第22話 抱き枕のふて寝

 悶々。

 悶々々々。


 うぬぅ。またこのパターンだ。

 例によって、抱き枕中。

 

 頭の後ろから気持ちよさそうな寝息が聞こえる。


「……もう」


 ため息が出た。


 カガリさんもビコエさんも知ってることが、今になって重圧になってのし掛かってきてる。

 沢山の人を相手にすることを前提に作られてるメンタルと身体のおかげで、いままで襲われても何されても、どうせ記憶に残らないからと、ほとんど気にしてなかった。


 ……今になって、それがすごく嫌だ。


 自分の身体を大事にしなさい、とか。

 できるんならしてるよ。

 できなかったからこうなってる。


 カガリさんは僕に手を出してこない。理由はわかってるけど、それ以前にいろんな人の手垢が付いた僕じゃいやだって思ってるんじゃないかって……。

 最近、そういう思いが頭をもたげて、振り払っても振り払ってもまとわりついてくる。

 いっそ聞いちゃえばいいんだけどな。


 聞けない。

 どうしてかわからないけど。


 ……いや、そんなのウソだ。


 カガリさんの口から答えを聞くのが怖いだけだ。

 この人は優しいから、汚いと思ってもきっとそうは言わないだろうな。

 後ろから僕の上に半分乗っかってる感じで、今日は本当に熟睡しているカガリさん。

 僕のそんな気持ちなんか知らないんだろうな。



 ***



「ちゃんと眠れてる?」


 朝食の支度をしながら、レギに訊ねる。

 レギは眠そうな顔をして、コーヒーとも呼べないほど甘くした飲み物を飲んでいた。


「僕は本来、寝なくても大丈夫な身体ですので」

「つまり寝てないってことだね」

「……はい」


 そうして、くぁ……と猫のようなあくびをする。


 夕べもこの子は抱き枕にされて眠っていた。

 本人は抱き枕されることはもはや当然のようで、先に布団に入っていることがほとんどだ。そして、多くの場合、先に眠ってしまう。

 けれど、どうやらここしばらく、眠ったあとにまた目を覚ましているらしい。

 朝起きると、朝食前にコーヒーを飲んで(効かないとは言っていたが)眠気を覚まそうとしている。


「抱き枕は寝にくいよね、やっぱり」

「そんなことないです! 抱き枕好きです!」

「好きでも眠れなかったら……」

「しないと眠れないですっ……!」


 必死になって答えている。抱き枕のせいで眠れないんじゃないと言いたいようだ。

 泣きそうな顔をする。

 手元のコーヒーがこぼれそうになっていた。


「こぼれちゃうよ」


 近づいてコーヒーカップを取り上げ、代わりに開いた唇にキスをする。

 行き場を失っていたカップを持っていた手が、私の髪をぐっと掴んだ。


 レギは、こんなのずるいと小声で抗議している。


「君の飲んでるこれは、ちょっと甘すぎるね」

「……ずるすぎる」


 彼が飲んでいた、練乳入りの飲み物が唇に残っていた。それを軽く舐め取ると、彼は耳元まで赤くして小声でまた何か抗議している。

 下を向いた頭をポンポンと撫でると、少しだけ機嫌が直った。


「で、眠れてないんだよね」


 朝食をテーブルに運び、椅子に腰掛けながら再度訊ねた

 レギは何とも言いようのない顔をして、首を横に振る。


「眠れて、ます」

「嘘ばっかり。何か心配ごととか?」

「そのうちに話します。僕が隠し事ができないたちなのはご存じでしょう?」

「──そうだね」


 少し機嫌が直った顔でレギは答える。なんでもない、というように口元に小さく笑みを作って見せた。


 とはいえ。

 気が付いていないわけじゃない。

 レギが眠れない理由は、抱き枕のその先だ。


 すまないとは思う。

 けれど。

 

 こればかりは、……ままならない。



 ***



 午後になってカガリさんは1人で出掛けていった。

 行き先は知ってる。メレさんのところだ。

 月2回ある面会日だった。


 まあ、彼女の保証人なんだし、仕方ないんだけど。


 また、してる・・・のかなあ……。


 なんか少し前から、帰ってきたときの匂いが変わってるんだよ。

 お香みたいなにおいがしなくなって、ただの香水の香りだけになった。

 なんだろ、気になる。


 時計を見ると、4時過ぎてる。

 でも、カガリさんが帰ってくるにはまだ少し時間があった。

 ご飯の支度は整っていて、あとはちょっと温めたら何時でも食べられる。他にすることが思いつかない。


 ……むう。


 独りきりでリビングにいるのがなんだか嫌になって、僕はのてのてと寝室に向かう。

 ドアを閉め、上着を脱いだ。


 アンダーだけの格好でベッドに潜り込み、カガリさんの枕に顔を押し付ける。

 石けんのとも違う、カガリさんの香りがする。夏に咲く白い花と似た香り。ぞくり、と背中に変な感覚が走る。


 ……僕がこんなふうになったのは、全部この人のせいだ。

 今まで他人に興味がほとんどないから、何も考えることなくアレを集めることができたんだ。

 なのに。


「……責任取ってください……」


 悔しいな。

 なんで、こんなふうになっちゃったんだろう。

 マスターに会いたいから頑張ってるっていうのに、そのための行為を躊躇うようなことになるなんて。


 毛布を頭から被って包まる。脚を絡め、腕を回してしがみつくみたいに。


 毛布からもカガリさんの香りがする。

 香りには包まれているのに、体温がない。


 また、ぞくりと背中をなぞられるような感覚。

 思わず声が漏れた。


 香りとゾクゾクする感覚に妄想する。

 この香りの元が、毛布じゃなくてカガリさん本人だったら。

 抱きすくめられ絡め取られて、動けなくなって。そして全部、さらけ出させられる。

 そうして彼の腕の中で、身動きも取れないまま翻弄される。


 ……ないか。ないな。


 そもそも、彼には手を出す気がない。

 一緒に寝たりお風呂に入ったりしてるのに。ここまでくると自信がなくなってくる。

 

 最近はもう、すっかりいろいろ慣れた感じで、ハグもしてくれるし、おでことか頬とか……にキスをしてくれたりする。

 寝てるときは変わらず抱き枕だけど、前より熱っぽい気はする。気がする、だけだけど。


 それに……耳元で囁くんだ。


「○○してる」


 聞こえないって言ってるのに。

 もしかしたら、そのうち聞こえるようになるかもしれないよ、って言って、繰り返す。

 嬉しいけど、悲しくなる。


 変な感じがする。

 悔しいし、顔を見たくないし、嬉しいような気もする。


 ……僕は寂しいんだな。


 カガリさん、早く帰ってきてよ。

 子供扱いで構わないから、ぎゅってされたい。


 毛布に顔を押しつける。

 両脚で毛布をギュッと挟んだ。


「……あれ?……」


 ……身体がおかしい。

 いままで、1人の時にこんなふうになったことないのに。

 戦地向けバイオノイドの制御は今だってしっかり有効なはずなのに。


 え……どうしよう。

 なんでこう、……ままならないことばっかりなんだろう。

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