするの?」


 わからない。

 ……けれど。


「どこかで乗り越えなきゃいけないんだろうね、カガリくん」

「そう、だね」


 まだ、先のこと、とは言えない。

 どうにかしたいとは思う。

 それでも、欲しいと感じるその感情に、激しい嫌悪感がこみ上げる。

 もうそれだけで、あの子を穢してしまっている気がする。

 現実はどうあれ、私の手で穢したくない。


「……ねえ、カガリくん! ケーキ全然進んでないけど食べないの?」


 黙り込んだ私に、話を変えようとしたのだろう、唐突にメレは私の前にあるレアチーズケーキを指さして訊ねた。


「おいしいよ?」

「ん……、よかったらあげるよ」

「そんなこと言わないで食べようよ。あたしお代わり追加注文するから、一緒に食べよ! 一緒に食べると美味しいよ。あと、レギちゃんに持ってくお土産をそろそろ頼んでおかなきゃ」


 メレは不安を拭い去るような柔らかい笑顔を作る。


 おそらく第六感とも言うべき彼女の能力が、私の心も読み取っている。

 明確な言語の形ではなく、不安や恐れ、嫌悪感を感じ取っている。

 彼女は、私を苦しめたと思っているのかもしれない。


「メレ」

「なに?」

「ごめん。君に余計な心配を掛けてる」

「なんの話かな。あたし、わかんないよ?」


 近づいてきた店員に追加の注文をし、メレはこちらを向いて笑った。


「カガリくん。これだけは『ままならない』じゃ済まないよ!」

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