第23話 ため息
校舎の横からアスファルトの道に降りるときにほっと息をついた。
でも、アスファルトを歩きながら次に大きくついた息はため息だった。
それは、あの寮に住めなくなるということだ。
あのひとといっしょに住めなくなる。
あのひとと自分とが同じ大学にでも行かないかぎり、あのひとと自分がいっしょに住める日はもう二度と来ないのかも知れない。
そして、と、また一つため息をつく。
あの、一階の部屋で横顔を見た
たぶん、一生にもう一度そばに近づくこともできないだろう。
いや。
「がんばろう」
なんて決意してはいけなかったのだ。
あのひとは、それでいい。自分を不安にして、追いこんで、それでがんばろうと力を入れると、実力を発揮する。そうでなければ、ふだんはあんなにぐずなのに、そんな力が発揮できるはずがない。
けれども、自分は、がんばろうなんて思ったら、力が入りすぎて失敗するのだ。
学校の門から外に出る。受験生たちの列は、ここから
ふだんなら、力が入りすぎると失敗することを学んだのだから、次に生かしていこうと気もちを切り替えられる。
でも、それが今日はできない。
いま向かっている東側の空は青空だ。その青い空を見ていると涙が流れそうになる。それが、もう二度とあのひとといっしょに暮らせないからなのか、あの凜々しい先輩と同じところで暮らせないからなのかは、自分でもわからない。
顔を上げれば涙が流れないというのはうそだ。顔を上げれば涙はあふれてしまう。顔を伏せたほうが、涙が目の縁にまとわりついて、落ちない。
それが表面張力というものなのだろうと思って、優は一人で笑った。
そんな説明をしても、何の役にも立たない。
目を伏せて前の子について行く。
ふいに横から声がした。
「優、お疲れ」
顔を上げた。
あのひとだ。
立ち止まる。
後ろから来た受験生が次々に優を追い越していく。
寮の玄関前の階段の上からあのひとが優に笑いかけている。
着ているのは紺色のコートで、マフラーを巻いている。スカートが見えている。ここの学校の制服を着ているらしい。小さい黒い紙袋を手に提げている。
その笑顔が、いつもの自信のなさそうなあのひとの笑顔ではない。
自分に絶対の自信を持った歳上の女の子の顔だ。いつもはいかにも鈍くさそうに見える頬の線が、いまは鋭く見える。
しばらく会わないあいだにダイエットでもして痩せたのか。
いや、そんなことはない。あのひとはもともと痩せている。
そうだった。小さい子どもだったころ、小学生の四年生くらいまでのころの優には、このひとの顔がこんなふうに見えていた。そして、その少しあと、五年生の夏ごろだったか、何人かでつるんでわがままばかりを通していたそのころの委員長グループに口げんかでやりこめられて、しょんぼりして帰ってきた優を迎えたのも……。
「あ、お姉ちゃん……」
前にほかの家族のいないところで愛を「お姉ちゃん」と呼んだのは、たぶんそのとき以来だ。
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