エピローグ
第97話 春の匂い
春の
吹いてくる風は、強いと思うと急に弱くなり、また突然に強くなる。気まぐれだ。
でも、その風に当たっても、痛くも寒くもない。何の匂いを運んでくるわけでもなくても、風の暖かさそのものに匂いがある。
寮は、外観をレンガのように見せるために、わざと表面に筋を入れたタイルで覆われている。色もさえない黄土色だ。
スクラッチタイルというらしい。
この建物自体はもう九十年以上前にできた建物で、この外観もそのころからのものだという。その時代には、レンガ造りのように見せるのがきっとたいせつなことだったのだろう。
隣にはもっと新しい建物がある。
新しいといっても比較の問題で、もう築何十年かは経っているはずだ。
でも、外壁は茶色と白に交互に塗ってあり、バルコニーの
こちらは、明珠女学館第一高校のライバル校、
瑞城の校風って、そんなのなのかも知れないな、と友加理は思った。
少なくともお嬢様学校ということばから連想するむき出しの派手さはこの学校の子からはとくに感じなかった。
いま気づいてももう遅いのかも知れないけど。
明珠女の子とも、瑞城の子とも、いろんなことがあった。
友加理の学年の「いろんなこと」のありようは、明珠女学館第一中学・第一高校の歴史のなかでも特別なものだったらしい。
卒業式が終わり、だいたい入試の結果が出揃うと、先生方も口が軽くなる。とくに、二年生の二学期から三年生の一学期まで生徒会長で、先生方と接する機会の多かった友加理に対しては。それで
「いやぁ、あんたたちの学年には、ほんっと、苦労させられたわ」
とぼやく先生もいれば、
「ほんとに楽しい学年だった。ふだんはできない経験を、先生たちもいろいろさせてもらった」
と笑いながら言ってくれる先生もいた。
いや、あんまり褒められてはいないのだろうけど。
強く吹いてきた風が、伸ばした友加理の髪を肩からふわっと持ち上げ、また落とす。
友加理は駅への道を歩き出した。
道はなだらかで単調な下り坂だ。
寮の
花束を持って歩き出したときには涙が
「この大きい花束、ほんとじゃま」
と思うようになっていた。
遠くから来た寮生たちは親たちに迎えてもらって帰って行ったけれど、友加理の家は電車で二十分ぐらい、そして駅から歩いて十分だ。寮に住んでいても週に二回か三回は家に帰っていたから、娘が寮で生活しているという実感も親にはなく、迎えになんか来てくれない。
家に着く五分ぐらい前から
「この重い花束、なんとかならないかな。早く家に着かないかな」
とそればっかり考えてせかせかと歩いた。
家で、お母さんがその花束がテーブルのまん中に飾ってくれたときには、また胸がじーんとしたけれど。
でも、部屋の整理も残っていたし、生徒会の後輩や新聞部の後輩たちとのお別れの会もあったので、その後も友加理は寮に住み続けた。
同じように寮に残っていた寮生もいなくなり、後輩たちも春休みで帰省して、がらんとしてしずまりかえった寮から出て来た。
もうここに戻ることはない。
大学生としての新しい生活の始まりはすぐ目の前だ。
でも、大学生になっても、この道はずっと通り続ける。
友加理は、この春、明珠女学館大学に進学する。
その大学は高校の敷地の隣だ。だから、一週間もしないうちに、友加理は大学の新入生としてこの道を通る。この道を上がっていく。
だから、いっそう、いまどう感じていいのか、わからない。
わからないまま、
跨線橋を見上げると、春には珍しく青くよく晴れた空を背景に、上から下りて来る女の子がいるのに気づいた。
赤いジャンパーに赤いスカート、そしてそれより濃い赤色のチェック模様のシャツ、靴も赤で、そのあいだの黒いハイソックスがアクセントになっている。
ああ、と友加理は思った。
あの子だ。
今日は私服らしい。ほんと、赤とか桃色とかが好きだな、この子、と思う。
相手も気づいた。友加理のほうを見て笑う。ゆっくりと階段を下りてくる。その頬も赤い。
友加理は階段を上らず、その場で待った。
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