第5話 不器用な姉のこと

 家から明珠めいしゅ女学館じょがっかんまでは今日なら二時間はかかると計算した。

 駅までのバスはチェーンをつけているからか速度が出ず、よく揺れた。

 電車は十分遅れたくらいで来た。途中で、特急の待ち合わせということで長い時間停まって、遅れ時間はかさんでいく。

 それでも、最初から余裕を見ていたし、予定していたのよりも早く家を出て早い電車に乗ったので、別にあせりはしない。

 電車の窓を外を雪が斜めに飛んで行く。ふだんは冬でも雪に覆われることのない街なのに、家の屋根も道も公園も雪をかぶっている。空は雪雲でふだんより暗く、地上は雪が積もっていて明るい。さまざまな色の屋根も雪に覆われ、緑の草木もいまは暗い色に見えて、窓の外は白と灰色で覆われている。

 音楽を聴きながら窓の外を眺めていると、眠くなってきた。

 眠さには逆らわないことにして、目を閉じる。

 でも、眠りに落ちるほどではなかったので、目を閉じたまま思い出す。

 ちょうど一年前、あのひとの入学試験の日には、空はきれいに晴れていた。

 空気が動かず、底冷えのする寒さだった。

 そんな日に、あのひとは、また時間ぎりぎりに起きて、眠そうな目をして朝ご飯を食べた。ご飯やおかずを口に持っていく手つきからしてとろんとろんしていて眠そうだった。

 前の夜は二時ごろまで勉強をしていたらしい。それでまた目がさえてしまって眠れなかったのだろう。

 しかも、朝食のあと、時間は迫っているのに、理科の教科書をまだめくって何かを確かめていた。

 家を出るときにお母さんに言われたことは、今日のゆうと同じ、「気をつけて、がんばってきなさい」だった。そして、明るい顔を見せて出て行ったけれど、家を出たらまたさえない顔に戻るんだろうな、ということが、優にはすぐにわかった。

 あのひとの実力ならば、試験で大ドジをしなければ合格することはまちがいなかったのだ。

 それでもあのひとは合格するかどうか不安だった。

 あのひとはたしかに理科は苦手科目だったけれど、そのくせ数学は普通に満点を取るし、社会や英語もいい点を取る。優にはどうしても八〇点以上が取れない国語もあのひとは得意科目だ。だからそこで補える。

 それなのに、落ちたらどうしよう、落ちたらどうしようとそればっかりを考える。そうやって自分を追いつめて自分を成功に持っていく。

 それがあのひとのやり方だ。

 成功に持っていくならば、最初から自分の実力を客観的に眺めることができるようにすればいいだけの話なのに、あのひとは、むだな努力とむだな心配をいっぱいする。

 たぶん、男の子のいない家の長女として育てられ、親に期待をかけられつづけてきたことが原因だろう。

 いまの優は、姉をめぐるそんな事情がわかるようになった。

 そんな姉が好きか嫌いかとたずねられれば、優は「好き」と答える。うそいつわりのない気もちだ。

 けれども、同時に、優が大きくなるにつれて、そんなきまじめで不器用な姉がそばにいるのがうっとうしくなってきた。

 あのひとも同じことを感じていたらしい。

 あのひとの成績ならばもう少し偏差値が高い高校にでも進めたのに、あのひとは明珠女学館第一を進学先に選んだ。

 それは、ここの高校には寮があって、家を出て暮らせるからだっただろう。

 家から通うと一時間半くらいで、通えない距離ではない。しかし電車が止まると学校に行けなくなる。車はお父さんが仕事に使うから車で送ってもらうという手も使えない。バスを乗り継いだらもっと時間がかかる。だったら親だって寮暮らしを許してくれるというわけだ。

 そして、あのひとはめでたく明珠女学館一高に合格し、寮に入って家からいなくなり、優はのびのびと暮らせるようになった。

 けれども、夏が過ぎたころから、もの足りなくなってきた。

 夏休みにはずっとあのひとは家に帰ってきていた。あいかわらず、寝坊しそうになって跳ね起きてあわてて顔を洗ったり、プールに行くというので用意した水着をどこに置いたかわからなくなってばたばたしたりを繰り返していた。寮に入って少しは変わったかな、と思っていたら、ぜんぜん変わっていなかった。

 八月も後半になって夏休みが終わり、そのあのひとがいなくなって、日が短くなって暗くなるのが早くなり、夏の騒がしさが身のまわりから消えてみると、ふと、家に帰っても何かがいつも足りないような気もちになる。

 晩ご飯まで一人の部屋にいて、外が少しずつ暗くなっていくと、自分でもおかしいくらいにさびしさが湧いてくる。

 それで、明珠女学館第一高校に行こう、行って寮に入ろうと決めた。

 つまり、またあのひとのそばで暮らそう、と。

 連休に家に帰ってきたときにあのひとにその決意を話すと、迷惑そうな情けなさそうな顔をして

「優の成績だったらもっと偏差値の高いところに行けるでしょう?」

と言った。

 ますますほかの学校に行く気が消えた。親の手前、別の高校も受けることにしているけれど、優は明珠女第一以外への進学は考えていない。

 同じ寮に入った優を見て、あのひとはどんな顔をするだろうか。

 それを見るためだけに、優は明珠女学館一高を進学先の「本命」に決めたのだ。

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