第12話 樹理

 あいは、階段の降り口まで戻ってから、ため息をつく。

 「お揃い、か」

 愛はべつに気にしていない。でも、あの子にとっては、アイとユーの「一人称・二人称姉妹」であるのは許せないほどいやなことらしい。しかも、あの子は「優しいのゆう」よりも「優れているの優」のほうがたぶん好きだ。

 ……優しい子では、あるんだけどね……。

 自分の部屋にもどって扉を閉め、ほっと息をついて扉を閉じる。

 あの子のこと、お母さんのこと、この寮のことと、いろんなことをめぐる思いが湧いてくる。

 それを抑えよう、少なくとも整理しようと、愛は入り口近くに置いたポットまで行ってアップルティーを入れた。

 駅前にある満梨まりさんのお店で買ってきた、缶入りの粉のお茶だ。

 ここの生活では、十パック二百円のティーバッグの紅茶でも高い。この缶入りアップルティーならば四百五十円で五十杯は飲める。

 お湯を注ぐとりんごの香りの湯気が立つ。

 その香りを鼻から胸に吸いこむと、気分が落ちついた。

 カップを台の上に置いたところに、ドアをノックする音がした。

 桃子ももこさんが手続きが終わったことを知らせに来てくれたのかな、と思って、戸を開ける。

 外に立っていた子を見て、愛はびくっとした。

 同じ学年の橋場はしば樹理じゅりだ。

 寮委員会の副委員長だ。桃子さんは来月三月に委員長の任期が終わって、四月の新学年からはこの樹理が寮委員長になることが決まっている。

 白いカーディガンと白いシャツを着ていた。シャツの襟には小さい飾りがついている。

 この冬、この子は寮ではずっとこの服装でいる。同じデザインの服を何着も持っているのだろう。

 背の高さは愛よりも少し低いぐらい、桃子さんほどぽちゃっともしていないが、愛ほど痩せてもいない。筋肉質な感じ、といえばいいのかな。

 つり上がった眉と目で、これで唇を結ぶととても頼もしい表情になる。

 努力家で、成績も学年トップクラスだ。少なくとも一年生の寮生の中ではトップだ。

 それはいいのだが、規則に厳しく、融通ゆうずうがきかないところがある。

 一学期、掃部かもり千枝美ちえみという同じ学年の子が門限を少し過ぎて帰ってきたら、その目のまえで玄関に鍵をかけてしまった。内鍵をかけられてしまうと、寮生の持っている鍵では戸は開かない。千枝美は自分の鍵で何度も戸を開けようとし、開かないと玄関の戸を叩いた。千枝美を入れるために内側から鍵を開けようとした子もいたが、樹理が前に立っていて開けさせてくれない。それをガラス越しに見て千枝美は泣き出した。

 だれかが呼んできたのだろう、桃子さんが下りてきて、ようやく千枝美は寮に入ることができた。しかし樹理は納得せず、そのあと桃子さんとずっと言い争っていた。

 樹理というのは、そういう子だ。

 それに、樹理は、とくに自分の勉強がじゃまされたり、じゃまされそうになったりしたら、とても機嫌が悪くなる。

 愛はこの子が苦手だ。

 「あ、えっと……」

 当然、一週間前に申し込まないまま妹を泊める、などというのは、規則には反しているし、もしかすると樹理はその妹がうるさくして自分の勉強のじゃまをするのではないかと心配したりしているかも知れない。

 「妹が受験に来るんだって?」

 ところが、樹理は意外にも機嫌がよかった。

 「ああ。うん……」

 「どう? 受かりそう?」

 「えっ?」

 何をきかれたのかがしばらくわからない。

 妹が、明珠めいしゅじょに受かりそうか、ということだと気づいて

「ああ。うん。あの子ならだいじょうぶだと思う」

 むしろ明珠女より上の有名校を狙わないのがおかしいくらい、などというよけいなことを言うのはやめた。樹理は、愛校精神が旺盛おうせいなのかどうかは知らないけれど、明珠女学館を卑下ひげするようなことを言うと、やっぱり機嫌が悪くなる。

 樹理は何も答えないでその目で愛を見つめていた。

 意外とうるみの多い目だ。

 それにつられるように、愛は言う。

 「活発な子だけど、騒いだりはしないからだいじょうぶだと思う」

 「ああ」

 樹理は意外なことを言われたというような顔になった。

 「そんな心配はしてない。だって愛の妹でしょ? だいじょうぶだよ」

 愛はどう反応していいかわからない。樹理みたいに頭のいい子でも、妹は姉に似ると最初から決めつけているんだな、と思うと、意外だった。

 愛が答えないからか、樹理は言った。

 樹理らしくもなく、ひとつ息をついて、笑みを浮かべて。

 「愛の妹も、いっしょにここで勉強できたらいいね」

 「あ……」

 よくない、とは答えられなかった。

 「うん。あ、知らせに来てくれてありがとう」

 「うん。じゃ、ね」

 言って、樹理はくるっと向こうを向き、階段のほうに戻って行く。樹理の部屋は一階だ。

 樹理が階段の近くまで行ったころを見て、愛は扉を閉める。

 部屋のなかに振り向いたところに、りんごの香りが漂ってくる。

 そういえばアップルティーを入れたところだったな、と思い出した。

 カップを持って一口軽く飲んでみる。

 猫舌の愛が口に入れて平気なくらいにまで、アップルティーはほどよく冷めていた。

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