第28話 そして夜は明けた
朝。
昨日往診に来た医師に、数値が悪くなっているので一時的に対症治療魔法を止めるよう言われた。
無理やり症状だけを抑え込んでいるために、別の問題が出てきてしまうことはあることだ。ただ、そちらの方があまり好ましい状態ではないための処置になる。
「普通ここまでひどくはならないんですけどねえ」
医師は珍しいらしい症状に少し首を傾げながら言っていた。
あまり熱が高くなりすぎるようなら少し魔法で抑えてもいいが、あくまで熱だけだ、と釘を刺される。
そのようなわけで、昨日の夜から治療魔法を使わずに、処方された薬だけを服用して休んでいる。
昨晩は熱で、結局朝まで寝付けなかった。
額に乗せられたタオルは、レギが掛けた弱冷却の魔法のおかげで冷たさを保ち、熱を多少和らげてくれてはいるが、やはりつらいものはつらい。
熱を出して寝込むなど、どのくらいぶりだろう。
時計を見れば朝も7時を過ぎたところだ。
だが、さすがに体調が悪くて起き上がれない。
ベッドサイドに置いてあった水銀の体温計で体温を測ると、39度半ば。これはつらいわけだ。
ここまで熱が高いのなら、少しは解熱の魔法を使いたいところではあるが。
どうしようか考えていると、ドアをノックする音がした。
「カガリさん、起きてますか?」
「うん、さっき起きたよ」
カチャリとドアが開き、盆を抱えたレギが入ってきた。
カーテンから差し込む朝日がちょうど逆光になる。
さらりと揺れるレギの銀髪が金色に見えて、思わず目を細めた。
「おはようございます。あれ、どうしたんですか?」
「おはよう。……うん、日の光がね、ちょっと眩しかっただけだよ。夕べ眠れなかったからかな」
そうですか?と不思議そうな顔で返事をし、レギはテーブルに盆を置いた。
朝食を持ってきてくれたようだ。
「お熱計ったんですね。……うわ、ひどい。解熱してもいいんじゃないですか?」
「ん……、もう少ししてつらかったらそうするよ。君が抱き枕でもしてくれたらまだ大丈夫かもしれない」
半分冗談で言うと、彼は申し訳なさそうに答えた。
「ゆうべだって結構ひんやりで抱き枕してたんですけどね。凄くつらそうだったので、僕も眠れませんでした」
眠そうな様子は全くないが、……そうか、レギも眠れなかったのか。
「ごめんね、眠いよね」
「いいえ、平気です」
一度起きちゃえば全然平気ですよ、とレギは微笑んでみせた。
……今日はいやに朝の光が眩しい。
「身体、少し起こしてください。ご飯食べられそうですか?」
「食欲ないな」
一応起き上がるが、さすがに食べられる気がしない。
起き上がった背中の後ろにレギはクッションを積み上げて、ポンポンと叩く。寄りかかれ、ということらしい。
「食べられないのでしたら、スープだけでも口に入れてください。凄く軟らかく煮た野菜のスープですが、野菜は食べなくていいですから」
そう言うと、レギは盆からスープカップを片手に、もう片方にスプーンを持ってベッドに腰を掛ける。
そして、ふわりと微笑んで言った。
「今日は僕が飲ませてあげます」
「……自分で飲めるよ」
「だめです。──今日はいうこと聞いてください」
さすがにそこまで弱ってるわけではないが、なぜか私は頷いた。
レギの手にはやや大きく見えるスープスプーン。それに掬ったスープを、不器用に口に運んでくる。慣れない手付きは危なっかしい。
唇に触れた木製のスプーンは熱さを感じさせず、傾けられたそこから口に暖かいスープが流し込まれる。
口が熱であまり味覚を感じないことを考えてか、少し濃いめに味を付けたスープは、野菜の甘みと肉のうま味が溶け込み、食欲のない私にも美味しく感じる。
「美味しいですか?」
「うん。こんな体調だけど美味しく感じるよ」
「身体が必要としているってことです」
続けて二口、三口とスープを口に運びながら、レギは嬉しそうに答えた。
それでも、さすがに体調がよくないためか、カップの3分の1ほどまでスープが減ったところで飲めなくなった。
「ありがとう、もう大丈夫」
「わかりました」
頷くとレギはスープを盆に戻し、タオルで私の口元を拭った。
それから伸ばされた小さい手が首筋に触れる。
「すごく熱いですね」
ひどく心配そうにレギは私を見た。
「そんな顔しないで。熱は出るけど、死にはしないよ。時間掛かるみたいだけど」
「……そういうことじゃないんです」
天色の瞳が伏せられ、ポロと雫がこぼれ落ちる。
「カガリさん、人に頼らないじゃないですか。この間のマモノの時だってそうです」
