第13話 不器用ではない妹のこと

 家には部屋が取れたことを電話で知らせた。

 あいが思っていたとおり、ゆうは来なかった。お母さんは、優は最後の夜にもういちど見直しをしたいと言っていると伝えてくれた。

 何が見直しなもんか、と思う。

 愛ならば、次の日が試験ならば、自分の不安なところを徹底して見直す。問題を解き直してみる。それでうまく行くこともあるけれど、むだに終わることのほうが多い。中学校のときの中間試験や期末試験でもそうだったし、いまもそうだ。

 そしてこの明珠めいしゅ女学館じょがっかん第一高校を受けたときがその最悪の例だった。

 理科の電気のところがどうしてもわからず、教科書やノートを確かめながら問題を解き直しているうちに夜中を過ぎて二時ごろになってしまった。さすがに寝なければまずいと思って、そこでベッドに入った。ほかのわからないところの復習もできないままだった。ベッドに入ったのはいいけれど、不安で眠れなかった。部屋が寒いと思ってエアコンをつけ、しかし空気を乾燥させてのどをいためて風邪を引いてはいけないと思って止め、また寒いと思ってつける。それを繰り返した。最後に時計を確認したときには三時を過ぎていた。六時半には家を出なければならなかったから、起きたのは五時過ぎで、睡眠時間は三時間を切っていた。二時間も切っていただろう。

 だから試験中に眠くなって落ちるかも知れないと思っていたのだけれど、ふしぎと目はさえ、集中力も切れなかった。

 英語の長文が過去問で解いたどの年の問題よりも易しかったのと、数学も全問きちんと解けたのとで、落ちついてきた。理科でも心配だった電気の問題は出なかったので、試験が終わったときには、なんとかなった、という気分になっていた。ただ、そうなると、かえって「ほかのみんなはもっとできているのではないか」と心配になる。

 それで、受験が終わって家に帰ったときも、家族にあまり期待を持たせないように、明るい表情は見せないようにした。

 自分の部屋に帰ってほっと息をつき、かばんを置き、制服を脱ごうとリボンに手をかけたところだった。ふいに

「できたんでしょ? 愛」

と声をかけられた。

 鋭い声だった。

 振り向くとあの子がいた。

 姉の許しも得ないで無遠慮に部屋に入ってきたのだ。

 優は、ほかの家族がいれば愛を「お姉ちゃん」と呼ぶ。いちど、愛のことを「あのひと」と言ったのをお母さんに聞かれて怒られ、それからは「お姉ちゃん」に戻した。

 でも、ほかにだれもいなければ「愛」と呼び捨てにする。

 呼びかけられた愛は不機嫌に

「何よ黙って入ってきて」

と言い返したけれど、あの子は相手にしなかった。

 「できたんだったら、もっと楽しそうにしなさいよ。お母さんとかおばあちゃんとかほんとに心配するじゃないの、もう」

とだけ言うと、入ってきたときと同じように黙って出て行った。

 不愉快だった。でも優の言うとおりだと思った。

 優はこんなに不器用ではない。むだな努力とむだな心配はしない。満点を取ろうとは最初から思っていない。落とせるところは落として、点数を稼げるところに努力を集中する。

 点数の目標も決まっている。一年前、つまり同じ学年の同じ学期の姉の点数だ。ただ、姉は国語が得意で理科が苦手で、あの子はその逆なので、国語の点数は姉の点数を下回っていても理科でそれ以上の差をつければいい、というルールにしているらしい。

 そして、あの子は、このルールで姉に負けたことはたぶんない。たぶん、というのは、姉のほうは一年前のテストで自分が何点取ったかなんて忘れてしまっているからだ。でも、あの子は、姉の成績をきっちり覚えている。

 たぶん明珠女の入試でも同じことを考えているに違いない。そして、姉の点数を上回れる自信は、もうずっと前につけてしまっている。

 だから、今日も勉強なんかしない。睡眠不足にならないように、早く寝てしまうに違いない。

 お母さんから伝えられた理由は、あの子のほんとうの気もちではない。

 あの子はやっぱり姉に会いたくないのだ。

 ではその会いたくない理由はというと、一つは、不器用な姉に会うとその不器用が伝染してしまいそうで縁起が悪い、ということと、もう一つは、姉に会って受験に有利な情報とかを手に入れたと思われるのがいやだからだ。実際に他人にそう思われるのがいや、というより、そう思う人が一人もいなくても、そういう状態に自分を置くのが許せないのだ。

 優が来るのをやめたということは、桃子ももこ先輩にだけ伝えた。樹理じゅりには伝えなかった。寮委員長は桃子先輩なのだから、それでいい。

 明日は入試なので学校は休みだ。明後日までの宿題もない。

 愛は、家の優につきあって、早めに寝ることにした。

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