第19話 偽善よりもうっとうしい

 寮生はまじめな子ばかりだった。だから、寮の雰囲気は樹理じゅりにはしっくり来るとはじめは思った。

 でも、慣れてくると、少しずつ違和感を感じ始めた。

 まじめで勉強熱心といえばそのとおりだ。でも、寮では、大学受験に関係のないものごとにはできるだけ関心も関わりもを持たないようにする。いや、ほんとうは、部活とか、趣味とか、いろんなことに関心を持っているのに、寮のなかでは持っていないように見せかける。大学受験なんて三年近く先のはずの一年生、つまり樹理の同級生たちまでそうだ。

 そうでない部活がいっしょなどで仲のいい友だちとは話をするけれど、そうでない子とは、廊下や階段で会ったときにあいさつするくらいだ。それさえしない子もいる。

 食堂では、仲良しグループどうしかたまって食べるし、どの仲良しグループにも入れなかった子は一人で食べるしかない。

 そうやって寮のなかに仲良しを見つけられなかった子の一人が、あの澄野すみのあいだった。

 最初のころ、樹理はこの澄野愛が嫌いだった。

 理由は単純だ。

 ぐずだからだ。着替えにしても片づけにしても、てきぱきとやれば五分くらいでできることに、この澄野愛は三十分くらいかかる。悪くすると一時間もかかる。どこかに出かけても、忘れものをしたといって途中から帰ってくる。自分で準備したものを、どこに置いたかわからなくなり、部屋のなかをばたばたと探し回る。

 こんなぐず女のぐずぐず女がよくこの明珠めいしゅ女学館じょがっかんに入れたものだと思った。

 そのくせ、へんな自己犠牲精神があるのも、樹理にはうっとうしかった。

 トイレ掃除や風呂掃除、ごみ集めやごみ出しなどは、当番に当たってもいいかげんにしかやらない子がいる。そういう当番が回ってくるたびに熱が出たといって学校の保健室に行く子もいる。どうかすると廊下掃除さえやったことにして実際には何もやらない子がいる。そんなときにはだれが当番をかわるかというルールはあるのだが、その交替の子がその日のその時間に寮にいるとは限らない。寮委員会室でそういう話をしていると、どこかからやって来て

「じゃあ、わたしがやっとく」

と言い出すのがこの澄野愛だった。だれにも相談しないで、当番でもないときにトイレ掃除や風呂掃除をしていることもある。それを見つけて

「何やってるの?」

と言うと、

「だって、だれもきたないトイレなんか使いたくないでしょ?」

とか、

「お風呂は早く洗わないと汚れが取れなくなっちゃうから」

とか真顔で言うのだ。

 きっと、家の教育がよかったのだろう。

 言っていることはいちいち正しいけれど、人がよすぎだ。偽善的だ、と言いたいところだけど、ちっとも「偽」の部分が見えない「善」だ。偽善よりももっとうっとうしい。

 けれども、仲良しグループでかたまっている寮生の仲間たちになんとなくもの足りなくなってくると、逆に愛のことが気になり始めた。

 きっかけは、愛が、その仲良しグループの一つに

「澄野って、桃子ももこさんに気に入られようと思って、あんな熱心にいろんなことやってるんだよね」

と陰口を言われているのをきいたことだった。なぜか知らないけれどむしょうに腹が立った。

 白川しらかわ桃子さんはそのときにはまだ寮委員長にはなっていなかったけれど、二学期から委員長になることはほとんど決まっていた。しかも、性格も明るく、だれとでも分け隔てなく話をするので、そのころから人気者だった。

 愛がたとえば絶世の美貌の持ち主で、その美しさで桃子さんに取り入ろうとしているとかいうのなら、嫉妬するのもわからないではない。しかし、愛は、不美人ではないにしても、絶世の美女でもない。だから、トイレ掃除をしたり風呂掃除をしたりごみ集めをしたりごみ出しをしたりすることで桃子さんに取り入ることができるんだったら、自分もそうすればいいだけのことだ。

 寮委員長は学校が決める。寮に入った時期が早い順で、同じ時期ならば成績のいい順という決まりだ。三年生は将来のことを決めなければならない学年だからという理由で寮委員会には入らない。寮生の一年生のなかでいちばん成績が上なのは樹理だから、秋になって桃子さんが委員長になると、樹理が副委員長になった。

 副委員長になると、樹理は当番さぼりを徹底して取り締まった。

 愛のよけいな「善」に出番を作らせないように、樹理は意地になった。二年生に対しても容赦はしなかった。

 それでそれとはないいやがらせは受けた。わざと樹理に聞こえるように陰口を言っているのも聞いた。

 けれども樹理はやめなかった。

 たぶん、ラッキーだったのは、桃子さんがそういう樹理のやり方を理解して支持してくれたことだっただろう。ルール破りを平気でやっていた子たちにも、樹理の「やり過ぎ」を桃子さんに訴えても何の効きめもないことがわかってきた。樹理がやってもいないことをでっち上げて桃子さんに告げ口しても何の効きめもないこともわかってきた。

 ルール破りを平気でやる気風は、寮からはしだいに消えていった。

 ただ、樹理の努力には、誤算が一つあった。

 樹理は愛に嫌われてしまったらしい。

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