第13話 アンバランス
東の空に下弦の細い月が浮かぶ。
夜明けまではまだ半時以上もあり、ケモノたちの気配はない。
深い森の中、ガサガサと何かが動く気配があった。
一つ二つではない。
地面に広がる、周囲の闇より一段濃い闇色の染み。
グチャリと
「はは、ひさしぶりじゃねえか」
低くザリザリと引っかかる耳障りな声が嗤う。
複数の人間の嗤う声が続き、葉擦れの音はかき消された。
森の中を駆け抜けたのは、野生動物だろうか。
木々の間から、弱い月光に照らされ眠る町が見える。
最初の声の主は町を睥睨し、口許を歪めた。
「……思い知らせてやるからな」
泥と鉄錆の混ざるにおいが漂う。
風がない夜だった。
*
「今日は控えめなんだね」
「……最近、お尻と太腿がむちっとしてるんですよ、むちっと。ただでさえ肉付きがいいのにアンバランスでしょうがないのです」
「やっぱりそうだったんだ」
「……バレてましたか」
自分の顔よりも大きな丼を抱えるようにして、うどんを啜りながらレギが恨めしげに言った。
ちる、と一本すすり上げたうどんから汁が飛んだらしく、慌てて顔を拭いている。
少し涙目になっていた。
私たちはティニの町中にある食堂に来ていた。
よく言えば雰囲気のある、悪く言うなら古くさい店内は、昔ながらのテーブルと椅子が並び、昼食時の今は食事客で混み合っている。
私は鳥系のケモノのグリルを頼んだが、レギはうどんを注文した。
普段は呆れるほど食べるレギだが今日はなぜか控えめだった。
聞くと、ダイエットだという。
本人曰く、食べ過ぎが続くとなぜかお尻周りにだけ肉が付くらしい。付く量には限界はあって、それ以上付くことはないものの、あんまり肉付きが良くなるとコートでもカバーができなくなるから、と一応気にしているようだ。
今日もしっかりと着込んでいるコートは身体全体のラインを覆い隠しているが、確かにこれ以上肉が付いたら下半身が目立って仕方ないだろう。
それはそれで、私も心配だ。
「普通に運動していれば、割とすぐに肉も落ちるんですけど、やっぱり一定以上は減らないんですよねぇ……」
「そういう体型だからだね」
「だから、本当は食べたいけどちょっと我慢しているのです。あとは適当に負荷を掛けた運動をしていたらすぐ落ちます」
喋りながらもいつの間にかうどんは減っている。
上に乗せられた天ぷらのエビにかじりつきながら、レギは私を上目遣いで見た。
「で、お話は変わるんですけど。僕、このあとちょっとお買い物行ってきたいんです」
「買い物? ……いいけれど、1人ではだめだよ」
「僕はちっちゃい子供じゃないので迷子にはなりませんよ?」
「いや、迷子じゃなくてね。最近ワディズ一帯で風体の怪しい連中がうろついているって話をビコエから聞いたんだ。このあたりでも怪しい人間がうろついているという話も聞くし、私も実際に目にしている」
むぅ……、と呻るレギ。
本人は不満げだが、私の心配にも理由はある。
私から見て、パートナーという欲目を除いてみても、レギはやはりかなり目立つ。
見るからに無防備で、小柄なうえフニャッとした様子が頼りなく、警戒心はほぼないに等しい。連れて行こうと思えば簡単だろう。
実際にこの子は夜盗団に攫われたことがあり、逃げ出すこともできずにそこで酷い辱めを受けている。
ある出来事の際に一時的に思い出しはしたものの、程度の酷い記憶についてはやはり記憶消去の機能が働くのか、もう覚えてはいないらしい。一応そういうことがあった、という程度のことくらいしか記憶に残っていない。
警戒心が多少でもあれば、また、風体の怪しい人物がレギにわかるならそれほど心配することもないのだが……。
旧時代末期の『静かな戦争』。研究所資料には詳細は残っていなかったため理由は不明だが、「警戒心・害意を持たない、子供のようなバイオノイド」を何らかの作戦のために実験体として製造したことはわかっている。
戦地向けバイオノイドの性質上、敵として認識しない人間には攻撃はできないし、彼が1人の場合、状況を見て敵味方の判断をすることもできない。仮に、連れ去られた場合は、彼は逃げる手段を失う。
「レギ。君は無防備すぎる。自分でもわかっているよね」
「……はい」
咎めるつもりはない。けれど、レギはしゅんとした顔で丼を抱えて下を向いた。
いつのまにか丼は空になっている。
「じゃあ、お買い物付き合ってもらえますか?」
「いいよ、何を買うの?」
「お菓子です」
「……ダイエット中じゃなかったの」
*
数日後。
ここ数日で保安隊の動きが慌ただしくなり、あちこちで彼らの姿を目にするようになった。主に人間の犯罪行為などを取り締まるのが保安隊の職務だ。
彼らが動きを強めているということは、夜盗たちの動きが活発化している証拠でもあった。
今日は朝から町役場から職員が自宅に仕事の打ち合わせにやってきていた。
その間に食事の買い出しに行くと言って、レギが買い物に出掛けていった。
出掛けた先は近所の商店だ。目と鼻の先で、歩けば5分と掛からない。
レギが買い出しに出掛けたのは10時過ぎ。
職員は11時半頃には帰っていった。
いつもなら、職員が帰るまでには帰宅してキッチンに入り、食事の支度などしているのだが。
レギが帰ってこない。
時刻は既に午後2時を過ぎた。
おかしい。
どこかで寄り道をしているにしても、こんな時間になることなどあり得ない。
誰かに会って話し込んでしまっても、これまで昼を跨いで帰宅しないなど一度もなかった。
──ナー付近で被害が出てたんだけどな、最近北上してきてるみたいなんだよ。ワディズ、ティニ、ヤカー……、このへん一帯で夜盗被害が出始めてるらしいんだ。
先日ビコエが言っていたことが脳裏を過る。
保安隊の活発化もある。この周辺で、怪しい人物を見かけたこともある。
それ故、レギには注意を促してはいたものの、僅かな時間だからと注意を怠った自分が腹立たしい。
これほど身に迫っている。
レギが狙われやすいのも分かっている。
充分な注意が必要だったはずだ。
……迂闊だった。
ひどく嫌な予感がする。
ただその辺で道草を食って遅くなっていただけなら、それはそれで笑い話で済む。
カガリさんは心配性ですね!と、あとで揶揄われても、それはそれでいい。
左手に提げた銀鈴を軽く握り、弾く。
レギを探さなくては。
音の銀糸がぶわりと広がる。
まずは村の中を。
レギが歩いて出掛けていく程度の範囲。半径500メートルほどの範囲をくまなく探す。
続けて1キロ、2キロ。
しかし、レギの反応はなかった。
「どこにいるんだ、君は!!」
──もう、間違いない。
レギは、何物かに連れ去られたらしい。
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