第9話 聞こえない

「減速するぞ」


 クロマが鎖を鳴らす。

 レギにだいぶ近付いたらしい。

 彼が言うには、レギはそれなりの速度ではあるものの真っ直ぐ進んでいるだけだから追いつくのはすぐだとのことだった。


 意識を音の糸に向ける。

 前方にある音の糸を掴んで引くようなことを繰り返して加速、その後は引く速度を落として巡行している。


 減速についてはツールを使い模擬的な訓練はやっているが、これほどの高速で、さらに自分に対して行うのは初めてだ。

「訓練と同じだ。いきなりアンカーを強く引くなよ」


 軽く頷いた。

 銀鈴を弾き、アンカーを作る。前方の糸を引く速度を落としつつ、アンカーを掴んだ。

 その瞬間。


 ──っ、拙い。使いすぎか!……


 くら、と目の前が白くなる。

 加減がうまく行かず、アンカーを強く引いてしまった。


 ぐん、と身体が強く後ろに引かれ、意識が飛びかける。


「あぶねっ、アンカー離せ!」


 アンカーを消すが、目がチカチカする。

 高速飛行はさすがに消耗が激しいらしい。


 クロマはランクが金になってからようやく飛行術を使えるようになったという。


 私たちの能力は、元の能力をゴウの量によって強化されているらしい。その強化がかなり付かないと飛行術を使うのは難しい。

 クロマは現在ランク透明クリア、私は金混じりの赤だ。

 その強化量は2段階ほどの差があり、魔法的体力MaSの補強量は数倍の差になってくる。

 飛行術を使うための魔法的体力の消費は、ランク透明クリアであるクロマにはなんということもない程度のものだが、私はそろそろ限界に近いらしい。

 言うならば、体力がない人間に全速力でフルマラソンをさせているようなものだ。


「キツそうだな。だが、まだ失神するなよ」


 そうは言いつつも、クロマも私の状況を見て考えている。そして、再び口を開いた。


「万が一のためだ、鎖を掴め。減速を手伝う。高度は保持しろ、俺が速度を落とす」


 ジャリ、と鎖が鳴った。出番だと言わんばかりだ。


「……わかった」


 鎖を掴み、飛行速度は巡行からやや遅めになる程度、高度を保つよう音の糸を引く。


 キン、とクロマのリングが鳴った。

 そこから伸びる金の糸が私の纏う糸に絡む。

 一部制御を引き受けてくれるようだ。


 そこから、高度を保ったまま次第に速度が落ちていくのがわかった。


 風景がゆっくり流れる程度、おそらくは時速100kmにも満たない程まで速度が落ちた。


「こんなもんだな。制御を返すぞ。ちゃんと保持しろよ、気を抜くな」


 クロマの音糸がスッと消え、制御が戻される。

 飛行姿勢等に問題はなかった。速度が落ちた分、飛行術に使う魔法的体力もぐっと減るため、私の意識も持ち直した。


「大丈夫か?」

「なんとか。一時は拙かったけど」

「そうだな、よく耐えたよ」


 さすがだな、とクロマは少し感心したように言った。

 それから少し正面を向き、何かを確かめる。

 おそらく、あの薄紅の守護宝珠のトレースをしている。位置を確認しているのだろう。徐ろに前方を指さした。


「ユーニティ、レギ君だ。見えるか?」


 前方に小さな点が見える。

 人の姿に見えるわけではなかったが、あれは間違いなくレギだ。


 ぐ、と何かがこみ上げる。


「……レギっ!」


 思わず声に出した。


 今すぐにでも捕まえたい。

 ほんの小さな点にしか見えないそれに、手を伸ばした。

 届かないのはわかっているのに。私はなにをやっているんだ。


 隣で小さく笑う声が聞こえる。


 いや、構うものか!


「本当に本気なんだなあ」

「私も自分で驚く」

「お、凄い。素直だ」

「……揶揄からかうな」


 クロマの笑う声は続いている。

 実際に揶揄うつもりはないんだろう。ただ、本当に驚いているようだ。

 自分でも驚くのだから当然だろう。

 

