第16話 出かけることにする
持っているうちでいちばん分厚い赤いウールのシャツを着て、その上からやっぱり持っているうちでいちばん分厚い黒いセーターを着る。その上から、去年の受験のときに買ってもらった焦げ茶色のダウン入りのジャケットを着た。
毛糸の手袋を出す。マフラーは学校に巻いて行っているものを巻く。下もウールの長ズボンにしようかと思ったけれど、雪で濡れたらクリーニングに出さなければいけないので、いま
そのかわり、靴下を、山歩き用として家から持って来た毛糸の分厚い靴下にする。
靴は普通の運動靴にした。靴下が分厚くて靴に入らなかったらどうしようと思ったけれど、なんとか入った。
頭には、正月に家に帰ったときに持って来た毛糸の帽子をかぶる。これを雪だるまにかぶせてあげたら、あの子はたぶん気づく。そして、やっぱりうっとうしいと思うことだろう。
それを想像するのが、いまはたのしい。
部屋を出て、鍵をかけ、階段を下りる。
階段を下りたところで少し先の扉が開いた。
あっ、と思う。
でも立ち止まったりすると不自然だ。
「おはよう、樹理」
と声をかける。
「あ、おはよう」
樹理も明るい声で答えた。で、
「何? 出かけるの?」
と言う。愛は
「いや、雪が降ってるから、表、雪かきしようと思って。今日は入試だから、受験生が通るでしょう? それで、すべったりしたら……」
「ああ、もう!」
樹理はいきなり機嫌が悪くなった。愛のことばをさえぎる。
「そういうのは、日直がいるんだから、日直にやらせればいいんだよ。あんたがやることじゃないでしょ?」
「え?」
愛にはまだ浮き立っていた気もちが残っていた。
「そうかな?」
樹理は、そう言われて、眉を寄せて愛を見返した。
「それはそうでしょ?」
でも、それじゃ、雪が降った日の日直がとくに不運だ。
雨の日の日直ならば、雨で濡れた床を
でも、それはふだんからやっている掃除を少していねいにすればいいだけのことだ。
寒いなか、外に出て雪かきをしなければならないのとは違う。
言おうとして、ことばに詰まる。樹理は斜めに愛をにらんだ。
「あんたの妹って、来なかったらしいじゃない」
話がとんだ。
どう言いわけすればいいだろう?
でも、それを考えるひまもなく、樹理は愛の横をすり抜けた。階段を上がって行く。
寮委員長の
もし桃子さんがまだ寝ていたりしたら、そこでまた
この一階の廊下は薄暗い。
樹理って、どうしていつもこうなんだろう?
きまじめで、融通がきかなくて。
雪かきなんかやりたくない日直にやらせるのではなくて、自分からやりたいと言っている愛にやらせればいい。ほかにもやりたいという子は……。
たぶんいない。いたとしても、桃子さんだけだろう。
あとは去年樹理に締め出された
でも、千枝美は寒がりだから、やっぱりやらないか。
あの子が来なかったことは……。
あの子が悪いわけではない。でも愛が悪いのでもない。
樹理は悪いかというと、樹理も悪い子ではないし、べつに樹理のせいであの子が来なかったわけでもない。
考えると気分がどんどん落ちこんでしまいそうだ。
それに、雪かきをしようと着替えたこの服装なのに、もとの服にもう一度着替えるのは
だったら、このまま出かけよう、とふと思いついた。
部屋にいても勉強は捗らない。あの子は迎えに来なくてもいいと言った。
だったら、愛は今日はここにいる必要はないのだ。
それに、と思う。
もうすぐバレンタインなのだから、と。
電車で箕部まで買い物に行ってこよう。
箕部には大きなショッピングモールがある。そこに大きい洋菓子屋さんがあるのを愛は知っていた。
ケーキやクッキーやチョコレートは
部屋に戻って、バッグを取る。財布にお金が残っていることを確かめる。
出ようとして、雪が降っているのに傘を持っていないことに気づいた。また部屋に戻る。
だいじょうぶだ。いまも自分の要領の悪さを楽しめている。
階段の上からは樹理の声が聞こえて来る。やっぱり桃子さんはまだ寝ていたらしい。
もしかすると、樹理は桃子さんが起きて着替えるあいだ下の部屋に下りて来るかもしれない。
愛は、ビニール傘をつかみ、部屋に鍵をかけると、樹理と顔を合わせない前に、と、足早に階段を下り、玄関を出た。
雪はさっきよりたくさん降ってきている。
でも空が明るくなったのは、気のせいか、それとも雲の上で太陽が高いところまで昇ったおかげなのか。
さっきは痛いとまで感じた冷たい空気が、いまは心地よい。
愛は、自分がすべらないように注意しながら、駅への坂道を下りていった。
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