終章:澄野 愛

第47話 寒さの弛んだ一日

 あい大泉おおいずみ神社の前の石段からいずみはらの街を眺めていた。

 寮の前の道を上り、中学校と高校の門を通りすぎ、大学の門も通り過ぎてさらに坂を登ったところにあるのがこの神社だ。

 そんなに大きな神社ではないが、学校の先生の話では、日本でもいちばん古い神社の部類に入るらしい。駅から海のほうに下りたところにある水守みなもり神社と対になって、この泉ヶ原の街を守っているという。

 神社の斜め前にある小さいお店は、夏はかき氷屋さんになり、中学生から大学生まで、明珠めいしゅじょの生徒や学生でにぎわうけれど、まだ寒いいまはガラス戸を閉ざして、訪れる人もほとんどいない。さっき見たら、あったかそうな炎の色のストーブの前で、店のおばあさんが居眠りをしていた。

 道の脇にはまだ雪が残っている。

 大泉神社の境内では梅がほころびていた。

 木が鬱蒼うっそうと茂っていて昼も薄暗い境内のあちこちに白い明かりが灯ったようだ。派手さはないが、見ていて気もちが明るくなる。

 あとひと月ちょっとで、こんどは玉垣にかかるように並んでいる桜がいっぱいに咲き誇る。

 そして、その桜が咲いている季節に……。

 お母さんがイメージしている合格発表と違って、明珠女のいまの合格発表は、ネット上で受験番号と暗証番号を入力して合否を知る。学校の掲示板にも受験番号だけ出ているけれど、わざわざ見に来る受験生はまばらだ。

 だから、「澄野 優」が合格したかどうかは、愛にはわからない。お母さんにさえ、わからない。

 もうすぐあの子が学校から出る時刻だ。

 つまり、スマホが自由に使えるようになる時間だ。

 いくらあの子だって、合格発表の日、スマホが自由に使えるようになれば、最初に合否を確認するだろう。

 愛は怖くてなかなかそれができなかった。

 でも、あの子は違う。運命に直面するというのを先延ばしせず、すぐにでも自分の運命を知りたがる。

 メールの着信音が鳴った。

 スマホを取り出してみる。

 優からだった。文面はかんたんだ。

 「合格したよ」

 合格するだろうとは思っていたので、驚きもしない。

 ふと思いついて、いじわるなメールを送ってみる。

 「おめでとう。これでまたいっしょに暮らせるね。よろしくね」

 返事はすぐに来た。

 優からの返事は、笑顔の絵文字一つだけ……。

 「よろしく」に対する「こっちもよろしく」の意味なのか、それとも含むところのある笑顔なのか、よくわからない。

 それが、またあの子らしい。

 この神社の玉垣に桜が咲くころには新しい生活がスタートする。

 桃子ももこさんや、樹理じゅりや、千枝美ちえみや、ほかの寮生たちとの生活に、あの子や、あの子と同じ学年の「後輩」というのが加わってくる。

 どんな一年になるのだろうか?

 いや、この一年の、初めての親許を離れての寮生活は、どんな一年だったと言えばいいのだろう?

 そんなことを時間をかけて考えている間もないうちに、一年の時間は過ぎてしまう。

 愛は、くるっと後ろを向いて、拝殿の前まで進み出た。百円をお賽銭に供え、二回お辞儀し、二回かしわ手をうち、一回、深くお辞儀をするという、学校で習ったとおりの拝みかたをする。

 ……優を合格させてくださって、ありがとうございました。これからもよろしくお願いします……。

 自分で、そのときの姿勢がいつもよりバランスが取れていてきれいだと思う。

 ほんとうにそうだったかどうかはわからない。でも、いつもこうやって神様の前にいるような気分で姿勢をちゃんとしていたら。

 そうしたら、あの樹理のようになれるのかも知れないな、と、愛は思う。

 そう思うとおかしかった。そして、これまで、どうしても身構えてしか相手にすることができなかった樹理にも、もう少し近づくことができると思った。

 聖バレンタインの日に、桃子さんの部屋で、千枝美もいっしょにいろんな話をしたからかも知れないが。

 いや、日本古来の神社の境内で、キリスト教の聖人様のお祭りの日のことを考えるというのはどうなんだろう?

 あんがい、それでいいんじゃないかと思う。

 愛は早足で神社の石段を下りた。

 空はよく晴れ、海は遠くの水平線まで見渡せる、寒さのゆるんだ明るい美しい一日だった。


 (『二月の雪』 終)

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