第41話 樹理が漏らした短い息
あの子はまちがってなかった。
だとしたら、いつもよりできたという国語に続いて、数学もたぶんいい点数、少なくとも合格に必要な点数には達しているだろう。しかも、
それで動揺して英語と社会と理科で調子が発揮できなかったとしても、あの子は通る。
いや、残り三科目も、あのとき自分で思っていたほど出来が悪くはないのではないか。
あの子は、姉のことをあんなふうに言いながら、自分だって、心の底では自分の答えのほうが正しいという自信があった。
樹理には何かお礼をしないと、と思う。
「あのさ、樹理」
樹理は、自分の答案を机の上に拡げたまま、斜めに愛の顔を見上げている。さっきと同じ、機嫌のいい顔でだ。
「いまのお礼に、どっかご飯食べに行かない? ……わたしが
樹理は、言われて、何も言わず、ぽかんと愛を見上げた。
ぱちぱちっと瞬きする。
ああ、やっぱりまずいことを言ったな、と愛は思う。
愛も樹理も食堂では一人で食べることが多い。
愛は、
しかし、愛は、結果的に一人で食べることが多くなっているだけで、別に一人で食べることに決めているわけではない。
樹理は違うんだな、と思う。ほかの子と必要以上に仲よくしたくないのだろう。
「あ……あ、いや」
樹理は声をうわずらせて答えた。
「じつは、さっき駅のほうまで行って、食べて来ちゃったんだよね。広場の横のうどん屋さんで」
そう言った樹理の、ばつの悪そうな顔が、いままで思ってもみなかったほどにかわいい。
「ああ」
愛は、それで、軽く受け流すような言いかたで言う。
「じゃ、またの機会っていうことで、いいかな。ほんと、ありがとう」
言って、部屋を出ることにした。
「いや、これぐらい、どうってことは……」
樹理は、言って、自分の机に向かう。これからまた何かの勉強をするのだろう。
愛は、部屋の入り口に脱いでいた靴を履いた。
急いでいたからか、靴は方向がばらばらのままだ。揃えてもいない。
こういうことをすると、樹理には嫌われるんだろうな、と愛は思う。
樹理の靴べらは使わず、自分の手できっちりと靴に足を入れる。
そうして背を伸ばして樹理のほうを振り返ると、樹理も愛のほうに振り向いたところだった。
「あのさ」
樹理が声をかけた。机の上に右手をついて、愛の顔をじっと見ている。
樹理の机はこうやって見るとやっぱり白くてまぶしかった。
愛が振り向くと、樹理は言った。
「昨日も言ったけどさ。あんたの妹も、いっしょに勉強できるといいね」
「うん」
愛も樹理のほうに体を向けてうなずく。
「あの子もこの寮に入るつもりらしいから、もし入ってきたら、よろしくね」
「あぁ」
樹理は短く息を漏らした。
何を思ってなのか、何を言おうとしてなのかはわからない。
愛は樹理の部屋の扉を閉めた。
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