第14話 花束を抱く氷像
「──ッ……!!」
激しい嘔吐感と酷い目眩。
意識が朦朧とする。
洪水のようにドッと流れ込んでくる膨大な情報。
さまざまな音、会話。
全てが別々に、同時に、それぞれの情報を無理やり脳に流し込んでくる。
処理しきれない──
何をやっているんだ、私は?!
ランクの上昇に伴って広範囲の探索能力は確かに上がった。しかし、これほどの……10キロ単位の広域を一度に探索すれば、情報が処理しきれなくなるのは分かっていたはずだ。
レギを探しに行かねばならないのに、私は……!
とにかく早急に探索をやめなければ脳が焼き切れる……。
暴走させてしまった力に魔法的体力が一気に削られていく。
「く、そ……ッ」
意識が保てない。
まずい。これでは……
なんとか索敵の糸を切る。
それでも、大量に押し寄せてきた情報に身体の方が保たなかったらしい。
鉄錆のにおいがする液体が、喉から上がってくる。
ぼた、とこぼれた赤い液体が手を濡らす。
……本当に何をやってるんだ。
視界が霞み、意識が真っ白い闇に落ちるのを感じた。
*
「カガリ、……カガリ」
肩に置かれた温かい手がオレを優しく揺する。
あ……、この声。姉さんだ。
「疲れて寝ちゃってたのね、まだまだ子供ね」
「……うるさいなぁ……、もう12歳なんだから子供扱いしないでよ……」
クスクスと笑う優しい姉さんの声に、半分くらい甘えもある反抗をする。
「もうちょっと寝たい……」
「だめよ、起きて。いいお天気よ」
姉さんに促されて目を覚ました。
目をこすって周りを見回す。
リビングのソファで寝てしまっていたらしい。
オレ、何してたっけ。
何か大事なことを忘れている気がするけれど、思い出せないってことはきっとその程度だ。
大事ならそのうちまた思い出すからいいや。
ボーッとしたまま起き上がると、ソファの横で立ち膝をしていた姉さんが、オレのおでこに掛かった髪をちょいちょいと指先でよける。
それからとても嬉しそうに、オレのおでこを円を描くようになで回した。
寝起きにやられる、いつも通りのこと。
けれど。
いつも通り……以前と同じなのはそれだけだ。
あの件以降、姉さんは外に出なくなった。
正確には出られなくなった。
外に連れ出そうと思っても、門扉近くまで行くと立っていられなくなる。
本当は外に出たいのに、嘔吐感と震えを起こして歩けなくなってしまった。
あれほど強く明るかった人が。
オレの前では辛うじて普通を装っているけれど、音や光に過敏になってるのはわかったし、訳もなく(多分なにか思い出したりしてるんだろうけど)泣き出すこともあった。
半年ほど経ったいまも、良くなっているような、いないような状態だ。
辛いだろうな、と思う。
おでこを心ゆくまでなで回し、満足したらしい姉さんは、立ち上がるとキッチンの方に行った。
それを見送ってから何となく外を見る。
外は新緑の季節を迎えていて、花が咲いているのも見える。
姉さんがなで回したおでこを、自分で撫でてみた。すべすべしてる。
姉さんはこれが好きなんだろうな。
ほどなくして、キッチンから出てきた姉さんは、ウッドデッキの方に盆に載せたお茶を持って行く。
「こっちおいで、カガリ。お茶飲もうよ」
……?
ここしばらく、姉さんはウッドデッキもあまり行きたがらなかったのに。
今日は調子がいいのかな。
姉さんに呼ばれるまま、ウッドデッキに出た。
いいお天気だった。
朝は雨が降ってた気がする。
風景も何となく違う気がする。
姉さんが久しぶりにウッドデッキにいるせいかな。
デッキに出された椅子に腰掛けると、先に座っていた姉さんはテーブルに置かれたカップをこちらに差し出した。
「はい、ミルクティよ。お砂糖いっぱい入れたからね」
「ありがと」
香り高いオレンジ色の水色の紅茶に、たっぷりのミルク。
普段はあまり砂糖を入れてくれないのに、今日はどうしたのかな。
姉さんが淹れてくれた甘いミルクティを一口飲むと、ふわんと華やかな香りの紅茶と柔らかく包むようなミルクが、甘みと一緒に口に幸せを運んでくる。
美味しかった。
「今日の紅茶美味しい」
「そう? お砂糖をいつもより多めに入れただけだけど。いつもと同じ紅茶よ」
そういいながら、小皿に取ったクッキーもくれる。
多分姉さんが焼いたやつだ。オレの好物。
早速手を伸ばす。
姉さんのクッキーはシンプルで、バターと卵、砂糖と小麦粉だけでできているはず。なのになぜこんなに甘い香りがするんだろう。
ふふ、と微笑む姉さんの顔に、微妙な違和感を感じる。
あれ?
