第30話 プレゼント
駅はこの店から学校に戻る途中にあるから、ということで、あのひとは
試験が終わったすぐ後はここの駅も受験生でいっぱいだったはずだ。あのひとといっしょに「
電車はまだ少し遅れていた。表示されている時刻のとおりならばもうこの駅を出ているはずの電車が、まだ来ていない。
そこに優の家のほうに向かう電車が隣の駅に着いたというアナウンスが流れた。
十分につきあったのだからもう解放してほしかった。でも、落ちこんでいたところを励ましてもらって、それで
「愛はもう帰って」
とは言いにくい。その気もちはたぶんあのひとにもわかるだろうから、なおさらだ。
電車が遅れていたおかげでそれを言わずにすんだ。
いや、このひとは、電車の来る時間を知っていて、何分遅れているかも把握していて、それでそれにちょうど合う時間にあの店を出たのか?
電車の時刻と遅れ時間を交互に表示している掲示板を見上げる姉の横顔はいつになく鋭い。
「もうすぐ来るね」
愛が言う。
電車が、だ。
優はうなずいた。
「入って、ホームで待つよ」
愛が優を振り向く。親しそうに、そしてちょっと気恥ずかしそうにする。
それまで持っていた、黒い小さな紙袋を、優の前に両手で持ち上げる。
紙袋だったが、光沢のない黒い地に黒の光沢のある文字と何かの模様が浮き彫りになっているようなデザインで、高級感がある。
姉は、気恥ずかしさを引きずりながら、それでも優の目を見てはっきり言った。
「ちょっと早いけど、バレンタインおめでとう」
「はいっ?」
いや、ちょっと声が大きすぎた。待合室で待っていた何人もの人が顔を上げて優をじっと見る。
「いや、でも、お姉ちゃん」
ほかの人の目を意識したからか、自然に「よそ行き」の「お姉ちゃん」という呼びかけが出る。
声をひそめる。
「お姉ちゃん、これまでバレンタインの贈りものなんてくれなかったでしょ?」
お父さん以外はみんな女の家族なので、家族の中でバレンタインというのは、これまでなかった。
一時はお母さんがお父さんに義理チョコをあげていたけれど、お父さんが会社で偉くなるにつれて会社でもらってくる義理チョコの数が増え、バレンタインはお父さんがもらってくる義理チョコを家の女たちが処理する日になってしまった。
ロマンチックでもなんでもない。
「今年は離れて住んでるからね。みんなで食べて。おじいちゃんとおばあちゃんにはチョコレートじゃないのを買ってあるから」
「はあ……」
そうか。家族向けか。
気が楽になる。
おじいちゃんは、お父さんの弟、愛と優の叔父さんといっしょに畑を作っているので、離れて住んでいる。そのおじいちゃんにも、というのだから、たぶん、叔父さんの一家の人数も入っている。
このひと、こういう気のつかいかたをするんだな。
しかも、一人暮らしで、仕送りも限られているし、もちろんアルバイトなんかしていないから、そんなに余裕があるはずもないのに。
家ではたしかにチョコレートが余るが、でも、離れて暮らす娘が買ったものならばたいせつにする。そのことも愛にはわかっているらしい。
愛は、唇をきっちり閉じて、柔らかく笑って優を見ている。
「ありがとう」
と言うかどうか、迷った。愛が先に言う。
「もちろん、優一人のぶんもちゃんとあるから」
そんなことは言わなくていいのに!
頬が熱くなる。
それをこのひとに見せたくなかった。でも、顔をそむけるところも見せたくなかった。
「あ……ありがとう……」
優らしくない。声を詰まらせて、優は愛に言った。
駅のアナウンスが、次の電車がもう隣駅を出てこの駅に向かっていることを告げている。
「じゃ、元気で」
「うん。愛もね」
言って、もらった紙袋を軽く掲げて見せ、笑って見せてから、優は改札を通った。
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