第6話 これから暮らすことになる街

 泉ヶ原いずみがはらの駅に着いたときには、もう試験の開始が一時間繰り下げになることはわかっていた。

 雪はあいかわらず降っている。

 家を出たときには細かい雪がさらさらと降っていただけだったけれど、ここでは雪は大きなかたまりになって、風に流されながら斜めに落ちて来る。

 さっきよりも空は暗くなっていた。

 前に、電話で、あのひとは駅まで迎えに行こうかと言ってくれた。

 でもゆうことわった。

 「だって、ほかの受験生はだれも迎えに来てくれないわけでしょ? わたしだけお姉ちゃんに迎えに来てもらったりしたら不公平だよ」

と優がその理由を言うと、あのひとは電話の向こうでしばらく黙り、くぐもった声で

「まあ、優がそう言うなら……」

と言った。

 それもほんとうの気もちだ。

 でも、もっとほんとうの気もちは、試験の日の朝にあのひとの顔を見るのはうっとうしい、ということだった。

 優がせっかく気もちよく試験を受けようとしているのに、あのひとはまたいろいろと気をめぐらせて心配するにちがいない。

 あのひとのそういうところは好きだ。

 でも、試験に向かって集中力を上げていこうとしているのにそんな態度を示されたら、こちらの調子が狂ってしまう。

 それに、自分が暮らすことになる街に、まず自分一人で出会ってみたいと思った。

 泉ヶ原の駅は海岸から少し離れたところにある。

 海の反対側、駅のすぐ西隣が中学校から大学までの明珠女学館の敷地だ。でも駅から直接入ることはできない。いちど、東側の、つまり学校と反対側の駅の出口から出て、跨線こせんきょうを渡り、坂を登って校門まで行くという大回りをしなければいけない。それは受験案内にも書いてあったし、あのひとからも何度もきいている。

 駅を出る。海側にある駅前の広場には駅舎の前から階段で下りるようになっていた。

 駅の大きさからするとかなり広いその広場にはバスの停留所とタクシーの乗り場がある。いまはやっぱり雪で覆われ、車の来るところは泥と雪のまだらになっていた。

 いま車から降りているのは、たぶん同じ明珠めいしゅじょの受験生だ。親に車で送ってもらったらしい。

 学校は広場とは反対側だから、優は広場には下りない。

 さっき車から下りた子が、幅の広い階段を斜めに昇ってきて、学校のほうに向かって雪を踏みしめて行くのを見送る。

 その反対側を見ると、出てすぐ右斜め向かいに小ぎれいなお店があるのが目に入った。ガラスの向こうにこぎれいなショーケースが見えて、洋菓子屋さんのようだけど、喫茶店のような看板も出ている。その両方を兼ねているのだろう。

 ビルの一角に小さくひさしを張り、入り口に人の背より高い鉢植えをいくつも並べただけの、何ということのない店だったが、なぜか心に残った。

 その鉢植えにも雪が積もり始めている。雪を含んだ風にのぼりが揺れている。何が書いてあるか読む前に、ああ、もうすぐバレンタインか、と思い出す。とりあえずいまは関係がない。

 学校への道にも雪が積もり始めていた。

 まだ学校へ向かう受験生の姿はほとんどない。競争倍率は十倍ということだから、少なくとも六百人ぐらいの受験者はいるはずなのに。

 みんな試験開始が遅くなったことを知っているのか、電車やバスの遅れにほんとうに巻きこまれたからか。

 それとも最初から余裕を持たずに会場に来るつもりだったのだろうか。

 跨線橋を下り、なだらかな坂を登っていく。ここも雪が積もっていて、気をつけないと転びそうだ。

 昔ながらの造りの家がある。低い垣根の向こうで畑が雪をかぶっている。配管工事を仕事にしているらしい家があり、小さい看板が出ている。

 明珠女学館というと幼稚園から大学まである大きな学校で、そのうち中学校・高校・大学が一か所にかたまっている。

 だから、学校の前はもっとにぎやかなのかと思っていたが、そんなことはない。

 優が住んでいるあたりとたいして変わらない。住宅と、小さい店と、畑と田んぼが入り混じる、ごく普通の町だ。

 道の正面に緑色に塗った家が見えた。小さいポーチのついた正面には、筆記体と活字体の中間のような字体でCASA VERDEと書いてある。

 キャサ・ヴァード……? いや、もっとすなおに読んで、カサ・ヴェルデかな。

 あのひとが前に話してくれたパスタのお店だろう。寮は休みの日はご飯が出ない。いちばん近い店がそこなので、休みの日にはときどきそこに食べに行くと言っていた。

 そのお店だとすれば、あのひとの住む寮もこの近くなのだ。

 そのパスタハウスの手前は、道をはさんで畑になっている。

 寮というのがあるとしたら、その畑の手前くらいなのだが。

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