姉さんは生きてる。
生きてる?
今日はいつ?
あの花は春の末頃に咲く花。
春の……末。
「カガリ。頑張るのよ。あなたは強いし、きっとなんだってできる子だから」
「何言ってんの、姉さん」
「……ううん、なんでもないわ。お茶に付き合ってくれてありがとう。美味しいね」
「すげーうまい」
「もう、言葉遣い!」
「はい」
クッキーを食べ、いつもより甘いミルクティを飲みながら、姉さんと他愛のない会話をした。
お茶が終わると、オレは部屋に戻って勉強の続きをするように言われた。
クッキー、たくさん作っておくからね、頑張るのよ、とも。
ことさら頑張れと強調され、なんだか変な気分だ。
それから渋々部屋に戻って、勉強を始めてから1時間くらい経ったころ。
玄関から姉さんの声がした。
「出掛けるね」
でかける?
部屋から顔を出し、玄関を見る。
久しぶりに見たワンピース姿の姉さんが、ヒールの高い靴を履くのが見えた。
……外に出てみようって気分になったんだ。
「うん、行ってらっしゃい」
「じゃあね、カガリ」
姉さんはひらひらと手を振り、以前みたいな綺麗な顔でにっこりと笑った。
──その数時間後、花束を抱えた姿の氷像になった姉さんが、村外れで見つかった。
取り乱す両親。
オレはただ呆然とするしかなかった。
魔法、使えたんだ、姉さん。
よりにもよって、その魔法を自分に掛けて……。
氷になった姉さんに触れる。
見た目はまるで生きているみたいなのに、それはあまりにも冷たくて。
どうして。
何も悪いことをしていなかった姉さんがどうして死ななきゃならなかった?
オレの姉さんは、誰にも酷いことなんかしたことがないはずだ。
誰かが言った。
姉さんは見せしめにされたんだと。
本来なら、連れ去ったら酷いことをして、その場で殺すんだという。
けれど、奴らは姉さんを村に戻すことで、村の人たち……いや、保安隊に向けて、これ以上自分たちに手を出すな、と警告してきたんじゃないかって。
姉さんはその犠牲になったんじゃないかって。
オレの両親は保安隊員だ。
父さんも母さんも、ティニの駐在所に派遣されている保安隊員で、少し前に他の保安隊員数人と協力して夜盗連中を逮捕し、数人をその場で殺した。
好き勝手に方々を荒らし回る夜盗連中。捕まえた連中のうちの数人、拘束する際に抵抗した奴を
それの報復だとか、見せしめだとか。
だからって……。
綺麗な花束を抱いた姉さんの手に触れた。
冷たい。
『カガリ』
突然、声がした。姉さんの声だ。
見上げると、氷像になった姉さんが目を開き、こちらを向いて微笑んでいた。
──これは夢だ!
『こんな夢の中で何をグズグズしているの?』
間違いなくこれは彼女が死んだときの夢だ。
しかし、これは……。
『冷静なときはいいけれど、そうじゃなくなるととんでもないミスしちゃうのは相変わらずね』
彼女は楽しそうに言った。
まるで生きているときのように。
「ミス……?」
『そうよ、大失敗。あなたったら、広範囲探索を暴走させちゃったでしょ。あの子を探したい一心で……。でも、これじゃ本末転倒だわ』
「……見てたんだ」
『見てたわよ。ハラハラしながら』
本当に困った子ね、と彼女は笑う。
『あの子がカガリの助けを待ってるわ。ちゃんと助けてあげてね。……傷ついてるの、私と同じに』
「傷、ついて?」
無言で頷き、彼女は動かないはずの腕をゆっくりと上げる。
ひびが入るが一向に気にする様子もなく、私の髪をふわりと撫でた。
『さあ、時間よ。目を覚ますの。……頑張って、カガリ』
凍り付いた手が私の額に掛かる髪を優しく払う。
冷たくも柔らかい指が、いつもそうやったように円を描くように額を撫で、そして崩れて消えた。
同時に、誰かが怒鳴る声が聞こえた。
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