「……」
「無理、しないでください。カガリさん強いから、ぜんぶ1人でなんとかしようとして」
こぼれた雫が、ベッドに○の跡をふたつ作った。
「僕に、きちんとあなたの心配をさせてください。たまには頼ってください。……僕には大したことはできませんけど……」
小さな手が私の頬に触れる。
いつもと逆に、レギに撫でられている。
双小剣を握り、戦うために生まれたものとは思えないほど小さいそれは、柔らかく心地よかった。
「うん。──ありがとう」
頬を撫でる手が止まる。
顔が近付けられる。
「……あの、カガリさん」
意外に思われるかもしれませんが、と囁く。
「バイオノイドの記憶削除仕様ってつらいと思われてるかもしれませんけど、そうじゃないんです。つらいことを覚えてないってことは、逆に、幸せなことだけ覚えてるってことなんです」
目の前にある幼い顔は、透明な雫をこぼしながら微笑んだ。
その表情で気付く。
幾つもの資料、実際にあった出来事。
つらいことばかりなのではないかと思っていた。
……そうではない。逆だ。
バイオノイドの仕様。
記憶消去は、不要な記憶、つらい記憶を消す。
残っているのは、すべて大切で幸せな記憶。
「ここへ来てからの記憶、ぜんぶ残っているんです」
言葉に詰まる。
声が出せない。
「僕は、幸せだってことです」
レギの唇が動く。
声だけが耳元に届く。
──あなたのせいですよ、どうしてくれるんですか?
その時初めて意識した、透き通る風のような声。
こんな声だったのか。
「僕のほうこそ……あの時拾ってくれて、そばに置いてくれて、……ありがとう」
レギの目からポロポロとこぼれ落ちるそれは、私の頬や髪を温かく濡らす。
*
その日を境にして、体調はどんどん回復していった。
医師の判断と投薬がよかったのか、レギの看病の甲斐があってかはわからないが、当初は回復には1カ月掛かるといわれていた感染症は2週間程度で数値も体調もすっかり元に戻った。往診の医師からは驚かれた。
ともかくも身体が鈍って仕方がないのでいい加減に体を動かしたいところだ。
などと考えていたら、早速役場から仕事の依頼が来た。
ところが。
「まだダメですっ!! 半月も病んでた病み上がりさんがいきなり野山を走り回るとか、なに考えてんですかっ!!」
普段怒ることのないレギが、怒った。
レギの言うことも一理あるので、とりあえず今回は断ることにして役場の職員にはお引き取り願う。
しばらく口を開かないから怒っているのかと思ったら、どうやら必死に堪えていたようで、職員がいなくなった途端に今度は号泣だ。
部屋の隅でわぁわぁと泣くのでどうしたものかと思っていたのだが。
そこでふと思い出した。
背後から近づき、ヒョイと抱き上げる。
「──ンにゃあぁぁぁ!? なにするですかっ!?」
「はいはい、いい子いい子」
少々暴れるが気にしない。
エンが言っていた。
『アイツは口は達者だが、頭の中は外見通りの子供だ。まあ、小さな女の子とかそういう感じの生き物だから、なにか困ったらそう思って接してやるといい』
そのままソファに連れて行き、抱きかかえたまま背中を軽く叩く。
「ごめんね、私が悪かった。君は心配してくれたんだね」
まるで子供をあやすように。
しばらくそれを続けると、しゃくりあげながらもレギは寝息を立て始めた。
くったりと身を預け、無防備に眠るレギの頭を撫でる。
珍しいほど怒ったレギ。
感情を爆発させるような大泣きも初めてだ。
レギがこれほどまでに怒り、泣いた理由。
そこに不意に、先日のレギの言葉がよみがえった。
ああ、そういうことか。
──無理、しないでください。カガリさん強いから、ぜんぶ1人でなんとかしようとして
君が言うとおりだ。
急いで無理をする必要はない。
私はまだ、誰にも頼ってはいけないのだと思い込んでいた。
──僕に、きちんとあなたの心配をさせてください。たまには頼ってください。……僕には大したことはできませんけど……
また、きちんと心配させていなかった。
君に頼ろうとしていなかった。
それで君を泣かせてしまった。
私はだめだな。
どうして気付かなかった?
君はそばにいるのに。
先日の言葉を忘れていたわけじゃない。
ただまだ、ちゃんと理解していなかった。
……それらすべてを含めて、つまりはそういうことなのだと。
やっと私は理解した。
君を○○しているのだと。
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