第8話 そのひとの横顔

 雪かきしていた生徒たちの姿はいまは見えない。

 ゆうの姿を見ている者はいま一人もいない。

 優は鉄の扉から中に入った。

 空気が変わった。

 ひんやりした空気だ。

 雪が降っているから、扉の外も中も寒いには違いない。

 でも、もしかすると、このひんやりさは、「森厳しんげん」とでもいうような、この寮の空間が持っている空気のものなのかも知れないと思う。

 中は細い道だった。

 土の道の上に、正方形のコンクリートの板が並べてある。

 そこにももう雪が積もっていた。下のほうは融けて透明になっているが、その上に白い雪が分厚く積もり始めている。踏むとその雪はぐしゃっと崩れたが、靴の中に入ってくるほどは積もっていない。

 右は高い白い塀がつづいている。さっき見た白と茶色の建物の側だ。そちらの様子は見ることができない。塀の上には高く雪が積もっている。

 明珠めいしゅじょの寮のほうは高い生け垣になっている。

 まきの生け垣だ。その枝や葉のあいだから中のようすがちらちらと見える。こういうのが「垣間かいま見える」ということなのだろうか。

 あのひとの部屋は二階だと言っていたな、と思いながら歩く。

 あのひとが窓から顔を出していたりしたら、手を振ってやろう。

 あのひとは驚くだろうか、迷惑そうな顔をするだろうか。

 いや、たぶん、慌てて下りてくるだろう。

 生け垣のなかは庭になっていて、低い木を中心にいろいろな木が植えてある。

 椿が花を咲かせている。もう少し背の高い木はきん木犀もくせいだろうか。建物のすぐそばにはもじゃもじゃした木が並んでいて、支柱で支えてある。薔薇ばららしい。いまは花はもちろん葉もついていない。乙女たちの暮らす寮にふさわしい木として薔薇が選ばれたのか、それとも、とげのある薔薇をここに植えておくと侵入されなくていいという実用のためなのかはよくわからない。

 そしてその薔薇の上にも白く雪が降り積もり始めている。

 その薔薇の向こうから光が射したのが見えて、優は思わず息をのんだ。

 立ち止まる。

 窓が開いていた。

 ほかの部屋はカーテンを閉めてあるのに、その部屋だけカーテンが閉まっていない。しかも窓ガラスも開けている。

 窓の向こうが白くてまぶしい明かりに照らされていた。外が暗いだけに目立つ。

 何かが動く。大きくは動かないが、少しずつ、絶え間なく動いている。

 優は槙の後ろに中腰ちゅうごしになって目をらす。

 それは歳上の女子の横顔だった。

 動いているのは、そこに机があって、その机の上に何かを書いているかららしい。右手にはシャープペンシルか何かを持っている。

 窓際の机で勉強をしているのだろう。

 でも、窓を開けたまま?

 庭の幅は五メートルくらい、優の家の広間の幅くらいだ。

 だからそのひとの横顔はくっきりと見えた。

 少しつり上がった眉の線と、白い頬、そしてまじめそうな瞳……。

 髪は頭の後ろでゆるくまとめているらしい。白い服を着ている。

 髪は長いが、ちょっとボーイッシュという印象で、凜々りりしいということばがよく似合う。

 背筋をきちんと伸ばしている。

 何かの問題を解いているらしく、ときどき手を止めて考える。

 ここからは見えないけれど、机の上に右手のひじをついているらしい。そうやってシャープペンシルを頬の前に持ったまま、考える。

 考えがまとまったら、そのままシャープペンシルを下ろして、何か書き、また考えに詰まったらその手を止めて同じ姿勢で考える。その繰り返しだ。

 一心不乱に問題に取り組んでいるようだ。

 しかも、あのひとのように、熱中したら猫背になったり、顔を上に向けて考えたり、などということはしない。優のように、考えがまとまらないと椅子を離れて寝転ぶ、なんてことはもちろんしない。

 考えるときも同じ姿勢、しかも背筋は伸びたままだ。

 きれいだ、と思った。

 その横顔をじっと見つめる。目が離せなくなってしまった。

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