第52話 伝説の委員長

 「樹理じゅりってどうして……」

 千枝美ちえみは言って、またおまんじゅうを一つつまみ上げる。

 これってただじゃないんだから、あとで何かお返しか何かしないと、と思う。

 「目標にしてる先輩がいるのよ、樹理には」

 先回りして、桃子ももこさんが言う。

 千枝美はまた横目で桃子さんを見た。

 「それは、桃子さん?」

 「いいや」

 一言で否定された。

 でも、そうだろうなぁ。

 千枝美は寮委員長になれるほどの成績は取れないけれど、もし千枝美が寮委員長になれるのなら、桃子さんを目標にする。だれに対しても優しくて、冷たい反応をされても気にしないという態度を取れて。「そういうものにわたしはなりたい」と言うのなら、千枝美のばあい、その「そういうもの」には「桃子さんのようなひと」が入る。

 でも、あの樹理は、桃子さんが休みの日に遅くまで寝てると言って文句をつけるような子なのだ。

 だれだろう?

 樹理の目標。

 「それも、いや、そっちこそ、伝説。伝説のひとで。伝説の委員長」

 桃子さんは、まじめというより、憂鬱そうだった。

 「平松ひらまつ均美ひとみさんっていって、わたしからいうと三つ上になるのかな。わたしもぜんぜん知らないんだけどさ」

 短くことばを切って、続ける。

 「生徒会長っていっても、明珠めいしゅじょ一中いっちゅう、つまり中学校の生徒会長だったひとでね」

 中学校なのか。

 「樹理は中学校も明珠女だからね。中学校でその平松均美さんのことを知って、そのひとこそ自分の目標だ、って思っちゃったみたい」

 その中学校の生徒会長が、いま高校生の樹理の目標。

 どんなひとなのだろう?

 桃子さんが続ける。

 「若尾わかお友加理ゆかりさんってひとがいてね。わたしが一年のときにここの寮にいて、ちょうど千枝美ちゃんたちと入れ替わりに卒業した学年の元生徒会長の先輩でさ、わたしはその人からきいた。もっとも、その友加理さんも詳しいことは知らなくて、又聞きらしいんだけど」

 またことばを切って、ジュースをちょっとだけ飲む。

 千枝美はつまみ上げて包装をはずしたおまんじゅうを口に入れる。

 ひとのことは言えない。桃子さん以上に甘いものを食べている。

 「すごく厳しくて、遅刻した同級生を、先生はいいって言ってるのに教室に入れなかったとか、先輩のスカートの丈を測って、違反ですから穿きかえてきてくださいって追い返したとか、いろんな話が伝わってる。でもさ」

 桃子さんは千枝美に向かって顔を上げた。

 「だれも、直接に会って、どういうひとだった、って、その、証言っていうの? そういうことを言うひとがいないんだよね。みんな伝聞。まあ、わたしからは三学年離れてるから、当然と言えば当然なんだけど。でも、ほんと、伝説なんだよね」

 「じゃあ?」

 どう考えればいいんだろう?

 名のみ語られながらけっして姿を現さない謎の委員長……。

 「ほんとうはそんな先輩はいなかった?」

 桃子さんは反応した。

 びくんと体を動かして、いきなり、顔を綻ばせた。

 「千枝美ちゃん、それ、映画っぽすぎ! マニアックな監督のシュールなアニメ映画の見過ぎじゃないの?」

 「いや。それはないです」

 空気が急に和んだ。

 それはいいことだけど。

 「いや、でも、じゃあ……」

 千枝美は悩む。がらにもなく。

 伝説が事実でないとは限らない、と、さっき考えた。でも、みんな伝聞でしか見聞きしていないって、どういうことだろう?

 実在の生徒会長。

 生徒会長なら、生徒たちの前にはだれにもまして姿を見せているはずなのに?

 桃子さんはともかく、その友加理さんとかならば、高校生になってからのその平松さんを直接に知っているはずなのだけど。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る