第63話 名まえ負けしてます

 女の人はお盆を置いて、たもとを押さえて、お茶を友加理ゆかりの前に置く。

 「まあまあ、はじめまして。結花里ゆかりがお世話になります」

と言われて、友加理は思わずその人の顔を見返した。

 きょとん、としていたに違いない。

 「ああ、お母さん!」

 さっきの澄ました声とは違う、きつい声をそのままひそめた声で、相手の子は言った。

 この人がこの子のお母さんらしい。

 「こちらの方も友加理さんなんだから……」

 「まあ、そうだったんですね」

 言って、おほほほ、っと、取り繕うように低い笑い声を立てる。

 友加理はあわてて座りかたを正座に戻した。相手のお母様の前で横座りなんかしているわけにはいかない。

 いっしょにお菓子も出してもらった。品のよい和菓子だったらどうしようと思ったけれど、桃色のクリームの載ったショートケーキだった。品がよいにはかわりがないけど。

 「ありがとうございます」

 さて、どう応対すればいいのだろう?

 解答は、たぶん、自己紹介することだろう。

 「あ、お邪魔しています。あ、いえ、お世話になります」

 わたわたしていてはあまりいい応対にならない。

 「わたくし明珠めいしゅ女学館じょがっかん第一高校の生徒会の若尾わかお友加理ゆかりと申します」

 軽くお辞儀する。

 前にテーブルがあるので深くはお辞儀できない。座布団からはずれてお辞儀するのが礼儀だと気がついたときにはもう遅い。

 「生徒会長の」とは言わず「生徒会の」で止めたのはよかったと思う。明珠女学館ではこんな子が生徒会長なんだ、と思われては学校の評判にかかわる。

 「このたびはお世話になります。よろしくお願いします」

 「まあ」

 自分の娘にお茶を出しながら、お母さんはおっしゃる。

 「さすがに明珠の生徒さんは違うわねぇ。あいさつが板についていらっしゃる」

 ぜんぜんついてないんですけど。

 「あんたも見習わないといけませんよ。それに明珠のお嬢さんの脳みそを少し分けてもらいなさい」

 分けるようなものは持っていません!

 お母さんはいっこうにかまわず友加理のほうを見て言った。

 「うちの子はがさつで頭も悪くて、それで明珠女に行けなかったんですよ。そんな子ですから、よろしくお引き回しくださいな。ええ、いっぱい引き回して、明珠の生徒さんたちの笑いものにしてやってください。それで目が覚めるでしょう? よろしくお願いしますね」

 言うだけ言うと、この子のお母さんはお盆を持って奥に戻って行った。

 相手の子は苦笑している。

 「ほんとせわしない母で申しわけありません」

 「ああ、いえ……」

 すてきなお母さんですが、明珠女を買いかぶりすぎだと思います、ぐらいは言ったほうがいいかも知れない。

 たぶん、逆だ。明珠女の子のほうがこの子の前では笑いものになるだろう。

 明珠って伝統文化をたいせつにする学校って聞いてたけど、こんなもの、って。

 「ああ、申し遅れてすみません。わたし、蒲池かまち結花里といいます。結びつけるのい、に、花に、里。花を結ぶ里の意味なんだそうです」

 「あ、きれいな名まえ!」

 思わず言ってしまった。

 「蒲池さんにぴったりですね」

 「ああ、いえ」

 蒲池結花里ははずかしそうに下を向く。

 「名まえ負けしてます」

 だったら蒲池さんも華やかになってしまえばいいんだよ、と言おうとしたけれど、もうじゅうぶんにこの子は華やかで美しい。

 「そんなことないですよ」

 妬ましいのであだ名を「ゆかゆか」とかにしてやろうかと思ったけれど、いまは思いとどまる。

 そんなことより、相手が自分の名を説明してくれたのだから、自分も言ったほうがいいだろう。

 「わたしは、友だちの友に、加えるに、理由とか理屈とかの。理想とか理性も大切だけど、それに友情をつけ加えるのを忘れないで、という意味だっていうことだけど」

 「それこそ、若尾さんにぴったりじゃないですか」

 何を根拠に、と思う。

 理想がないのはもちろんとして、ときには友情もないからな。

 そこにいるだけで、里じゅうが花で満ちあふれているという感じを振りまいている蒲池結花里とは「ぴったり」度が違いすぎる。

 「それで、明珠のおひなさまのお仕事ですか?」

 蒲池結花里が言う。

 「あ、はい」

 それで自分が何をしに来たのかを思い出した。

 鞄のファスナーを開けて資料を取り出す。もともと布上ふかみ羽登子はとこのために用意した資料だ。

 それを出してテーブルに置いたところで、やっと「ひと心地ごこち」がついた。

 これまでほんとうにどちらを見ても花が咲いている場所に迷いこんだような気分でいたな、と、いまになって思う。

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