第64話 よろしくお願いします!

 蒲池かまち結花里ゆかりは説明を受けて、たいして質問もはさまないで引き受けてくれた。

 強くて印象に残る声なのに、耳に触れるときには柔らかく撫でるように通り過ぎる。

 その声だけでも、この役をこの子に頼んでよかったと思う。

 だいたい、MCの役割というと、開会の宣言をして、生徒会長のあいさつの紹介をして、あとは三十分ごとの「ごみは持ち帰りましょう」的なアナウンスをして、イベントの前には「どこどこで何時から何があります」というアナウンスをして、ときにはそれに関連する業務連絡を流して、最後に閉会の宣言をするだけだ。あとは「本部」というところに座っているだけでいい。ただし、そこは畳敷きなので、正座していないといけない。座っているのが苦痛ならば、アナウンスをすっぽかさないかぎり、会場を見て回っていてもいい。ほんとうに、声がきちんと出せて、着物を着て、着くずれないことだけが条件なのだ。

 それだけの子を、明珠めいしゅ女学館じょがっかんから一人も出せない、というのは問題だが。

 二日前の非常事態なので、しかたのないところだろう。

 箕部みのべから泉ヶ原いずみがはらに帰る電車のなかで、友加理ゆかりは、蒲池結花里がどんな姿で現れてどういう司会進行をするだろう、と、ずっと考えていた。

 今日着ていた、赤地に白の大きな花の柄で現れるか、それとも春らしい薄い桃色の着物で現れるか。まさか十二単じゅうにひとえでやってくることはないだろうけど。

 当日の梅花ばいか公園は、くっきりした赤と純粋な白の梅の花でいっぱいだ。あの里じゅうを花で満たすような子はそれにどんなふうに着物を合わせてくるだろう。

 今日はよく晴れている。あさってまで天気がもってくれるだろうか。

 ひな祭り自体は、大嵐や大災害が来ないかぎり雨天決行で、部やサークルの活動を見せるスペースも屋根がつけられるようにしてある。けれども、せっかくあの子が着物を着て来てくれるのに、外を出歩けないようでは悪いし、もったいない。

 いや、傘をさして、草履に雨除けをつけて歩くあの子の姿も、見てみたいかな。

 ああ、いや、それ以前に、すごい寒波とか来てしまったらどうしよう。

 コートを着て、もふもふマフラーを巻いたあの子も、それはきれいだろうけど。

 つまり、あの子は何を着てもきれいなのだ。あの子のきれいさは、雨にも風にも大寒波にも負けない。

 泉ヶ原の駅で電車を降り、改札を出てからも、友加理は繰り返し当日の蒲池結花里の姿を思い浮かべ続けた。

 「よろしくお願いします!」

 若い女の子の元気な声が耳に飛びこんでくる。差し出されたチラシを思わず受け取る。

 「あっ」

 相手が小さく声を立てた。

 もう一人の女子生徒が立っていて、気まずそうに互いの顔を見合わせる。まわりにはあと何人か同じ制服の生徒がいた。

 もう日が暮れていてわかりにくかったけれど、瑞城ずいじょう女子の子たちだ。

 今日はよく瑞城の子に会う。さっきは箕部の街だから気づかれなかったかも知れないが、今度は駅の前だ。たぶん、相手はこちらが明珠女学館の生徒だとわかっただろう。

 ちらっとチラシに目をやると、

「Zuijo Music Festival

 in Spring」

と書いてある。「春の瑞城ミュージックフェスティバル」。プリンタで刷ったのだろうけれど、デザインも印刷もきれいに仕上がっていた。

 こういうセンス、うちの漫画研究会とかに見せてやりたいな、と思う。

 「あ……ありがとう……」

と友加理が言うと、相手の瑞城の子も、ぴくっとぎこちなく頭を下げた。それから、何ごともなかったかのように、また電車から降りてきた人たちにチラシ配りを再開した。

 いまのは出会いがしらのハプニングというものだな、と、友加理は苦笑いした。

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