第50話 明珠女と瑞城

 あの千枝美ちえみ閉め出し事件にしたってそうだ。

 考えてみれば、あのとき、閉め出された千枝美が玄関の前で泣いて粘ったからよかったわけで、もしそのまま出て行ってしまったら、どうなったことだろう?

 年頃の女子高校生が夜の街に一人で出て行って、行方不明……。

 いや、行方不明にならなくても、そのまますぐ向かいの学校の守衛所に駆け込んだら?

 大問題だ。千枝美も怒られただろうけれど、閉め出した樹理じゅりも怒られたに違いない。

 しかも、樹理は、おんなじ学校の子ばかりでなく、その瑞城ずいじょう女子の子に対しても結果を読まずに行動する。

 そして、返り討ちに遭う。不快な思いをする、いらいらを募らせる、泣きそうになる。

 それが、樹理。

 「桃子ももこさん」

 千枝美は少しだけあらたまってきいてみた。

 「瑞城の子たちって、ほんとにそんなに明珠めいしゅじょの子を目の敵にしてるんですか?」

 「ま、伝説はいろいろあるよね」

 桃子さんは、そう言って、おまんじゅうを取り上げ、包装をむいている。

 「明珠の子が一人でいたら囲まれて乱暴されたとか、財布を取り上げられたとか、砂浜まで連れて行かれて砂のうえに蹴り倒されて転がされて、全身砂まみれにされたうえに口の中にまで砂を詰め込まれたとか」

 おまんじゅうの包装をむくのに集中しながら、桃子さんが続ける。

 「口の中に砂を詰め込まれて何も言えないのに、ごめんなさいって言えって言われて、うめいてると、ごめんなさいも言わないのね、って言われてさらに乱暴されたとか」

 「それって、ほんとに?」

 ちょっとした乱暴とか、財布を取られるとかぐらいはあるだろうけど、砂まみれはちょっと悲惨だ。まして、口の中に砂を詰め込まれてごめんなさいと言わされて言えなくてもっと乱暴されるなんて、とても悲惨だ。悲惨すぎる。

 おまんじゅうの包装をむきながらそんな話をする桃子さんのきれいな横顔がとても残酷に見えるくらいに。

 「だから伝説だって」

 桃子さんは笑顔を作っておまんじゅうを口に入れた。千枝美と目は合わせていない。

 桃子さんは「伝説だ」と言っただけで、「事実ではない」とは言っていない。伝説で、しかも事実ということは、十分にある。

 レジェンドっていうやつ。

 ちょっと違うかな?

 だいぶ違うか。

 おまんじゅうのひとかけらを食べてしまってから、桃子さんは続けた。

 「偏差値は明珠女が上だから明珠女の生徒はまあだいたい瑞城の子を見下してる。見下してない、って言うかも知れないけど、たぶんそんな気もちがぜんぜんない明珠女の生徒は少ないよ。いたとしてもあいくらい」

 桃子さんは短く声を出して笑う。

 たしかに、あの澄野すみの愛なら、偏差値とか学校の成績とかが表すのは人間のほんの一部分だと本気で信じていそうだ。

 かわいそうな愛……。

 「瑞城の子はそれがわかってるだろうしさ。逆に、瑞城ってけっこうお嬢様学校だから、親の収入は向こうが上だし、それに運動神経も平均すると瑞城が上だからね。やっぱりそこで勝負しようとするよね」

 親の年収が上だからって口に砂を詰め込まれてはたまらないと千枝美は思う。

 「あとさ」

 桃子さんは、いきなり笑顔の笑顔度を高めた。目が細くなるまで笑って、千枝美を見る。

 「瑞城の子が明珠女の子を羨むポイントがもう一つあってさ」

 言って、唇を閉じる。楽しそうだ。

 「わかる?」

 「ぜんぜんわからないです」

 こういうときは早めに正直に言う。千枝美の流儀だ。

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