 いままで、誰かに対してこんなに必死になったことなどない。


 小さな点が近づくにつれ、そんな感覚が増していく。

 小さな点にしか見えなった影は、ほんの数百メートルまで近づいている。

 もう、はっきりと目視できた。

 それは確実に人の姿をしていた。


 何かの布らしきものに乗って丸くなっている小さな姿。

 およそ空を飛ぶ人の様子には見えないが、布らしきものに魔法を使っているのなら、あの子の使う魔法の特性上、布は自動で動いているだろう。


 ……寝ているな。


「声、飛ばしてみたらどうだ」

「……」

「……なんでそこで躊躇ためらうんだよ……」

「そこは顔を見て話したい」


 ふふ、とクロマが笑う。

 なにいってんだか、と。


「今すぐにでも声を掛けたいって顔してるのになあ」

「いや……多分寝ているから」

「……嘘だろ?」

「ここからでもよく見るとわかる。乗っているものはほぼ自動で動いているはずだから」

「それはそれですごいな。こっちは精神力使って飛んでるのにな」


 クロマは複雑な表情で呟いた。


 そうしているあいだにも、距離は縮まる。

 手を伸ばせば、届くほどの距離まで。


 やはり、レギは眠っていた。

 空を飛ぶ布、本当にただのシーツのような布で、大きさはそこそこある。

 近づいてみるとそれは空中にあるにも関わらず、まるで平面に敷かれているように見えた。


 レギの布は馬車が全力で走るより少し速いくらいの速度で、北に向かって飛んでいる。

 低速時の飛行コントロールをだいぶ掴んだ私は、クロマと共にその布の端の方に静かに降りた。

 足下がほんの僅かに沈む感じはあるが、それは布の厚み程度のものだろう。


 布の周囲には防風壁的なものを施してあるらしい。私たちの使う音の魔法とはまったく違い、何がどうなって壁になっているのかはわからない。

 布の上は風もなく静かで、降り注ぐ温かい陽光でことのほか心地よかった。


 レギが家を飛び出してから、既に2時間ほどが経過している。

 することもなく、心地よく、また睡眠不足だったレギだ。ここで眠っていても不思議はなかった。


 それは私には好都合だった。

 もしも起きていたら、この子は私たちから逃げてしまったかもしれない。私たちよりはるかに高い能力を持っているのだ、振り切ろうと思えばこの子には造作もないことだろう。


「で? どうするんだ? レギ君は寝ているし、君も失神寸前だっただろう」


 ちょっと一緒に寝る? とクロマがふざけたことを言う。


「寝ないよ」


 そう答え、眠っているレギに近づいた。

 クロマも近づき、レギの顔をのぞき込む。


「可哀想な顔してる。完全に泣き寝入りだな、これは。よほどショックだったんだな」


 君が泣かせたんだぞ、とクロマは呟く。

 ギリ、と胸の奥が軋む。


 見れば、レギの目の周りが赤く腫れぼったくなっていた。

 その下の布は濡れている。


 この子に可哀想なことをした。


 ふっとクロマはため息を吐き、親指のリングを鳴らした。

 布の上からふわりと浮き、チラとこちらをふりかえる。


「せっかくここまできたし、海も近いから買い物に行ってくる」


 じゃあな、あとで。

 言い残して、今にも笑い出しそうな顔を隠すようにクロマは地上に降りていった。


 ……気遣いのつもり、だろう。


 クロマを見送り、それからレギの隣に腰を降ろした。

 小さく丸くなった身体に手を掛けて抱き上げる。


 見た目よりは重みがあるが、そうは言っても子供の姿だ。軽い。


 そのまま膝の上に乗せて横抱きにする。

 レギは目を閉じたままだ。


「起きているね」


 返事はない。

 しかし、腕の中のそれがもぞ、と小さく身じろぎする。


 本当に嘘もごまかしもできない子だ。

 眠ってはいない。ちゃんと聞いている。


「そのままでいいから聞いて。私は怒っていたわけじゃないんだ。君と話がしたかった。君の不思議な行動の原因をちゃんと理解したかったし、君にもして欲しかった」


 ピク、と肩が震えた。


「私の気を引こうとして、でもその理由が──」

「理由、わかったんです」


 小さくもはっきりとした声。

 レギが口を開いた。

 丸くなったまま縮めていた腕を、私の背に回す。


「メレさんたちが言ってた『大好き』とか『トクベツ』とか。ずっとよくわからなかった」


 背中に回した手が、ギュッと服を掴む。


「でも、自分からあなたに触れたいと思ったんです」


 ……僕は、今まで自分から誰かに触れたいなんて思ったこと、なかった、と。

 顔を胸に押しつけてくる。


「たぶん僕は、カガリさんが『トクベツ』なんだと思うのです。あなたに頼って欲しいと思ったり、倒れたときにも、きっと、心配してただけじゃなかったんです」


 わからなかったんです、と。

 なんて呼ぶ感情なのか、知らなかったのだと。


 ああ、でも。

 できたらその感情の名前を、君の口から聞きたい。


「そこは、ちゃんと言ってくれたら嬉しいんだけど」

「え……と。『すき』?」


 どうしてそこで疑問形になってしまうんだろう。

 もどかしい。


 しがみついてくる小さな身体を抱きしめる。

 しっかりとした存在感のあるそれは、温かくて柔らかい。

 言葉が零れた。


「私は君を○○あいしている」


 ……。




 ……う、わ。




 言ってしまった。はっきりと。


 顔を上げて目を見開くレギ。

 そして、恐る恐る言った。


「あの……、まるまるって……、なんですか?」

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