第96話 まんじゅうも怖いが、パスタは?

 「はい?」

 言われたことがよくわからない。

 桃子ももこさんがさらに言う。

 「いや、だから、それ「まんじゅう怖い」?」

 「あ、いや……」

 なんだかよくわからないけど、より深いところに踏み込む前に止めておこう。

 「それ、いや、怖くないですけど」

 そう言っても、桃子さんは千枝美ちえみを一瞬でも見逃すまいと、軽くぷっくりふくらんだ頬で、両目で千枝美を見ている。

 そっちのほうが怖い。

 もういちど、言う。

 「おまんじゅう、別に怖くないですけど、おいしかったです」

 「安物にはちがいないですけど」を言わないぐらいの分別はある。それでも桃子さんはじーっと見ている。

 よくわからないけど、謝っておいたほうがよさそうだ。

 「すみません」

 「あっ、いや」

 桃子さんはそのまじめ追及モードからいきなりもとの笑顔に戻った。

 「いやいや。その。もしかして千枝美ちゃんが落語詳しいんだったら、おひなさまで落語やってくれない、って、頼もうと思ったんだけど、でも、ごめん。混乱させちゃった」

 「ああ、いえ」

 なんだかわからない。

 落語というものがあることは知っているし、家族といっしょにテレビで見たことはあるけど、着物を着て座ってやるものだという以外、ぜんぜん覚えていない。

 でも、着物を着て座ってやるのだったら、その、観梅かんばいかいとかおひなさまとかいう和風っぽい文化系のお祭りには似合うのかも知れない。

 やってみたら、おもしろそうだ、という気もちが湧いてきた。

 いちど湧くと、沸騰するように湧いてきた。

 「ぜんぜん詳しくないけど、やります、それ」

 もっと楽しそうに言ったほうがいいのかも知れないけど、この冷たい言いかたはは、桃子さんがぷくっと軽くほっぺをふくらませて自分をじーっと見ていたことへの仕返しというもので。

 「いや、だって」

 桃子さんのほうがうろたえている。桃子さんをうろたえさせるのは初めてだ。

 成功っ! 何に成功したのかよくわからないけど、ますますやめる気がなくなった。

 「よしっ!」

 桃子さんの声が元気で張りのある桃子さんの声に戻っていたので千枝美はほっとする。

 「それは、これからいっしょにパスタ食べに行って考えよっ!」

 「えっ?」

 だって、いま、小さいとはいえおまんじゅうを四個も食べたばっかりなのに?

 まだ食べるの?

 しかも、パスタってことは学校の前の店に行くんだろうけど、あの店、盛りが多いんだけど!

 おまんじゅうなんかより、そっちのほうがよっぽど怖い。しかも、出てきたら平気でぜんぶ平らげてしまいそうだから、その誘惑がもっと怖い。

 「ほらほら。わたしがおごってあげるから!」

 桃子さんはうきうきそわそわともう立ち上がっている。

 後戻りはできなくなった。

 失敗すれば恥をかく。確実にかく。でも、

 千枝美は、瑞城ずいじょう女子のマーチングバンド部の派手派手な衣裳を着て、金と銀のを持って、みんなが注目するまんなかを行進するのにあこがれたことがある。または、そのときは吹けもしなかったトランペットをさっそうと吹き鳴らして、隊列の先頭を進むことを夢見ていた。または、このちっちゃな体で、大太鼓を抱えて、力の限り、どんどんどん!

 それと較べれば、この地味な明珠めいしゅじょの「おひなさま」とかいう地味なイベントで大失敗したって、たいしたことはない。

 たいしたことはない。

 「だからパスタ食べながらそこでじっくり相談しよ。ともかく、ほんとに知識ゼロの状態から落語なんかやるんだったら、あと一か月、ほんとたいへんだからねっ!」

 そう言いながらも、桃子さんももうやる気でいる。声が浮き立っている。

 何が転んでどうなったのかよくわからない。でも、いいと思った。

 あと二年とちょっとの高校生活だ。

 その「ちょっと」のところにへんなものが転がりこんで来たのだから、楽しまなきゃ!


 (『プロムナード』終)

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