第21話 風呂上がりの攻防戦

 自宅のお風呂でぷかぷかと浮かぶアヒルのおもちゃを眺めながら、僕は湯船に顔を付けてぷくぷくして遊んでいる。小っちゃいアヒルが3つ、顔の周りで泳いでいた。

 ……家に戻ってくるまでには、なんとか身体の自由が戻った。無力化強制から比較的短い時間で解放されたおかげで、回復までも結構早かった。


 それでも、おなかが気持ち悪いのだけはどうしようもない。


 普段はお風呂もカガリさんと一緒だけど、今日は1人で入ってる。カガリさんもそれとなく同意してた。

 その時のカガリさんはものすごくぎこちなくて、なんか油が切れた機械人形ロボットみたいになってた。

 それも仕方ない。多分その時の僕は、彼とそんなに変わらなかったと思う。


 お湯の中でおなかを撫でる。


 ……汚されちゃったなあ。

 今夜寝たら記憶消去が働いてその辺の記憶はみんな消えちゃうだろうけど、嫌なものはいやだな。そしてそれ以上に、カガリさんがどう思うんだろうなっていう不安はずっと残っている。

 それに、されたことについての記憶は消えちゃうだろうけれど、その周辺の出来事については今回程度なら消えないと思う。


 あ~……。

 だめだ、そうは言ったって僕だって一応被害者だから、傷ついてるのは傷ついてるんだぞ。

 つらくないって言ったら大嘘だ。……いま、凄くつらい。


 ──今回のことで、カガリさんに敬遠されたら嫌だなあ……。


 *


「牛乳飲む?」

「飲みますー!!」


 お風呂上がりの僕に、カガリさんが聞いてきた。

 運動のあとの牛乳は、吸収効率がいいから健康的に筋肉が付くとかなんとか。

 クスクスと笑って、カガリさんがキッチンに向かう。


 ……まあ、御託はいいのです。

 お風呂のあとの牛乳はおいしいのです。


 リビングの方にいけば、ソファではまだビコエさんが寝ている。

 僕たちが家に帰ってきてから3時間ほど経ってるけれど、まだ寝てるってことは、やっぱり使った魔法がめちゃくちゃ大きい負荷を掛けてきたんだろうなって思う。

 カガリさんに聞いたところ、すんごい大技を使ったから回復するまでは起きないと思うって。


 狩人の補助・回復系は稀少だけれど凄いっていうのは僕も知っているけど、ランクが高いとほとんど無敵じゃないかって言われてる。

 多分、彼が警護隊に入ることになれば、凄くいい待遇を受けられるんだろうなと思った。

 お誘いはあるらしいけど、狩人のままでいるのは気楽だからなんだろうな。わかる気がする。


 ……しかし、よく寝てるなあ。

 何しても起きなさそうだなあ。


 ふと、右手に持ってる小っちゃいアヒルのおもちゃに目が行く。

 綺麗に水分は拭き取ってあるから、どこにおいても濡れたりしない、はず。


 ビコエさんが寝ているソファの横に正座した僕は、彼のおでこにそっとアヒルを乗せてみる。


「……んー……」


 ビコエさんが呻った。

 うっすら目を開ける。


 うぷぷ。びっくりするかな。


「ん? なんだこれ……」


 おでこの上に乗っかったアヒルに気が付いたビコエさん、それを取ろうとしてむぎゅっと掴んだ。


 ぶしゅ


「うわっぷ!? な、な!?」


 アヒルの中にお水が少し残ってたらしい。

 アヒルをビコエさんが掴んだ拍子に、中に残ってた水が水鉄砲よろしくぶしゅって出てビコエさんの顔に思いっきり掛かった。


「うわぁ、ごめんなさいぃぃ!」


 慌てて首に掛けてたタオルで、彼の顔をわしわし拭きまくる。


「ぶ、わ、なん、っちょ、や、めろ、いてぇ!!」


 ビコエさんが悲鳴をあげ、リビングにやってきたカガリさんが驚いた。


「目が覚めたか。……なにやってるの?」

「知らねぇよ! 目が覚めたら水ぶっかけられたうえ、タオルで拷問受けてる」

「拷問って」


 グラスになみなみと注いだ牛乳を手にしたカガリさんは、頬を引きつらせて僕を見る。


「あ、あの、あひるがね、ビコエさんに乗りたいって言ったのです」

「言うかよ」

「……うう、乗せてもいいよっておでこが言ってるような気がしたんです……」

「尚更ないわ。……しっとり湿ったタオルで顔を思いっきりこすられるってなんなんだ」

「クロマなら喜びそうだけど」

「あの変態と一緒にすんな」


 どこかで誰かがくしゃみをしている気がする。

 うー……と呻りながら、ビコエさんがソファから起き上がった。


「こんなとこで寝るもんじゃねぇなあ。身体が痛ぇ。……ん、おお、レギ君、帰ってきたんだな」


 しっかり目が覚めたところで、僕がいなくなってたことを思いだしたらしい。

 

「このたびは僕とカガリさんが大変ご迷惑をおかけしました」

「いや、おかえり。一応……無事でよかった」


 にっと笑ったビコエさんは、それとこれとは話が別だと言わんばかりに僕が持っていたタオルを奪い取り、僕のおでこをタオルでゴシゴシした。


「あううぅぅ、いたいです~……! ごめんなさいっ、ごめんなさいいい」

「ならばよし」

「うう……。……おかげさまで無事戻ってこられました。ビコエさんには凄い大技でカガリさんを治してもらったそうで」


 ペコリと頭を下げると、ちょっと焦ったみたいにビコエさんが言う。


「……あー。いや、それがさ。思った以上に脳の損傷は大したことなくてなあ。アレだけの暴走やらかしておいて、不思議なんだがな」

「そうなんですか。でも、ビコエさんの復元魔法のおかげで、カガリさん元気になりましたし」


 普通の治療魔法は本人の体力を使って傷の回復を早める物だ。ビコエさんの復元はそれとはわけが違う。大ダメージを受けたカガリさんが普通に戦えたのは、ビコエさんのおかげだ。

 もう一度ペコリと頭を下げると、僕の頭をビコエさんがポンポンとする。


「んな、かしこまらなくていいぞ。狩人なんて持ちつ持たれつやってるんだ、俺だってカガリには何度も命を助けられてるからな」

「そういうもんですか?」

「そういうもんだ」


 そういってニカッと笑ったビコエさんに、頭をわしわし撫でられた。

 そこへ、後ろから近づいてきたカガリさんに、ギュッと抱きかかえられる。横に置いてあった牛乳のグラスを手渡されたので、とりあえずそれに口を付けた。

 冷たくておいしい。


「……あ、やきもちか。いいじゃねぇか、頭ぐらい撫でさせろ」

「断固拒否する」

「えー……。ひでぇ」


 カガリさんはビコエさんに見せびらかすみたいに、僕をもう一度ムギュッとやった。危うく牛乳を零しかける。


「しかし意外だ……驚いた。案外独占欲強いんだな」

「私も知らなかったよ」


 案外、僕のパートナーはやきもちやきらしい。

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