第83話 結花里ちゃんから提案
あの
文化祭実行委員長ならばもうちょっとおとなしく歩こうよ、と声をかけたくなる。
「あのさ」
さすがに小声だ。
「
あ、結花里ちゃんって言ったな!
純音のくせに!
わたしはいつも呼び捨てにするくせに!
わたしもおんなじ「ゆかり」なのに!
これはもう、純音には「ゆかゆか」という呼びかたはぜったい許してやらないぞ。「ゆかゆか」を使えるのは世界広しといえど自分だけなのだ。
……いや、そんなことはどうでもいい。
「留理子って、「アメイジング・グレイス」歌えない? もちろん英語で」
「ああ」
さっきの泣き声と打って変わって、声が普通だ。
やっぱり嘘泣きだったのか?
嘘泣きであそこまで涙をぼろぼろ出せるならば、それはすごいと思うが。
「歌えるけど?」
そうなのか。
それもすごい。
友加理は歌詞を見ながらでも歌えない。メロディーをなんとか知っているという程度だ。
「じゃ、さ」
正実が振り返っていやそうな顔を純音に向ける。純音が何を言うかわかったのだろう。
純音は苦笑いして正実を見返した。
「室内楽部で最後に「アメイジング・グレイス」演奏するからさ。そこで歌いなよ」
なるほど。友加理はぽんと手を打ちたい気もちだった。
そのことを忘れていた!
最後の締めくくりのこの曲は、MCに予定していた
羽登子が病欠でいないいま、だれがかわりを務めるのか?
その晴れの場をこの子に譲れば、ほかの二人とも釣り合うというものだ。むしろ花を持たせすぎかも知れない。
「あの結花里ちゃんがいっしょに歌うって言ってるよ?」
そこまで……。
でも、蒲池結花里が言っている以上、あの子も「アメイジング・グレイス」は歌えるのだ。
英語で。
すごい子だ。
留理子は、顔を上げたまま動きを止めている。
「うんともすんとも言わない」というのが、こういうのだろう。
「それとも、そんなんじゃ不足?」
純音が一転して不機嫌そうに、背を反らして見下して言う。
「あ、そういうんじゃなくて」
留理子はあわてた。
「そういうんじゃなくて……そういうんじゃなくて……」
なるほど。この中学校からいっしょだった子たちには、こういう駆け引きというか呼吸があるんだ。
それにはかなわないな、高校での編入生の自分は、と
「嬉しい。いや。嬉しい。とっても嬉しい」
取り繕うように笑う。
「でも、室内楽部は、いいの?」
「ま、あんたたちのそういうのに巻きこまれるのって、慣れてるからね。中学校のときから」
純音の言いかたが偉そうだ。
「それに、ラヴェルのソナタはもうやっちゃったし」
それが今日のいちばんの勝負曲だったのだろう。
「じゃ……お願い」
留理子がまた泣き声に戻って言った。
泣きかけて、無理に笑おうとして、頬に涙の痕が残って、厚化粧が崩れて、しかも
「あの」
重々しい声で、これまで一言も何も言わなかった
「それだったら、化粧と着付け、直してからにしたほうがいいと思うけど」
志穂美が言うと、それだけのことでも重みがあった。
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