第77話 行こう

 本部前では、室内楽部の岡村おかむら純音すみね市辺いちべ正実まさみが演奏を始めていた。

 市辺正実はあの浅葱あさぎ色の着物の着付けを直してヴァイオリンを弾き、純音は持って来たキーボードでピアノの音色を出して、ラヴェルのヴァイオリンソナタという難しげな曲を弾くという。

 キーボードの音でそんな曲ができるのか、と思ったけれど、純音はけっこう表情の出る音を作っている。

 客席はさっきの三曲部のときより人が多い。化学の先生が小太りの女のひとを連れてやって来て座る。この二人は友だちどうしという感じだ。明珠女の制服を着た子がいるのは当然だけど、やっぱり瑞城ずいじょうの制服の子も来て、無遠慮に前のほうの席に座っている。

 文化祭実行委員長が演奏するのに司会やナレーターをつけてやる必要もないので、このあいだに蒲池かまち結花里ゆかりに茶道部に行ってもらうことにした。

 ちょうど十二時三十分の野点のだての時間に間に合う。

 室内楽部は十二時十五分からの予定だったが、最初の三曲部が遅れたあと、いくつもの出し物が時間をオーバーして、始まったのは十二時二十五分近くになってからだった。

 友加理もすぐに蒲池結花里について行くつもりでいたが、ちょうどそこに生徒会のOGがあいさつに来た。このOGの話が長い。上の空できくわけにもいかないので、適当に反応していると、さらに長くなる。ちょうどそこにそのOGの先輩だったという先生が通りかかり、ようやく友加理は解放された。

 そこに、舞台の裏から、わざわざお茶やココアを配っているテーブルの後ろを回って、飯村いいむら里絵さとえが出て来た。

 「友加理ゆかり会長」

 「はい」

 たしかに生徒会長なのだが、「会長」と呼ばれることはめったにない。まして「友加理会長」はない。でも返事が遅れたりはしない。

 里絵が続けて言う。

 「益守ますもりさんが来てほしいということです」

 言いかたはまじめなのだが、なんとなくコケティッシュだ。この里絵にも軽い謎感なぞかんがある。

 二年生になればもっと謎っぽい美女に育つのだろうか。

 志穂美の用事がどういうものかは、だいたい見当がつく。それでなければいいな、とは思うけど、純音と違って、志穂美はそうたやすく生徒会長を呼んだりする子ではない。

 たぶん、それだろう。

 そう思って、里絵について行ってみると、益守志穂美しほみが泣きそうな顔で立っていた。

 「どうしたの?」

 「西部にしべ盛江もりえが蒲池結花里をいじめてるって」

 「は?」

 ぜんぜん意外ではない。

 そんなのじゃないかとは思っていたのだが。

 でも、一般のお客さんも見ている前で、しかもここの学校の生徒じゃない子をいじめるか? 普通……。

 いや、この西部盛江って子を、普通、で考えてはいけないのだろう。

 だろうけど。

 もうちょっと遠慮しなさいよ……。

 「西部盛江が、せっかく蒲池さんが来てくれたんだし、せっかくお茶に似合う着物を着てるんだから、ここは蒲池さんにお茶をてていただきましょう、とか言って点てさせて」

と、別の一年生が教えてくれる。

 背の高い、スタイルのいい子で、今日は白いウールのカーディガンを着ている。

 青葉あおば里枝りえという。この子は体操部だったかな。新聞部員ではないが、里絵の友だちらしく、いっしょにいることが多い。

 飯村里絵は「さとえ」で、青葉里枝は「りえ」で、ややこしい。

 ゆかゆか結花里とゆかりん友加理よりややこしい。

 ややこしいけど、いまはどうでもいい。

 「それで?」

 蒲池結花里が西部盛江よりもずっとお茶の点てかたがうまくて、盛江が返り討ちにう、という結末を友加理は期待した。

 「もちろん、蒲池さん、お茶の点てかたなんか知らなくて、それでも自分のイメージでやってみてください、って言って。蒲池さんは、ぜんぜん知らないわけだから、お湯はどこですか、お茶は、とかいうところからやって。それで、茶筅ちゃせんがあるのに茶さじでお茶を混ぜようとして笑われたり、お茶をどこまで入れていいかわからなくてわからなくて二杯、三杯と入れるのを西部さんが止めなくて、だれも飲めないようなめちゃくちゃ苦くて濃いお茶を入れさせて、しかもそれを蒲池さん自身に味見させたりして」

 やっぱりそう漫画のようにはいかないか。蒲池結花里も和風のことならオールマイティーなスーパー和風ガールでないことがわかってほっとする。

 そんな気もちが出て来かけたのを、いまはそれどころではないという気もちでかろうじて封殺ふうさつした。

 眉を引き締めて、言う。

 「行こう」

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